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あの後、魔力が少し回復して、どうにか立ち上がれるようになった俺は、唯一手放さずに済んだ俺の旅荷物から毛布を取り出して老人にかけたあと、彼が気を失う間際に呟いていた"グラキエス"と言う言葉について町の人に聞いて回った。
あれだけいたはずの野次馬がいつのまにか一人もいなくなっていたことにも驚いたけれど、老人が倒れていたにもかかわらず、周りを囲むだけで何もしなかった人々に期待するだけ無駄かと思い直してさっさと聞き込みを始めた。
案の定、俺が話しかけると眉を寄せて訝しげな視線を向ける人が多かったが、何人かの住人からは情報を得ることができた。
曰く、グラキエスと言う家名はこの国の大公家のものらしく、王都に暮らしていてこの名を知らないものはほぼいないと言う。何でも現皇帝の弟が賜った爵位であり、王様の次に偉い人のことなんだとか。
何せ田舎のちっぽけな町に住んでいた俺にとって、そう言った貴族のあれそれや爵位がどうのこうのといった話は全くもって馴染みがなく、まるで物語の中の世界のような感覚であった。
兎にも角にも、どうやら老人が気を失う前に口にした言葉はこの国では大層有名なお貴族様の名前らしい。
少し悩んだが、このまま道端に放置していくのも後味が悪く、どうせ金も無くなったことで帰りを急ぐようなこともなくなったのだ。
それなりに休めたことでわずかに回復した魔力を使って少しだけ老人の周りの重力を操作する。本当は風魔術で浮かせた方が楽なのだが、あいにく風魔術を長時間使うことのできる魔力を俺は持っていない。何もない空間から魔法陣を媒介として風を生み出す風魔術より、もともとある重力を魔法陣を使って少し弄る重力魔術の方がずっと魔力量が少なくて済む。
見た目に反してかなりずっしりとした体格の老人であったため、重力を軽くしてもなお重い体を何とか背中に背負って、先ほど町の人々から聞いたグラキエス家へと向かって歩き始めた。
エリオットから逃げるようによたよたと歩いた貴族が住む区域へと再びよたよたと歩いて向かい、すれ違う貴族らしき人々からゴミを見るような目を向けられながら、何とか辿り着いたグラキエス家。俺は魔力欠乏症の症状に再び襲われていることも忘れて、ポカンと間抜けに口を開けた。
エリオットの家があった場所など等に過ぎ、むしろ王族の住むそれはそれは立派な城の方が近いのではないかと思うほどの王都の中心地にその家は建っていた。
俺の背丈の3倍は優に超えるほどの外壁に、腰に剣をぶら下げた屈強な騎士が守っている堅牢な門。
ふらふらになりながらも、チラリと先ほど見上げた外壁には俺が読み解くことなど到底不可能なほどの複雑な魔術がかけられていた。おそらく防犯目的であろうそれからは、魔法陣を構築した者の、何人たりともこの壁を壊させないという強い意志が汲み取れるほどの高度で緻密な魔術。
正直、その魔術を調べてみたくなって仕方なかったが、ずっしりと背中に感じる重みに何とか壁から視線を引き剥がし、そこからさらに彷徨った後に何とか正面の入り口らしき門を見つけた。
中の様子は認識阻害の魔術がかけられているらしくよく見えなかったが、ここまで厳重に守られている家なのである。大層立派なものなんだろうなと、現実味がなさ過ぎて一周回って冷静になってしまいながら、厳しい視線を向けてくる門番へと勇気を振り絞って声をかけた。
「あのお、すみません……。」
「……何用だ。」
今日1日で振り絞られ過ぎた勇気はとっくに尽きていたらしく、何とも情けない声になりながらもちゃんと聞こえていたことに安堵する。
だいぶ……いや、かなり怖い顔でギロリと睨まれて、できることなら何でもないです!と言って踵を返したかったが、そうもいかないのである。
