第1章 第4話 次期魔王
「初めて使う陰魔法であの威力……おみそれしました。さすがは次期魔王にふさわしい傑物です」
膝をついていた少女が静かに立ち上がる。それだけでシオンは大きく後ずさった。
(なんだこいつ……モンスターか!?)
ナイフを構える手に力が入る。手が震えているのは力を入れ過ぎているからだけではない。目の前のありえない存在に恐怖を感じていた。
容姿は間違いなく人間。しかもかわいい女の子だ。年齢はシオンとそう変わらないだろう。ジトっとした眠そうな瞳とふにゃふにゃと緩んだ口元。ブラウンの髪をハーフツインに纏めた姿は、学内にいたらやる気のない不真面目な生徒だと思うだろう。
その反面服装は真面目過ぎるほどにかちっとしている。制帽を被り、白いブラウスに黒いネクタイ。その上にジャケットを着こみ、左肩には腰まで伸びた黒布のマントがかけられている。そういった服装の規定のある堅い組織に属しているのかと思いきや大きなベルトの下は機能性の薄いミニ丈の広がったフレアスカート。革製のニーハイブーツを履いているが、ふとももには何の機能性もないベルトを巻いていることからある程度のおしゃれは許されているのだろう。
真面目と不真面目が入り混ざったような格好だアンバランスなのはそれだけではない。身長185cmのシオンを見上げる彼女の背丈は155cm前後だろう。そんな小柄な体格に対し、スタイルは厚手の軍服の上からでもわかるほど凹凸がはっきりしている。とにかく全てにおいて統一感がないのだ。それが不気味さを一層際立たせている。
(魔女……サキュバス……悪魔の類か? だが角や尻尾といった悪魔の特徴はない……それを隠せているのだとしたらかなり高位な悪魔。あるいは他の種族の可能性……)
シオンが彼女の容姿をくまなく観察しているのは見惚れているからではない。外見はモンスターの種別を判別するのに重大な要素。観察を怠り痛い目を見た冒険者は数知れない。だが正直無意味だとも感じていた。
(この魔力量……『神託』前の俺よりも多い……しかも遥かにだ。こんな化物、見たことがない……!)
全身から漲る人間のものとは異なるモンスター特有の不気味な魔力。あまりにも膨大過ぎて数メートル離れているシオンの身体も既に覆ってしまっている。次元が違う。魔力があった頃ならともかく、現在のシオンではまるで相手にならないだろう。逃走どころか次の瞬間首を飛ばされていてもおかしくない。
自害。今までの人生において想像すらしなかった選択が脳裏に浮かぶ。人型かつ服装の概念があるレベルに知能があるモンスターとなると、記憶を覗いたり洗脳といった高次元な魔法を使える可能性がある。次期勇者候補として様々な重要施設に赴き多くの要人とも出会ってきたシオンの情報価値は高い。それがモンスターに渡ってしまえば被害は計り知れない。人類のことを思えば今すぐ手に持ったナイフを首に突き刺すのがベストな選択肢。しかし……。
(死に……たくない……!)
