#9
都市全体が巨大な宝石箱の様なタイムズスクエアの道路を、ジニーの運転する箱型ベンツ(Gクラス)が傍若無人に駆け抜けている。助手席のジェナは涼しい顔だが、車内の揺れ方はまるで竜巻に呑まれたかの様な苛烈さだ。
「なあ……うわっ!……なあ、ジニー。さっきの…イテッ、さっきの、人達って……警察だろ?」
レストランでボコボコにやられていたモーリスが後部座席で脇腹の痛みと烈しい揺れに耐えながらジニーに話しかける。
「警察っていうかDEAだよ。麻薬取締局」
「そっちか……なるほどね」
「しゃらくせぇ奴らだろ?全くよ」
チッ、と舌打ちが響いた。
「あのデレクって人、ブラッドリーとかダンフォードがどうとか言ってたけど……その二人はお前らの知り合いなのか?」
「馬鹿言うない!知らねえよ」
(知らないわけがあるかよ……)
モーリスが喉元まで出かかった言葉を堪えると、それを見ていたジェナが
「ねえジニー。もうそろそろ話してやったら?あんたの、"成り立ち"をさ。おっさんだけがあんたの事を何も知らないってのはやっぱり良くないよ」
と諭した。
ジニーはぶすっとしていたが、やがて聞こえよがしの大きな溜息を吐いた。
「ああ、もう!分かったよ。ええっと、ダンフォードって奴には昔ちょっとだけ面倒を見てもらってたんだ。ちょっとだけな!で、ブラッドリーはその舎弟さ」
「面倒を見てもらってたって言うのは……仕事の面でか?」
「いぃーえ!違いますよモーリスの旦那!!ダンフォードさんはまだ小さかった頃の私の面倒を見てくれてたんです。ええ、そうです!もしかしてそんなクソ話を聞きたかったりするんですかぁ?でも運転中はあんまり話し込みたくないなぁ〜!いやぁ、どうしま……」
「聞きたい」
「あ?」
「聞かせて欲しい。だって俺はお前の事をまだ何も知らない」
脇腹の痛みも忘れて、モーリスは身を乗り出した。
「ジニー。俺はさ、これでもお前には感謝してるんだ」
「あぁ?おめえそれ……は?」
あまりに予想外だったモーリスの言葉に、ジニーは困惑した様子だ。
「もう一遍ボコられてぇって事か?……げっ、もしかしてドMだってカミングアウトしたのか?」
「違うよ!」
「いや、だってブン殴られて感謝ってそう言う事だろ?」
「違う、そうじゃない。ただ……立ち直らせてくれたなと思って」
「は?どゆこと」
「最初に会った時を覚えてるだろ。俺は戦友を失って、死ぬ思いで食らいついていたレンジャーにいる気力も無くなって……ホームレスみたいに広場を彷徨っててさ」
「あー。『やばい目つき』だったアレか」
「そうそれ。で、お前に誘われるがままについて行ったらこんな世界に入っちまって、最初は後悔したし今も肝が冷えっ放しだけど……」
モーリスが言葉を探す間に、何となくジニーの顔つきが変わっていくのが助手席の窓に反射して映るのを、ジェナは見つめた。
「それでも今はなんかこう、仲間が出来たみたいでさ。ちょっと昔を思い出したっていうか……結構楽しかったりもするんだ」
「何だそりゃ。何を言うかと思えば」
「まあとにかく、おっさんは本当に有難がってるみたいね、ジニー。人から感謝されるなんて珍しいじゃん」
「からかうなよジェナ。何言ってんだよ……」
「だからさ」とすかさずモーリスが切り出した。
「仲間の事は知っておきたいんだ。今までどんな人生だったのかなって」
食い下がるモーリスに女狂竜はもうすっかり静かになっていた。
「あたしの人生か。何だか妙な人生だったさね……」
ジニーは道路の路肩にベンツを停めると、ハンドルにもたれ掛かった。
「チッ、まあいいさ話してやるぜ。実を言うとだなモーリス。あたしはここらのギャングに間抜けにも拉致られてきたイギリス人なのさ」
「えっ!」と驚くモーリスの顔がバックミラーに映った。
「面倒だからもう一気に行くぜ」
ジニーは淡々と話し始めた。
「7歳ぐらいん時か。学校で算数やってる間に両親が揃ってトラックに轢き潰されてよ。ひでぇもんだろ?」
ジッポライターの音が車内に虚しく響いて、ジニーがタバコに火を点けた。
「それで、母ちゃんの弟……悪りぃ、叔父さんって言った方が分かりやすいわな……に、預けられたのさ。その叔父さんってのが警察官でよ」
「え。警官!?」
「な!こうなっちまうと皮肉なもんだ。しかもさ、あの家系は何かと華やかなんだぜ。叔父さんが警察官ならその女房は舞台女優。おまけに娘まで演技の才能豊かと来てる。そりゃ確かに、後々こんな汚物に成り下がる運命だったあたしなんかが一緒にいちゃいかんわな」
「ジニーお前、家族がいるのか?イギリスに」
「おう、まぁな。あたしだって天涯孤独ってわけじゃねえよ」
「あー……そう」
「まあ、これでも家族の愛情には不自由しなかったかな。みんなで……大事にしてくれたなって、今でも思ってるよ」
ジニーの口から「愛情」なんて言葉が出てくるとは。この短時間でモーリスは何度驚いただろう。
「だが、そんな幸せも3年間で終わりさ。10歳の誕生日を祝ってもらった1週間後には、あたしはギャングスターの薄汚ぇ詰め所でぐるぐる巻きにされて、捨て犬みてぇに震えてたってわけよ」
「最初に言ってた話か。身代金目的でお前を?」
「いや、狙いはあたしじゃなくて従姉妹の方」
「じゃあ、つまり……」
「ククッ、そう。ギャングの末端なんて馬鹿ばっかだからさ。人違いをやらかしたのさ。あたしと従姉妹は全っ然似てねぇのに。きっと泡食って攫ったんだろうな」
「でも、それなら」
「ん。普通に殺されるか、野郎共の機嫌が良けりゃ解放されたかもな。或いは、別の金儲けに使われるか」
『別の金儲け』それが何であるかを、モーリスはわざわざ聞けなかった。
「まーそういうこった。変態共の玩具にすんのか、内臓バラして売るつもりだったのかは知らねぇが、アメリカまで連れて来られてさ。その後はこれまた小汚ぇバンに乗せられてよ」
「で、そこで上手いこと逃げたってわけか」
「は…んな余裕があるかよ」
「え?じゃあどうやって……」
「いや、まあ、こっからも長ぇんだけど……はぁ〜、話すのかよもー」
ジニーが煙草を指に挟んだ手で頭を抱えた時だった。
「いや、そっからは後にした方がいいわな。さて、お客さんだ」
それまで黙っていたジェナが思わぬ来訪者を告げた。
「お客さん?」
モーリスは外から車内を覗き込むお巡りに思わず「げっ」と呻いた。
「うわー制服だムカつく!」
ハンドルに突っ伏しながらお巡りの方に顔を向けたジニーがそう叫んだ。