「いえ、えっと……、大した用ではないんですが……あ、いや、結構大した用かもしれないんですけど……。」
魔力欠乏症の症状もあって少し頭がぼーっとしていた俺はそれな大層もごもごとした返事をしてしまった。
もともと険しい表情をしていた門番がさらに眉間に皺を寄せ、俺にとっては悪魔かと思えるほどの顔になった。
「馬鹿にしているのか……!用がないならさっさとここから立ち去れ!ここはお前のような貧相な格好の人間が来ていい場所ではない!!」
やけにピリピリとしていた門番はその顔のまま、ビリビリと空気が震えているのではないかと思うほどの大声で俺に向かって怒鳴ってきた。
そして、そのあまりの迫力に二の句が告げなくなった。しかし、一瞬の空白の後、俺はなぜか猛烈にムカムカとした気持ちが湧いて溢れる。
確かに、王都まで片道ひと月はかかるような田舎の町からはるばるやってきた俺はこの華やかな王都の人から見たら貧相なのであろう。今日の服装だって、王都に暮らしている弟に会うからと柄にもなく気合を入れて俺が持っている服の中では1番いいものを着てきたが、それだってここら一体に住む人々からしたら普段着にも劣る布切れなのかもしれない。
それでも、俺にとってはこの服は少ない小遣いをコツコツと貯めて買った一張羅だったし、別にここだって来たくてきた場所ではない。むしろ親切心で俺にとっては少ない貴重な魔力を使ってまで、人一人を背負って運んできたのにそんな言い方はあんまりだと思った。
そして、何をとち狂ったか、格好も貧相なら頭も貧相だったらしい俺は剣を持っている屈強な騎士へと向かって思いっきり叫び返した。
「俺はむしろ親切に人を送り届けてやったんですけど!?俺の格好が貧相だっていうんなら、こんな立派なもん守ってるくせにあんたは随分貧相な頭してるんだな!?」
「貴様っ……!!」
カッと顔を怒りで真っ赤に染めた門番はスラリと腰に下げていた剣を抜く。キラリと光を反射して眩しく輝く正真正銘の剣に、ハッと俺は我を取り戻した。
頭に血が昇って丸腰のくせして大胆すぎる啖呵を死ぬほど後悔したが、全ては後の祭り。死ぬほど後悔しても、本当に死んでしまっては意味がない。
慌てて、謝罪の言葉を口にしようとしたその時、俺の背中で老人がわずかに身じろいで、低く呻く。
「ううっ……。」
その何とも弱々しい声に、パッと俺の背を見た門番が驚いたような声をあげた。
「せ、セバス様!?」
俺への怒りなどすっかり忘れたように、剣を腰に戻すと俺へと向かって大股でズンズンと近づいてくる。思わず警戒するように半歩下がってしまった俺のことなど見向きもせずに、俺の背中から引ったくるようにして老人を奪われていった。
咄嗟に何も言うことができずにポカンとしていると、門番がどこからか取り出した小さな石に向かって叫んだ。
「セバス様が見つかった!呼吸は安定しておられるが、意識がない!至急医者を呼べ!」
そう告げた後砕け散った小さな石を投げ捨て、老人の肩を強く揺さぶっている門番に思わず声をかける。
「ちょっ、そんなに揺さぶったら……!」
「セバス様ー!!!」
そんな俺の声など聞こえないとばかりに、瀕死の人間へとかけるような何とも悲哀を含んだ声を上げる門番におろおろとするしかない。
そうして、門番も止めることができずに俺がなぜか気まずさすら覚えていると、門の方がにわかに騒がしくなり、その堅牢な鉄の扉が轟音を立てて開いた。
もうあんまりな展開にさっきから俺の口は開きっぱなしである。
ざわざわと何事かを逼迫したように叫びながら駆け寄ってきた人だかりによってあれよあれと言う間に老人は門の向こう側へと消え、ついでに門番も後を追うようにしていなくなっていた。
残ったのは、また轟音を立てて閉まってしまったとんでもなく頑丈そうな門と、口の中がカピカピに乾燥してしまうほどアングリと口を開けた間抜けづらの俺だけだった。