シオンが命の危機を覚えたのはこれで二度目。一度目は故郷がモンスターに襲撃された時。その時は逃げ出した。戦う力がなかったから。二度とそんな思いをしたくなかった。だから鍛えた。死にたくなかったから死ぬ気で鍛え上げた。
そして今回。戦う力がないのは以前と同じ。あの時と違うのは逃げる選択肢すらないということ。怖い。ただただ、怖い。避けられない死という恐怖を目前にして、シオンは身体を震わせる以外身動き一つ取れなくなってしまっていた。そんな折、少女がくすりと口角を上げた。
「ふふっ、怯えちゃって。かーわい」
「っ」
上位存在の嗜虐的な笑みに見初められ、心だけでなく身体まで折れてしまった。腰が抜け、ゆっくりと近づいてくる少女を見上げることしかできない。
「ああそうそう、ご挨拶がまだでしたね。私の名前はクローズ・ウォーム、クロとお呼びください。ちなみに魔王軍幹部です。……あれ? なにも反応がありませんね。もしもーし、聞こえてますかー?」
自身をクロと名乗った少女がシオンの眼前で手を振るが、既に心は臨界点を超えてしまっている。シオンはこの十年間で魔王軍幹部を三体屠っている。クロよりも魔力は低かったが、その内の二体は同時に相手をした。その時は怖いなんて感情は一つも感じなかった。おそらく目の前の幹部も魔力さえあれば充分対処できた相手だろう。
同じ幹部が相手だというのに感情がまるで異なる。変わってしまったのはシオン自身。いや、何も変わらなかったのだ。
「お願いします……何でもします……だから殺さないでください……」
結局精神性は子どもの頃から何も変わっていなかった。ただバフ魔法で虚勢を張っていただけ。自分が相手よりも強くなることで弱い心を晒さないようにしていただけ。命乞いをしながらそのあまりの情けなさに涙がこぼれていた。
「ふーん、やっぱあの女神の審判は正しいみたいですねー。自分より強い相手に媚びへつらう卑劣さ。勇者どころか冒険者としても論外。よくその精神性で今日まで生きてこれましたねーよちよち」
犬を愛でるかのように頭を撫でられなじられる屈辱。でもそれでもよかった。生きていられるなら、何でもいい。
「でもこれで余計なプライドも砕け散ったでしょう。あなたには勇者の才能も魔王を討伐する才能もない。あるのは魔王としての才能です。立ち話もなんですし場所を変えましょう」
シオンの髪や頬を一通り撫でて満足したクロは両の掌を横向きに合わせる印を組む。すると二人の身体を四角い結界が覆った。そしてその瞬間、景色が一変する。
「このダンジョンの勇者以外を阻む結界は、正しくは全ての者を拒みたかったが勇者だけは拒み切れなかった結界。元は勇者に追い詰められた魔王が逃げ込んだダンジョンがこの『勇者の宿』です。人々はそのダンジョンの上に王都を造り、事実上魔王を封印しました。今から数千年前の話ですから事実が捻じ曲がって伝わったのでしょう。そしてここはかつての魔王が余生を過ごしたお屋敷、ダンジョンの最下層です」
シオンの視界に映ったのは、ダンジョンの中だとは思えない光景。天井に空があり、辺りは草花が茂っている。中心には五階ほどのレンガ造りの屋敷がそびえ立っており、とても数千年前に建てられたとは思えないほどにしっかりとした造りをしている。
「ああもちろん元々こんな綺麗じゃなかったですよ。こういう外観になるよう、結界を張ったんです。すごいでしょう?」
クロが微笑みを向けてくるが、シオンは何も答えられずにいた。聞きたいのはそんなことではない。
「俺を……殺さないんですか……?」
「やだなー、殺すなんて一言も言ってませんよねー? もしかして何も聞いてなかったんですかー?」
殺されない。その事実に胸を撫で下ろすと共に、確かに何も話を聞いていなかったことを思い出す。聞こえてはいなかったが、聞きたいことは山ほどある。だがまずはこれだ。
「……あんたは何者だ」
「これは言いましたよね? 私は魔王軍幹部のクロ。歳はあなたより一つ上の16歳のかわいい女の子です。それよりもこう言った方が話が早いですね。人間ですよ、あなたと一緒の」
「……ありえない。あんたの魔力は人間のものじゃない。間違いなくモンスターのそれだ」
「それを言うならあなたの魔力もそうでしょう?」
そう突き付けられ、シオンは自分の身体の異変に気づく。クロの言葉通り、シオンの身体にはモンスターが纏う不気味なオーラが纏っていた。元々の魔力より、遥かに多いモンスターの魔力が。事実としてモンスターが扱う『火』の魔法も使えてしまっている。
