#11
夜のシカゴ。暗くなった埠頭に一人の男が立っていた。スラリとしたスーツの上にザラついた光沢のある黒いコートを着たその初老の男は、黒光りする海面に摩天楼のネオンが映っているのを、ポケットに両手を入れて眺めている。
男の名はウィルフレッド・ダンフォード。巨大なマフィア組織の頂点に立つ影の権力者だった。
海面の黒い鏡の中に自分の所有する高層ビルを見つけて眺めるのに、最近はまっている。 何故だかそうする事で自然と色々な想いが頭を巡り、全てが懐かしく思えるのだ。それが何とも心地良かった。
そういえば、と懐かしい思い出の中から一つを取り上げた。
(もしアイリスが生きていたら40半ばといったところか……)
かつて自分の下についてくれた敏腕のフィクサー。その仕事はとにかく的確かつ冷酷で、相手に有利な条件をことごとく排除して、あらゆる調停を思い通りに操っていた。
そんなアイリスは氷で出来ていているのではないかと思えた。
しかし、ここでダンフォードはいつも考え直す。
今でも鮮明に覚えている。いつの頃からだったか、アイリスがとても小さな女の子を隣に連れて歩く様になったのを。
そして、そっくりな二人を見ている間、自分は家具屋の社長にされていた事も……。思い出すだけで笑ってしまう。
(ジニー。元気にしてるらしいが……)
今ではすっかり嫌われてしまった。いつかまた顔を合わせて話せる日が来ると良いのだが……。
「ボス、失礼します」
ぼんやりと考える頭を覚ますかのように、背後から呼ばれて振り返ると、若い男が立っていた。側近のルディ・マレットだ。
「今クレイグ班長から連絡がありました。ブラッドリーはもう蜂の巣です」
「そうか……」
「どうかされまれましたか?」
「ジニーの事を考えていたんだ」
「ああ、ジニー……。この間のナツの話では相変わらずの無茶っぷりを発揮しているようですね。それに、新しい手下も引き込んだとか」
「そうらしいな。だが、俺はあいつの顔をもう9年以上見てない」
「心配ですか?」
「まさか。アメリカにいる内は何も心配する事はない」
言い切った後の穏やかな潮の音が、ダンフォードを少しだけ孤独にさせた。
やっぱり思い切って会いに行ってみようかという気持ちが脳裏によぎったが、やめよう、顔を真っ赤にして怒られるのがオチだ……。
「それにしても」
いつの間にか、ルディが隣で海を眺めていた。
「あの子がイギリスに帰らずアメリカで荒ぶってる理由は私も何となく分かりますが……本当に無鉄砲というか」
「まあ、そう言うな。……すまない事をしたもんだよ」
「不可抗力ですよ、あれは。というより、アイリスの道楽が過ぎたんです」
「まあな」ダンフォードがくつくつと笑った。
「こんな場所で生きてりゃ、いつかはああなる日も来るってのは猿でも分かる筈だったんだがな。ボーッと眺めていたせいで、遂に誤魔化しが効かなくなってしまった。んで、全てを知ったジニーはグレてしまったわけだ」
ダンフォードは目を閉じる。澄まされた耳の奥で、
『ダンおじちゃん』
と呼ぶ幼い声が聞こえた気がした。
「バカめ。その気になりゃあ、さっさとイギリスに帰せたろうに……」
そうだ。不可抗力などあり得ない。俺はアイリスの隣で大きくなっていくジニーを見ていたかった。
人生でただ一つの後悔によって呪われる自分の心を、ダンフォードは波の音に任せた。
「それにしても、あのジニーがもう22歳になったわけですか……」
ルディの声が、冷たい波間からダンフォードをすくい上げた。
「最初に見た時は無力な子猫みたいでした。最後に見た時はキャンキャンうるさい犬っコロ。それが今じゃニューヨークのギャングの間でドラゴンになったんですよ」
「ああ、そうだったな……。畜生、ジェナめ。銃の使い方なんか教えやがって……」
「本当、やれやれですよ。あの狼女」
「狼が犬っころを育てて龍にしたわけか。すごいもんだな……」
「ボス、楽しそうですね」
「まあな……」
ダンフォードはそっと呟いて、水面に映る自分を見つめた。
◆
夜の深くなったニューヨーク。非現実的なその煌めきは、夜空から見下ろす星の光を跳ね返し、霞ませる。
正々堂々とした飲酒運転のジニーの箱型ベンツの側を、いくつもの攻撃的な点滅が鋭利な音の刃と共に疾走していく。
「さっきからやたらとパトカーが走ってないか?」
後部座席の左側にいたモーリスが誰にともなく言った。
「うは!流れ星みたい!この世の終わりや!!」
運転手のジニーのテンションは火を吹くドラゴンの様にぶっちぎりのハイである。
「捕まるかと思ったら通り過ぎてったね。ツイてんじゃん、ジニー」
ジェナが信号で急停車したジニーに言った。
「Yeah〜!」 と妙な雄叫びが車内に響いた時、モーリスはふと窓の外を見た。
巨大なジュエリーボックスと化した街の中、パトカーの群れが全速力で去って行ったのを見計らっていた様に、遠くから一台の黒いバンがこちらに向かって来ていた。
猛スピードである。
(あれ?随分速いなぁ……)
減速してもいい程の距離に縮まっても、一向に速度が落ちる気配がない。
(え?まさか……)
瞬時にビビったモーリスが気を失いかけたその時、
ガッッシャアアアーーン!!!
