第四話
「ソラ。客が来てるぞ?」
「え、なんで?」
ソラは今誰にも話さずここで働いている。ろくに街を出歩いた記憶もないので客が来るはずもない。
ついでに、臨時で雇われている扱いのソラのところに直接城の人間が訪ねてくることもない。要望は部署宛に届き、ソラはそれをこなすだけだ。
「誰?」
「ルイシュって言ってた」
「は?」
「竜人の男だったぜ?」
ソラは頭を抱える。
まさかここにルイシュが来るとは思わなかった。いや、同名の別人という可能性もある。竜人で、同名の、別人? 恨み言を言いに来た? 一番いいのは薬が足りなくなったから追加で譲って欲しい、という話か?
いくつかの選択肢が浮かんでは消える。
「嫌なら断るか?」
「うーん。でも取り次がれたってことは、多分先方には私が居ることバレてるよね?」
「なんだ? あいつ嫌いなのか?」
「嫌いっていうか、嫌いではないんだけど」
「暴力をふるう旦那、とか?」
「まさか」
「逃げるほど嫌なら、オレが何とかしてやろうか?」
ソラは少し考えて、首を振った。
ダリオのなんとか、は多分穏便ではないだろう。ソラだって多分、ダリオに頼まれたら穏やかとは言い難い手段で対応する。それが一番簡単で確実だからだ。
「いい」
ソラはマントを羽織る。
「どこ?」
「裏口」
「ん。ありがとう」
ソラは廊下を真っ直ぐにスタスタと歩く。
下働きの出入りに使う裏口に向かうと、ルイシュが不機嫌そうに立っていた。
とりあえず、最も可能性の低かった同姓同名の別人説は頭の中で取り消し線を引く。
「久しぶり、ルイシュ」
「……ルラだ。久しぶりだな」
「よく見つけたね。とりあえずここじゃなんだし、外行こうか」
ソラがそう言うと、ルイシュはおとなしくついてきた。
とりあえず即殺したいほど憎まれているわけでもなさそうだ。保身だろうか。こんなところで剣を抜いたらルイシュのほうが危ない。
城下に向かったものの、ソラにはここの土地勘など無い。ほとんど王宮にこもりきりで仕事ばかりしていた。
「えっと、宿はどこ?」
「『金のうさぎ亭』」
「手間かけて悪いけど、案内してもらっていいかな。食事する場所ぐらいあるでしょう?」
「……あぁ」
ルイシュがあるき出したので、その後をついていく。
ルイシュは無表情で、何を考えているのかわからない。
そう長く歩かないうちに、『金のうさぎ亭』の看板がかかった宿に着いた。ちょうど昼食の営業を行っているようで、空いている席に座る。
「ご注文は?」
「えっと、鶏肉の蒸し焼き定食、一つ。あとお水ください」
「同じのを」
「あいよ。鶏肉の蒸し焼き定食二丁~」
注文が通ると、すぐに水が2つ運ばれてくる。
ソラは、とりあえず一口水を飲んだ。ルイシュはただ黙ってソラを見つめている。
居心地の悪さに、ソラは目線をそらした。
「なんの用? 恋人ができたから番にしてほしい? 薬が足りなくなった?」
「料理、来てからでいいか?」
「え、うん。もちろん」
程なくして、料理が運ばれてきた。
ルイシュはまるで話をする気がないように、食事を食べ始める。ソラは小さく挨拶をつぶやいて、料理に口をつけた。
食べ終わって、食器が下げられる。
もう帰りたかったが、まさかそういうわけにもいかないだろう。目線で様子を伺うと、ルイシュと目が合った。
慌てて目をそらす。
「あんたを、迎えに来た」
ルイシュははっきりとそういった。
「そう、私は……」
「とりあえず両手を机の上に出して、手のひらをつけろ」
ルイシュの言葉にしたがって両手を机の上に置く。
ルイシュはソラの手を上から押さえつけた。
「ルイシュ、あの」
「こうしておかないと逃げるだろう」
ソラは目を細めた。
ルイシュの言うことは、確かにそのとおりだった。片手が動きさえすれば魔法を発動させることはできるが、直接魔法陣を刻んでいるわけではないので魔法を使うことはできない。
「よく見てたね」
「俺も少しは学習する」
「そう、残念。何の用?」
だがつまり、ソラが逃げたくなるような話なのだろう。ため息をつく。
「今更だけど仕事中だから、手短に」
「嫌だ」
「……へぇ」
ルイシュの視線が刺さる。ソラは重ねられた手のひらを見ていた。
暫く会わないうちに、少し手のひらが大きくなっている気がした。
「俺は、確かに他の竜人が羨ましい」
一瞬、何を言われているかわからなかった。
だがそれが、最後にあったときの問の答だと気付いて、何故かソラは胸の痛みを感じる。
もうすでに逃げ出したくなって、何とかこらえる。