「元々人間もモンスターも使う魔力は同質なんです。進化の過程で人間は体力同様力を行使する陽魔法を選び取っただけ。対してモンスターが使用する人間が言うところの不気味な魔力は、陰魔法というものです。陽魔法のように力に変換することはできませんが、陰魔法はその分質が高い。結界術は陽魔法にもあるけれど空間転移や空間変換はできないでしょう? 知恵はあるけど身体が弱い人間は陽魔法を。身体は強いけど知恵のないモンスターは陰魔法を選び取った。それだけのことで、使えると気づきさえすれば人間でも陰魔法は使用できます」
既存の学問とは全く見識の異なる説を淡々と唱えるクロ。その言葉が事実かどうか確かめる術はシオンにはないが、実際陰魔法を使えてしまった以上反論する言葉はない。
「だから稀にいるんですよ。生まれつき陰魔法が使えてしまう人間が。モンスターと同じ魔力を持つ子ども。当然周囲からは差別の対象です。だから早々に殺されたり捨てられたりするわけですが、私の生まれ故郷ではモンスターに生贄として捧げる風習がありました。そのモンスターを全員殺し、追手を殺し、帰る場所がないのでモンスターを殺しまくった結果魔王軍幹部まで昇り詰めたのがこの私、クロちゃんです。かわいそうでしょ?」
事もなさげににへらと笑うクロに、シオンは先ほどまでとは違い理解した上で言葉を返すことができなかった。自分もまたモンスターだと断定して怯え切った側。仕方のない状況ではあったとはいえ無意識に差別をしていた。
「……ごめん。酷い態度を取った」
「謝らないでくださいよ。なんせあなたもまた私と同じ立場になったわけですから」
おそらくウォルツはシオンを死んだと伝えただろう。それなのに生きて戻って、モンスターの魔力を漂わせていたら。アンデッドか何かになったと断定されて今度こそ確実に殺されてしまうだろう。もうシオンに、帰る場所はない。
「ところで魔王軍幹部は何人いるか知っていますか?」
「……ああ。計十体、強さ順に番号に振られている」
「大まかには正解です。そして私の番号は十。魔王軍の末席というわけです」
クロが革の手袋を外し、手の甲に刻まれた『10』という数字を見せつけてくる。
「さっき私は陰魔法を使う人間は稀と言いましたが、実際はたぶん、私が思っているよりずっと多くいる。何の罪もないのに殺される子どもがたくさん。私はその差別をなくしたい。だから魔王になりたいんです」
「……言っている意味がわからないんだけど」
「現在の魔王は力も衰え半隠居状態。幹部に下克上されないか怯えて逃げ隠れています。だからその魔王を殺して成り替われば、事実上魔王になれるというわけです。そうなれば大量にいるモンスターはまさしく手先。上手い具合に操ればこの腐った人間界の常識も変えられる。そうは思いませんか?」
「でもその魔王が見つからないんだろ?」
「加えて幹部同士はバチバチ。次に魔王になるのは自分だと表面上は仲良くしていても腹の底ではいがみあっています。つまり末席である私はおそらくその夢を叶えられない。私一人では」
「……それで俺の力がほしいってわけか」
クロの発言が脳ではなく身体で理解できた。自分の身体から溢れる陰魔法の魔力。女神に魔力を奪われる前よりも、遥かに量を増している。間違いなく才能がある。勇者よりも、魔王としての才能が。
「改めてお願いいたします、次期魔王」
再びクロは片膝をつく。そこに今までのふざけた態度はない。真剣に、心から、縋っている。
「どうか魔王を討伐してください」
魔王を討伐する。それだけを目標に生きてきた。その結末が、自分が魔王になること。皮肉にもその才能がシオンにはある。自分にしかできなことが、ここにある。
「……元より俺には選択肢がないんだ。魔王を倒す。それ以外は何もいらない。その結果俺が魔王になったとしても。俺は魔王を討伐する」
次期勇者として謳われながら、女神により全てを奪われたシオン・オーラ。何も持たない彼だけの魔王討伐への道が、今始まった。
これにて序章完結となります。次回から物語を進めていきますので、おもしろかった、続きが読みたいと思っていただけましたらぜひブクマと☆☆☆☆☆を押して評価していただけますと幸いです。何卒よろしくお願いいたします!