強烈な音と衝撃によって、モーリスは後部座席の左側から右側のドアまで吹き飛ばされて叩きつけられ、やはり気を失った。
バンに衝突されたベンツは、ヘッドライトとテールランプが光の尾を引きながら3回スピンして、丁度バンと向かい合うようにして停まった。
道路にくっきりとタイヤ痕が残された。
「ってぇ!何だよカス!!」
ジニーが声を張り上げて怒り狂った。これほどの大激突でもノーダメージだったらしい。
「おっさん、ほら起きろ! おい!!」
ジェナの呼びかけで目を覚ましたモーリスは、ドアにもたれかかっていた身体をとっさに起こして、
「なに?何だ!?」
「知らんわ!ほら、これ持って」
どこから引っ張り出したのか、ジェナがベルギー製ライフルのSCAR-Hを投げ渡した。
「へ?やるのか?」
「おうよ!!バカモーリス!」
ジニーがスイッチを入れて、ベンツのサンルーフが開くのをギョッとして見上げながら、
「俺が!?」
「"俺"とあたしじゃ!ジェナ、運転頼むわ!取り敢えずかっ飛ばせ!!」
ジェナが運転席へ移動し、ジニーが後部座席の方へ滑り込んで来た。
相手のバンはまだこちらの様子を伺っている。
「ええい、クソッ!!」
モーリスは僅かに残っていた軍人の本能で、反射的にサンルーフからSCARの銃口をバンに向ける。
「おっさん分かってんじゃん!行くぜっ!!」
ジェナがアクセルを踏み込み、バンに向かって突進する。
「うわわっ!」
慌てるモーリスを嘲笑う様にして、ぶつかる寸前でハンドルを切り、バンの鼻先とベンツのケツの間を数ミリ残しながら逆方向へ向きを変え、戦闘機と同じ勢いで疾走する。
バンがゆっくりと動き出し、徐々にスピードを上げながらその後を追った。
◆
そしてバンはジニー達に追いついた。
「来たーっ!ひゃああっ!!」
ふざけているかのような雄叫び(悲鳴?)を上げながらも、モーリスは敵のバンに向けてSCARを撃ちまくっている。
狙いは中々正確で、スモークのかかったフロントガラスの運転席側に弾が集中している。しかし!
「防弾ガラスだ!あいつら 防弾仕様だぞ」
「だろうな!だからさ……」
こいつの出番だ!と、ジニーが引っ張り出してきたもの--ショットガンを太く短くした様な姿のそれは、ロシア製のグレネードランチャーGM-94であった。
(うわ!そんなものまで……)
モーリスが呆気に取られた時だった。バンの助手席からいかにもマフィアといった外見のいかつい男が身を乗り出して、大量の銃弾をベンツに向けてばら撒いてきた。GM-94を見て慌てて撃ってきたのだ。
車体のボディに炸裂した銃弾の火花に、思わず2人して首をすくめる。
「あっぶね!クソがゴルァ!!」
そしてぶっ放された殺意の砲弾。上手く躱したバンではあったが、背後で起こった大爆発に明らかに怯んでいる。
「んだよ。逃げ出しそうじゃん、あいつら」
ジェナが失笑する。
「逃がすかよボケェ!」
ジニーが排莢と再装填をしている間に、相手のバンのサンルーフから今度は別のマフィアが顔を出してアサルトライフルを撃ってきた。
「くそっ!やってやるぜ」
モーリスが少しだけ昔を思い出して応戦する。SCARによる正確な連射は、相手の持っていた銃を弾き飛ばした。飛ばされた銃は、縦に回転しながら、他の車が行き交うニューヨークの道路を転がって行った。
「やるじゃん、ハゲモーリス!」
「どうも。でも相手はまだピンピンしてる」
「関係あるかよ、やっちまえば同じさ」
ふとバンのサンルーフを見ると、さっきの男の手に今度はかなり大型の拳銃が握られていた。
「げっ!次はデザートイーグル出してきたぞ、あいつ!!」
「よし、ジェナ!絶対追いつかれんな!!」
「はいよ!」
ジェナがアクセルを踏み込み、ベンツのスピードが限界まで上がった。
「ジェナ、そのまま真っ直ぐ!」
銃口を敵に向け、銃座の様に体勢を固めたモーリスが珍しく指示した。
一直線に道路を駆け抜けるベンツからモーリスが引き金を引いた。一回の引き金で放たれた数発もの銃弾がデザートイーグルを持った奴の身体を貫いたのが見えた。
「よし!サンルーフの敵を排除!」
「すげぇじゃん、バカモーリス!!」
「おっさんやるじゃん」
珍しく褒められ、モーリスが嬉しくなっていると、
「じゃ、後はあたしが片付けっから」
装填を終えたGM-94から『スポン』という弾みのある発射音が聴こえ、味方をやられて動揺していたであろう相手のバンに、今度は見事に着弾した。
いかに防弾仕様車と言っても、グレネードランチャーの直撃など受ければひとたまりも無い。炎に包まれた巨大な車体が宙を舞い、周りの車にぶつかりながらゴロゴロと、違和感のある軽やかさで転がりながら爆発した。
戦場でも滅多にお目にかかることのなかった光景に唖然とするモーリスの耳に、
「ああ、もうサイコー!!」
と、キャッキャと嗤う二つの声が響いていた。




