第44話 石を植えに行ったら、義妹が結婚して、妻が大暴走した
「行くか」
翌朝、俺は五つの石を布に包んで懐に入れた。
「閣下、護衛はどうされますか」
「最小限でいい。ついでだ」
「またついでですか」
「ついでだ」
ソフィアが壁にもたれながら言った。
「俺も行く。あのダンジョン、気になっていたんだ」
「お前も来るのか」
「ダンジョンの場所は私が一番よく知っている。案内くらいはできる」
「そうか。来い」
カールが「俺も行きます」と言った。
「お前は帝国の仕事が」
「ヴィルヘルムに任せてあります」
「おい」とヴィルヘルムが言った。
「お前が仕出かしたことの後始末だろうが」とカールが言った。
「……わかった」
フロリアンが「義兄上、俺も」と言った。
「お前はミレイユと結婚式の準備があるだろう」
「……そうでした」
ミレイユがフロリアンの腕を引っ張った。
「行きますよ、フロリアン。式場の打ち合わせがありますわ」
「……はい」
フロリアンが名残惜しそうに引っ張られていった。
こうして俺・イレーネ・エルナ・ワタたち・ソフィア・カールという小さな一団で、洞窟へ向かうことになった。
移動式住宅に乗り込んで数時間。
山岳地帯の入口に差し掛かった頃、カールがソフィアの隣に座っていた。
「ソフィア、ヴァレン王国の海底ダンジョンって、どのくらい深いんだ?」
「深いところだと、海面から百メートル以上下だな」
「百メートル!? どうやって潜るんだ」
「ヴァレン王国には水中魔法が発達していてな。水の中でも呼吸できる魔道具がある」
「それすごいな……俺、泳げないんだが」
「泳げなくても魔道具があれば大丈夫だ。慣れたら楽しいぞ」
「ソフィアに教えてもらえるか」
「……まあ、機会があれば」
ソフィアが少し顔を赤くして窓の外を向いた。
カールがにやりとした。
俺はそれを横目で見ながら、エルナを膝に乗せていた。
(カールのやつ、着実に距離を詰めているな)
「旦那様、ソフィアとカールはなかよしなの?」
「そうらしいな」
「ふーん」
イレーネが「ふふっ」と微笑んだ。
洞窟に着いた。
松明を手に奥へと進む。壁に刻まれた「サルデ・モワ・カル」の文字が、松明の光に照らされて揺れている。
ソフィアが壁の文字を見て「この文字、ヴァレン王国の海底ダンジョンにもあった」と呟いた。
「本当か」
「ああ。同じ文字だ。ずっと何の意味かわからなかったが……」
「深淵の狂王の名前だ」
「狂王……あの伝説の」
「伝説なのか」
「ヴァレン王国では、大昔に海から現れて世界を救った賢者の話が伝わっている。名前は違うが……もしかしたら同じ人物かもしれない」
(狂王は大陸だけでなく、海の向こうでも動いていたのか)
祠の前に着いた。
前回来た時と変わらない石造りの祠。しかしその前に、小さな芽が一本出ていた。
「……本当に生えているな」
「可愛い芽ですわ」とイレーネが言った。
「おとしゃま、うちのとおなじ?」
「そうかもしれないな」
ワタが祠の前に進み出た。
そして俺を振り返った。
「ここに植えろ、ということか」
ワタが頷いた。
俺は布から五つの石を取り出した。
祠の前の地面に、ワタが示す場所に一つずつ丁寧に埋めた。
五つを埋め終えた瞬間、地面がわずかに光った。
ペンタゴンの形に、うっすらと光の線が走った。
そしてすぐに消えた。
「……何かが変わったか?」
ワタが静かに頷いた。
「何が変わったかはわからないが」
「そうですわね」とイレーネが穏やかに言った。「でも、ちゃんと届いたみたいですわ」
ソフィアが呟いた。
「……狂王が、ずっと待っていたのかもしれないな」
誰も何も言わなかった。
静寂の中で、祠の前の小さな芽が、風もないのにそっと揺れた。
帰り道、ダンジョンの入口に立ち寄った。
山中に口を開けたダンジョンから、確かに異常な魔力が漏れ出している。
「ここが問題のダンジョンか」
「ああ」とソフィアが頷いた。「私が入った時は、中に見たことのない魔物がいた。倒せないことはないが……普通の冒険者では厳しい」
「中の構造は把握しているか」
「大体は。三層構造で、最奥に……また祠があった」
「祠が?」
「ああ。でも今回の石とは違う。何かが納められていたようだが、すでに空だった」
「空だった……」
(封印の媒体はすでに誰かが持ち去っていた、ということか。それが今回の五つの石に繋がる)
「中に入る必要があるか」
ソフィアがしばらく考えてから言った。
「祠が空になったことで、ダンジョン自体が不安定になっているようだ。このまま放置すると魔物が外に溢れ出す可能性がある」
