プロローグ
早朝、ホームルーム前の教室内は雑音が多い。その殆どがクラスメイト達の話し声なのだが、やれ昨日のテレビがどうの恋人がどうだのと、くだらない話で唾を飛ばしている。
高校二年に上がって一ヶ月が過ぎた。その間に形成された新たなコミュニティ、クラス内グループはほぼ完成されている。リア充はリア充と、オタクはオタクと、残った中間層はそこいらで固まる。
普通に生活していれば大概どこかのグループに属することが出来るはずだし、まして高校二年にもなって友達が一人もいない奴なんてそうそう居るもんじゃない。
ただし、彼一人を除いては。
机に頬杖をつきながら、周囲の雑音を煩わしく思って溜息を吐いた。
雨宮優、それが彼の名前だった。背丈は平均、一般的な黒髪にそこそこの容姿、運動もそれなり、成績もまずまず。友人と呼べる人間が居ないこと一点を除けば、どこにでもいるごく普通の高校生だと思う。
ただそんな彼が、ある種呪いの如く常々心に思うことがある。
――俺は、人間が嫌いだ。
つくづく思う、人間とは信用出来ないものだと。奴らは平気で人を騙し、人を裏切り、人を傷つける。人として最も醜い行為、されど人間社会ではそれが当然のものであって、誰もが常習的に行うものなのだ。それをこれまでの人生幾度となく見てきたし体験してきた。いい加減にうんざりしていた。奴らの汚い嘘も建前も、醜い欲を秘めた偽善にも。
ユウは常々思っている。出来ることなら誰とも関わらず生きていきたいと。しかし現代社会で生きる上で、それは不可能に近いのだ。ならばどうすればいいのだろうか。どうすればなるべく人と関わらず、かつ自分にとって生きやすい世界になるのだろうか。
考え悩んだ結果、彼がひとつたどり着いた答えがあった。
「――ねぇちょっと、聞いてる?雨宮くん、昨日先生に貰ったプリントまだ提出してないよね?早く全員分集めて持ってかないと、私が怒られちゃうんだけど」
突然傍らから話しかけてきたのはクラス委員長の女子だった。今どきセンスの古いおさげと丸眼鏡、鼻先のそばかすと我の強そうな目付きに圧迫感すら感じる。
彼女はクラスの間でも口うるさくて評判の女だった。
――ちっ、うるせえ女だな。
心の中で舌打ちしたあと、ユウは即座に万遍の笑みに切り替えた。
「ごめんね委員長、すぐに提出するよ」
「え、う、うん……」
委員長は突然のユウの笑顔を前に、少し驚いた様子を見せた。
ユウは経験則で理解している。
こういう場合は反省の色を見せつつも子犬みたいに笑うのがいい。あとは適当にそれっぽく。
「それと、いつもありがとね。クラスのために色々と」
「え?」
「ほら、委員長ってだけで普段からクラスのこと気にして色々やってくれてるでしょ。放課後教室の掃除とか、騒いでる人注意したりとか、このプリント集めだってそうだ。俺、前から委員長のことちょっと尊敬してたんだ」
「そ、そんな……私は別に……」
「だからありがとね。迷惑かけちゃったお詫びって言うとあれだけど、何かあったらいつでも言って。俺でよければいつでも委員長の力になるから」
ユウが笑顔でそう言うと、委員長は顔を赤くして視線を逸らしてしまった。
「あ、ありがとう……そ、その、私全然怒ってる訳じゃないからっ。あと、プリントも昼休みまでに提出してくれれば全然大丈夫だしっ、なんなら先生には私から言っておくし……そ、それじゃっ」
顔を赤くしたまま委員長は自分の席へと走り去った。その背中を見送ったあと、ユウは心の中で口元を釣りあげた。
――ほーら簡単だ。これでまた俺が生きやすくなる。
よくもまあ心にも無いことをこれだけ並べられるものだと、いっそ自分でも感心する。
しかしこれが彼の生き方だった。人との関わりは最小限に抑え、必要な時にだけ偽りの笑顔を作り自分が生き易くなる為に嘘をつく。皆やっていることだ。だから自分もやるのだ。人を騙し、裏切り、傷つける。
当然だった。
人はいざ自分の為とあらば他人を蹴落すことだって厭わない。そんな卑劣な奴らの溜まり場で、彼はこの一生を生き抜かなくてはならないのだから。当然、ユウにだってそれと同じことをする権利があるはず。そうじゃなきゃ狡い、不公平じゃないか。
そうして彼が選んだ生き方は、大嫌いなアイツらの真似事だった。だからきっと彼は、そんな自分さえも――。




