戦記38.諜者、進む先
「――あの石像の裏、誰かいます!」
眼下に広がる庭園。その一カ所を爪で指し示すエミカの隣に立つと、確かに座り込んでいる黒い人影らしきものが見える。
「コロナさん、このまま下に!」
悠長に階段を使っている暇はなかった。エミカがしゃがむと私たちがいた縁沿いの一区画は陥没し、音もなく水平に降下を開始する。そのまま垂直に底に広がる庭園へ。降り立つと石像に向かい私たちは一目散に駆け出した。
血に染まり、赤に滲む一面。
到着したその場所では両膝を突いた男がフリルのドレスを纏った小さな少女をそっと抱きかかえていた。
「アロン・ローズファリド、無事か……?」
すぐに名を呼んだが反応はなかった。ただその表情は険しく歪んでいる。死に絶えた敵の少女を身じろぎもせずじっと見つめているアロン。心情を察するだけならばそれで十分だった。
詳しい経緯は憶測する他ないが、少女が死に至る一部始終を彼が目撃したのは間違いないだろう。もしかすれば敵である相手ですら彼は助けようとしたのかもしれない。
「あの、私、アリスバレーで冒険者をやってるエミカって言います。スカーレットに頼まれてお兄さんたちに会いに来ました」
「……ス、スカーレット? 今、スカーレットと言ったか……?」
「はい」
「なら……君は、妹の……?」
「友達です」
悲痛な面持ちに二の句が継げない。そんな私に代わりエミカがここまでの事情を伝えてくれた。説明を受けたアロンはそこから急速にショック状態から立ち直ると、少なくとも表面上は平静を取り戻してくれた。
やがて会話にも支障がなくなったところで私たちは彼の身に起きたことを知った。
「俺は、この子を助けてやれなかった……」
「アロン・ローズファリド……。だが、その者は賊徒だ。多くの無関係な人々に被害を与えた大罪人だ。貴方が悔やみ自らを責める必要など――」
「だとしてもだろ! 誰であろうと人がこんな死を迎えていいわけがない!!」
「………………」
すべては彼を思っての発言。そのはずだった。しかし叫び返された瞬間、その言葉が自らの犯した罪の言い訳でしかないことに、私ははたと気付かされる。
アロンは知る由もない。
それでも、まるですべてを見透かした如く。
過去、勅命により一人の大貴族が暗殺された。目撃者はいたものの犯人が捕らえられ処罰されることはなかった。だが時を経て、回り回って今日、遂に咎人は糾弾された。そして、愚か者は思い知る。
どんな理由があろうと正当化していい殺人など存在しない。
アロンの反論は正しい。
そんなことは疾うに理解し、呑み込み、覚悟していた。
それにも関わらず、意識の深いところでは未だ詭弁を要する自分が存在する。
理由は明確だった。
罪から逃れたい。
その一心が私を情けない者にする。
「どうして殺したんだ……。どうして、どうして……」
アロンの呪詛にも等しい呟きが聞こえる。
俯く自分には彼の表情はわからない。
今はその感情に触れることすら恐ろしい。
私は、弱い人間だ。
長姉が齎した結果を擁護することは許されない。
なぜなら、また私自身も彼女と同じ。
同族であり、同属。
だから言葉はない。
ただ、閉口する他ない。
言い訳も、懺悔も、するべきではない。
無言であれ。
無感情であれ。
口も心も動かしてはいけない。
どれだけ、痛みを感じようとも――
結局、これが答えか。
こんなことが、求める正解か――
いや、違う。
何かあるはずだ。
この先に、まだ何か、別の――
「私も、王都の祠でこの子と戦いました。あのときはリリが危なかったから」
全身から血の気が引き絶望の淵に沈んでいくような感覚の中でだった。ぽつぽつと静かな雨音に混じってエミカの声が重なっていく。
「もしリリが怪我したり酷い目に遭ってたら。私も、ティシャさんと同じことをしたのかも……」
馬鹿な。
そんなわけがない。
エミカ、君は違う。
私たちとは――
息苦しさに胸が詰まり庭園の底から空を見上げると、雨雲はより暗雲を深めていた。
暗い。夜が近付きつつある。
パメラも時間を稼ぐため今この瞬間にも二人の姉相手に全力で戦っているはず。いつまでもここでこうしているわけにもいかない。
とにかく長兄のアロンも保護できた。これで三兄弟、全員の無事を確認。目的は達したのだ。もう何を考慮するまでもない。もう十二分。引き上げるべきだろう。これ以上の先は、今は、求めるべきではない――
以前までの自分であれば、それで納得していた。
自分を諦めさせることができていた。
しかし、もう私は一人ではなかった。
たとえどれだけ困難な道であろうと共に進んでくれる仲間がいた。
「でも、こうも思うんです。もし私がティシャさんと同じ選択をしてたら、苦しくてとても平気じゃいられないなって。それはティシャさんだってきっと……ううん、絶対に同じのはずです」
優しい。
そして何より、それは強い者の答えだった。
「……このままでは帰れない。エミカ、それが君の答えか」
「はい! やっぱ誰かが傷付いてまで誰かを傷付けるなんておかしいです。それに今ティシャさんがつらい思いをしてるなら、私たち以外に助けてあげられる人なんていません!」
私一人では到底導くことはできない答え。
斯くして力強く道は示された。
とにかく、今は一刻でも早く追いつき話を。
あの長姉と、対話をせねばならない。
たとえどういった結果になろうとも。
そして何より、自分自身が、変わるためにも――
「わかった。その役目は私が果たそう。エミカ、君はここに残ってくれ」
「何言ってるんですか。もちろん言い出しっぺの私も行きます」
「しかし……」
「俺は大丈夫だ。行ってくれ」
未だ少女の遺体を優しく抱えるアロンとその場で目が合うとだった。彼はすべてを悟ったように言った。
「それにもう少しこの子の傍にいてやりたいんだ。人を憎む他なく、殺される他なかった、この子の傍に――」
すでに周囲に脅威はなくとも行動としては間違っている。そう断ずる他ない。それでも死んだ少女を慈しむアロンを残して、私たちはさらに進むことを選んだ。
目的を越えて。
石像の台座の裏。そこに開いた隠し扉の入口。
まだ新しい血の痕跡は私たちを導くように点々と地下に続いていた。