「番が家にいて、誰にも会わせないで俺だけを頼ってくれるのが羨ましい。番を見つけたあの瞬間、番のことしか考えられなくて今までにないほど満たされて、あれがずっと続くなんてどれだけ幸せなのかとも思う」
「そう」
「番を守ってやりたいと思ってたし、今だってソラの身に危険があるなら何でもするつもりでいる」
「へぇ。私は……」
「でも俺は、それでもソラがいい」
その言葉に、弾かれたようにルイシュを見た。
想像に反して、ルイシュは穏やかな顔をしていた。その理由がわからなくて、ソラは置いていかれたような気分になる。
「何故?」
「ソラが俺の番だから」
「誰でも番にしてあげるって言ったでしょう?」
「誰でもいいならソラがいい」
「だから、何故?」
「俺にもわからない」
ぎゅっと、握られる手に力がこもる。
「ソラが本当に番じゃないなら、俺はソラから興味を失うはずだ。今だって、あのときの幸福感はない。というかソラといると不愉快なことばっかりだ。他のやつとは簡単に会うし、逃るし、俺のことを見もしない」
「今日は随分良くしゃべるね」
「あんた俺のこと馬鹿だと思ってるだろう」
「まさか。相容れないと思ってるだけ」
ソラはゆるく首を振った。
「で、どうするつもり? 何が目的?」
「俺の話を聞いていたか?」
会話を思い起こす。
「え、つまり私といると不愉快なんでしょう?」
「違う」
ルイシュは眉をしかめた。
「そうじゃない」
「結論は?」
「結論……」
自分で聞いたのに、その結論を聞きたくなくて、ソラは手を振り払おうとしたが、ルイシュの手は離れない。
「もういいでしょう? いい加減離して」
「まだ話が終わってない」
「じゃあ結論は何?」
「ソラにそばにいてほしい。ソラの側にいないと、苦しい」
「くるしい……?」
ソラは首をかしげた。
その答えは想定になくて、手から力が抜ける。
「苦しいって、どういうこと?」
「ソラがいないとどこで何してるのか気が気じゃない」
「……心配ってことかしら?」
「多分……そう、なのか?」
「私に聞かれても」
「あんたか他の奴に笑いかけて、他のやつとその……せ……せい……」
「性交?」
「……したりとか、してると思うと苦しい。内臓が焼けるみたいだ」
「んー。嫉妬心?」
「そうなのか?」
「多分?」
「で、ソラは?」
聞き返されてソラは目を丸くした。
「え?」
「なんであんたは俺から逃げるだけで、俺を殺さなかったんだ?」
そう問われて、何故その選択肢を取らなかったのかを考える。
いくつも理由が浮かぶが、そのどれも弱い気がした。
「別にあんたなら簡単だっただろう? あの……名前を覚えてないが、竜人の、あんたを番だって言った」
「パトリツィオ」
「それ。とおんなじ手をとるだけだろう?」
「んー」
ソラは眉をしかめる。
「一番最初は、幼体と成体の両方で血液を入手できたから、薬が作れるな、と思って。私の研究における課題の一つとして、竜人の番の問題があったから。薬の実験材料として条件が良かったの」
「研究?」
「そう。竜人の番でなくなる薬と、逆にニンゲン……どちらかといえば淫魔かな。に、番を作る薬。私の研究の中で作ってみたい薬の一つだった」
「……なにか意味があるのか、それ」
「番でなくなる薬は、淫魔にとっては多大な意味がある。理不尽に家族と引き離されなくて済むから」
もし番でなくなる薬が完全な形でできたなら、不本意に番にされてなく女性はいなくなるだろう。
逆に淫魔に番を作る薬ができたなら、竜人を番として認識させればいい。それだって泣いていた女性は幸福になれる。
「死ぬことは無いと思ってたけど、死んだら死んだだし。薬が効いてないなら追いかけてくるだろうと思って」
「まぁ……そうだな」
「で、ルラが家に来て、気づいたの。薬は効いていると言うけど、その割にとても面白いことになってるって」
「面白い?」
その言葉に、ルイシュは首をかしげる。
だがあの時ソラは確かに高揚していた。そうでなければ恋人なんて提案もしなかったに違いない。
「えぇ。だって面白いでしょう。確かに番ではなくなったようだった。竜人が番に見せるような盲目的な仕草をあんまりしないし。何より性交できないみたいだったから。なのにルラは私に執着している。これはなにか、と思った」
「あんたは俺を標本だって言ってたな」
「そう。薬の効果が甘いのかな、と思ってみたり。なら何故性交できないのか、今のルラの話を聞くなら、嫉妬心を抱いているみたい。でもルラは、私の仕事には全く意味を見出している気配がない。私が持っているのは仕事ぐらいなのに、それに対する嫉妬でないなら……つまり、ルラは私に恋慕を抱いているようにも見えた」
