第19話 常田真一
山を下りる道で
湯沢がぽつりと言った。
「常田先生か」
杉林の中をゆっくり歩く。
彦衛門が言った。
「変わった医者だった」
箕輪が聞く。
「どう変わってたんですか」
彦衛門は少し笑った。
「医者なのに」
「金の話をよくしてた」
湯沢が言う。
「金?」
彦衛門は頷く。
「村で病院をやる」
「そう言ってた」
李が足を止めた。
「病院?」
彦衛門も立ち止まる。
「そうだ」
「この村でな」
箕輪が驚く。
「こんな山の村で?」
彦衛門は頷いた。
「本人は本気だった」
湯沢が聞く。
「いつ頃の話です」
彦衛門は少し考えた。
「最初に来たのは」
「昭和の終わり」
「まだ若かった」
李が聞く。
「何歳くらいですか」
彦衛門は答えた。
「二十代だな」
箕輪が言う。
「研修医?」
彦衛門は頷いた。
「そう聞いた」
「大学病院の若い医者」
湯沢が言う。
「研修の一環か」
彦衛門は続けた。
「村の診療所を手伝いに来た」
「短い間だったがな」
李が静かに聞いている。
彦衛門は懐かしそうに言った。
「よく山を歩いてた」
「温泉も調べて」
「水も調べて」
湯沢が言う。
「御代田の泉も?」
彦衛門は頷く。
「そうだ」
「水素の話をしたのも」
「たぶんあいつだ」
箕輪が言う。
「その頃から」
「この村に興味があったんですね」
彦衛門は笑った。
「そうだ」
そして続けた。
「最初は」
「若い医者だった」
「だが」
少し間。
「十年くらいして」
「また来た」
湯沢が聞く。
「戻ってきた?」
彦衛門は頷く。
「今度は」
「四十くらいだった」
箕輪が言う。
「医者として働いていた頃」
「そうだ」
彦衛門は言った。
「そのとき」
「言ってた」
「いずれ」
「この村で病院をやる」
李が静かに言う。
「本気だったんですね」
彦衛門は頷く。
「だが」
「金がいる」
湯沢が言う。
「それで東京か」
彦衛門は答えた。
「美容外科だ」
三人が少し驚く。
箕輪が言う。
「美容外科?」
彦衛門は笑った。
「金が貯まる」
「そう言ってた」
湯沢が小さく笑う。
「正直な人だ」
彦衛門も笑った。
「そうだ」
そして続ける。
「村で病院をやる」
「その資金を貯める」
「だから東京で働く」
李がゆっくり言った。
「40 歳くらいの頃」
彦衛門は頷く。
「そうだ」
「その頃は」
「美容外科医だった」
山道を再び歩き始める。
沢の音が聞こえる。
箕輪が言う。
「本当に作るつもりだったんですね」
彦衛門は頷いた。
「土地も見てた」
湯沢が聞く。
「どこです」
彦衛門は少し前を指さした。
「白樺の湯の下」
「昔の畑」
湯沢が驚く。
「そんな話」
「初めて聞いたぞ」
彦衛門は笑った。
「お前はその頃まだ子供だ」
湯沢は苦笑する。
李が言った。
「もし」
「常田先生が戻ってきたら」
箕輪が続ける。
「医療の村」
湯沢が言う。
「本当にできるかもしれない」
山道の出口が見えてきた。
村の屋根。
煙。
静かな集落。
彦衛門がゆっくり言った。
「だがな」
三人が振り向く。
老人は続けた。
「常田は」
「もう六十なかばを超えてるはずだ」
湯沢が言う。
「生きてればな」
彦衛門は頷いた。
「そうだ」
少し間。
「だが」
老人は空を見た。
「もしあいつがまだ医者なら」
李が静かに聞く。
「どこにいるでしょう」
湯沢が考える。
「美容外科なら」
「東京だろうな」
箕輪が言う。
「名前で調べれば…」
李が小さく頷く。
「探しましょう」
村の入り口に着いたとき
彦衛門が言った。
「白樺の湯の帳簿」
「古いのが残ってる」
湯沢が言う。
「倉庫にある」
箕輪が少し興奮した声で言う。
「そこに何かあるかもしれません」
李は静かに言った。
「三十年前」
「この村の未来を考えた医者」
少し間。
「会ってみたい」
湯沢が笑った。
「もし見つかったら」
「この村」
「本当に変わるかもしれないな」