「面倒くさいな」
「だろうな」
「今日は入らない。クラフト部隊を連れて出直す」
「そうだな。その方がいい」
カールが「義兄上みたいなこと言いますね、ソフィアも」と呟いた。
「何がだ」
「現実的な判断を、さらっとする」
ソフィアが少し照れくさそうに「そうか?」と言った。
帰り道、夕暮れの山道を移動式住宅が走っていた。
エルナはカールに抱っこされて眠っていた。
カールとソフィアが並んで窓の外を眺めている。
俺はイレーネと並んでソファに座っていた。
しばらく静かな時間が続いた。
「旦那様」
「何だ」
「今日も一緒にいてくれてありがとうございますわ」
イレーネが穏やかに微笑んだ。
夕陽が差し込んで、イレーネの顔を照らしている。
(……綺麗だな)
俺は何も言わずに、イレーネの頬にそっとキスをした。
一秒の出来事だった。
「……っ!?」
イレーネが固まった。
「だ、旦那様っ……? いきなりっ……!?」
「たまにはいいだろう」
「ふにゃ……」
「おい、大丈夫か」
「ふにゃふにゃ……」
「……おい」
「ふにゃふにゃふにゃ……だ、旦那様がっ……自分からっ……いきなりっ……ふにゃっ!!」
イレーネが限界突破した。
そのままコルネリスに飛びついて、首に腕を回して離れなくなった。
「わたくしっ……旦那様のことがっ……だいすきですわっ……ふにゃふにゃっ!!」
「わかった、わかったから落ち着け」
「おちつけませんっ……!! だって旦那様がっ……自分からっ……ふにゃっ!!」
カールが目を丸くして固まっていた。
ソフィアが「……なんだこれは」と呟いた。
エルナが目を覚まして、ふにゃふにゃしているイレーネを見た。
「おかあしゃま、どうしたの?」
「ふにゃふにゃしてる」と俺が答えた。
「ふにゃふにゃ?」
「そうだ」
「なんで?」
「おとうさんがキスしたからだ」
「ふーん」
エルナがまたカールの腕の中で目を閉じた。
ワタが三匹、呆れたように俺とイレーネを見ていた。
ソフィアがカールに小声で「ああいう夫婦に、なりたいか?」と聞いた。
カールが少し顔を赤くしながら「……なりたいな」と答えた。
ソフィアがそれを聞いて、また窓の外を向いた。
その耳が、少し赤かった。
王城に戻ると、フロリアンが嬉しそうに駆けてきた。
「義兄上! 式場の打ち合わせが終わりました! 来月、結婚式を挙げることになりました!」
「そうか。おめでとう」
「ありがとうございます! 義兄上にも盛大に祝っていただきたくて」
「参加する」
「本当ですか! 嬉しいです!」
ミレイユが静かに頭を下げた。
「コルネリス閣下、フロリアンをよろしくお願いいたします」
「よろしくするのはお前の方だ」
「……はい。頑張ります」
ミレイユが穏やかに微笑んだ。
その後ろで、マルガリータ王妃が「結婚式の準備ですわよ! 衣装は! 花は! 料理は!」と張り切りすぎていた。
「お母様、少し落ち着いてください」とイレーネがまだふにゃふにゃしながら言った。
「落ち着けませんわ! 息子の結婚式ですのよ!」
「お母様もわたくしと同じ状態ですわ」
「何が同じですの」
「ふにゃふにゃですわ」
「失礼ですわ! わたくしはふにゃふにゃしていません!」
レオナルト陛下が「落ち着け王妃よ……といいながら余も落ち着いておらんが……!」と号泣していた。
(面倒くさい家族だ)
(でも)
(悪くない)
「旦那様」
イレーネがまだ少しふにゃふにゃしながら、俺の腕を握った。
「何だ」
「幸せですわ」
「そうか」
「旦那様も幸せですか?」
「……ああ」
「チュッ」
「今度は俺からだったんだが」
「わたくしからもしたいのですわ」
「ふにゃ……」と今度は俺が小さく呟いた。
「まあ! 旦那様がふにゃ、とおっしゃいましたわ!」
「言っていない」
「言いましたわよ!?」
「言っていない」
ヘンドリックが静かに近づいてきた。
「閣下、よろしいですか」
「何だ」
「ヴァレン王国との外交ルート、確認が取れました」
「そうか」
「フロリアン殿下の結婚式が終わった後、ヴァレン王国への訪問を調整してもよいでしょうか」
「ああ、頼む」
カールが「俺も行きます」と即答した。
ソフィアが「……お前、本当に来るのか」と言った。
「ソフィアがいるなら」
「……面倒くさい奴だな」
「よく言われる」
ソフィアがため息をついたが、その口元が少し緩んでいた。
(まあ、うまくいきそうだ)
後方支援兵コルネリスの苦難は、まだまだ続く。
しかし今日は、夕陽の中でイレーネに自分からキスをした日として、長く記憶に残る日になりそうだった。