「恋慕?」
言われて初めて気がついた、と言わんばかりにルイシュは目を見開いた。
「ニンゲンがする恋というものに、近い気がした。それが私の研修の最終課題の一つ。淫魔が捨てて、竜人が何よりも上に置く、恋とは何か。ニンゲンと亜人の差をそこだと思っていたから。そうではない、と思わせるルラが、私にとっては、殺すのが惜しい」
「どういうことだ?」
「私は、竜人が番を見つけてそばに置きたがるその感情をこそ、恋というのだと考えていた。番を見つけた竜人と、恋をした竜人に違いがあるのなら、番を持っている竜人は恋をしているわけではない、ということになる。つまり淫魔と、ニンゲンの違いは恋をしないことだけど、竜人とニンゲンの違いは恋をしないことではない、ってことでしょう?」
番に対する執着が恋慕ゆえでないことを気づかせてくれたのはルイシュだ。
そして執着と恋慕はそもそも違うものなのだ、ということを教えてくれたのも、ルイシュだった。
「そう……か?」
「だから、面白いと思ったの。でもそう……あれを殺したとき、ルラが白い顔していたから罪悪感を抱いたの。私の好奇心に付き合わせて、ルラの一生を台無しにするのか、と想って。それってなんて可哀想なんだろう、って。思ったから離れたの」
話しながら自分の答えが固まっていく。
「だから『何故俺を殺さないのか』に対する答えは、『好奇心と、憐憫』」
「好奇心と、憐憫……?」
「そう」
「なら、それでいい」
ルイシュの瞳は穏やかに見えた。
「それでもよければ、ソラは俺のそばに居てくれるのか?」
そう問われて、ソラは自分の言葉を検証する。
なるほど、確かに別にルイシュがそれでいいのであれば特に問題ない。
「んー。そういうことになるね。多分」
「ソラが他のニンゲンにそれを抱くことはあるのか?」
「えっ?」
ソラは首をかしげた。
何を問われているのかはもちろん理解しているが、何故それを聞かれているのかはわからない。
「好奇心は、抱くはず、だけど。憐憫……そうだね、憐憫、も、ある」
懐かしい記憶が蘇る。淫魔に恋をしたニンゲンの背中。
「そいつは?」
「何?」
「あんたが好奇心と憐憫を抱いた相手は誰で、そいつは今どうしてる?」
「両方一緒に抱いた相手は、母親で、10年位前になくなった」
「……母親に憐憫?」
「そう。実りもしないのに、淫魔の父親に惚れ込んで、独占も許容もできなくて、耐えきれなくて私を連れて淫魔の里から逃げた母親が、哀れだと思ったの」
母親はいつも父親といる時、どこか悲しそうだった。
淫魔である父親が母親一人のものにならないことは、最初から理解していたはずなのに。それでも父親が誰かと共にあることが母親には耐えられなかったようだった。
「それと同時に思ったの。普段冷静な母親をこうまで狂わせる、恋とはどんなものなんだろう、って」
ルイシュはため息をついた。
ソラの手を片手にまとめて、懐から袋を取り出す。
「受け取ってくれないか」
その袋はソラが投げたそのままだ。きっと中身も変わっていないだろう。
だが今両手は抑えつけられている。
「えっと、今は無理かな」
「受け取ってくれるなら、手を離す」
「中身は?」
「……ピアスに加工した」
「えっと、求婚ってこと?」
「あぁ」
勘違いでなくてよかった。ソラはそう考えてから、流石にそれはないな、と思い返す。
どうしたらいいのだろうか。当然求婚されたことなど無い。
「ルイシュが良ければ良いけど」
「だから、俺はソラがいい」
ソラは少し悩んで、うなずいた。
「わかった。いいよ。ルラがそれでよければ」
「ん」
ルイシュは手を離す。
「あ、でもまだ仕事中だから。取り合えず仕事やめて戻るまで少し時間がほしいのと、ピアス、穴開けなきゃいけないよね?」
「……そうだな」
「穴開ける針用意しておいて。とりあえず、今の私の部屋泊まったら? 宿引き払ったら案内するけど」
「なぁ」
「何?」
「あんた、俺と一緒にいて、楽しいか?」
そう問われて、今までを考える。
ルイシュと出会ってから、ずっとルイシュのことを考えて何かを作っていた気がする。
耳まで熱くなって、ソラはうつむく。
「私は、ずっと楽しかった。それに私、意に沿わないことはしない」
これにて完結となります。
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