後日譚
ジェイド街道を南へ下る馬車列は、日暮れ前に道を外れて草地へ入った。車輪が柔らかい土に沈み、馬が止まる。護送隊が周囲を見回し、合図を出すと、人が散っていった。火を起こす場所が決まり、馬を繋ぐ杭が打たれ、荷が地面に並ぶ。
リオは自分たちの馬車から毛布と袋を下ろし、地面の出っ張りを足でならした。クララは朱色のマントの裾を押さえながら荷を寄せ、セリアは水袋を受け取って、護送隊の兵が置いた桶のそばへ運んだ。戻る途中で別の水袋も受け取り、同じ場所に揃える。必要なものが一か所に集まれば、夜に探し回らずに済む。
少し離れたところに、護送の馬車が止められていた。ファルクはその中にいる。兵が数人、間隔を取り、声をひそめて配置を変える。馬の鼻息と革具の擦れる音が、途切れず続いた。
ルヴェリスが近づいてきて、リオに話しかけた。
「護送隊とはヴァルティカで別れることになります」
彼女の声がリオの耳に近づく。
「それまでに、学院の内通者に関する情報を押さえなくてはなりません」
クララは荷を寄せる手を止め、セリアも桶の方から戻ってきて、リオの隣に立った。ルヴェリスは視線を護送の馬車へ向けたまま、言葉を整え直す。
「あなたたちは何も見なかった。知らなかった。いいですね?」
火が安定すると、護送隊とリオたちは車座になって、今日の進み具合、馬の具合、明日の道の状態などについて、やり取りした。時折笑い声を交えながら会話は続き、辺り一面に食事の匂いが広がる。
ルヴェリスが、陶器の瓶を二つ抱えて戻ってきた。見張りの兵に一瞬だけ目をやって、リオたちの火のそばへ置く。
「ヴァルティカに着くまで、皆さまも張り詰め続けます。少しだけ、口を湿らせませんか。〈緑角亭〉に滞在していた商人から買い求めた酒です。異国のものだそうです」
「いや、ありがたいですが、任務中ですから」
護送隊の兵が即座に返す。断り文句としては整っている。
「分かっています。少しだけでもいかがですか?」
そこへ、クララが口を挟んだ。
「少しだけなら、いいでしょう? 寒いし」
セリアも、同じ温度で続ける。
「一緒に飲みましょうよ。味見くらい、ね」
護送隊の兵たちは顔を見合わせた。若く美しい女性に、こうまで言われては、と誰かが笑ってしまい、結局、杯が回った。最初は一口のはずが、二口になり、三口になる。異国の酒は甘く、喉に残る熱が心地よかった。任務中だと口では言いながら、夜の冷えが、その言葉を薄くしていく。
やがて饒舌だった声も途切れがちになり、杯を持つ手が鈍くなる。護送隊の兵は見張りを残して寝床へ散り、残った見張りも目の動きが重くなる。リオたちは普段通りに片づけをし、普段通りに横になった。
夜が深まり、火が熾きに変わるころ、ルヴェリスが起き上がった。毛布を直すような動きで輪の外へ出て、明かりの届かない方へ回る。見張りの足音が遠のく瞬間を選び、護送の馬車の側面に掌を当てた。錠前には触れない。
「学院の内通者の名前を言いなさい」
馬車の内側で短い笑いが返った。
「……今さら、私の口からですか」
「どうしても、仰らないおつもりですか」
「言いません。言えません」
ルヴェリスの声が冷たくなる。
「こんなことはしたくなかったのですが」
内側で息を吸う気配が立つ。
「誰か――」
二音目が形になる前に、ルヴェリスが霊句を唱えた。
「深き側の声よ、ここへ。
この者の意思を喰らえ。抗いを喰らえ」
馬車の内側の物音が、霊句の終わりと同時に止んだ。打って変わって、静かになった。
「学院の内通者の名前を」
遅れて、口だけが動いた。
「……グウィノル」
ルヴェリスはすぐに手を離した。ファルクの口は半開きのまま動かず、視線は定まっていない。
「今のやり取りは、なかったことにします。あなたは何も話していません」
「……はい、なかったことにします。私は何も話していません……」
ファルクは同じ言葉を、同じ調子で繰り返すだけだった。ルヴェリスはそれ以上語りかけることなく、来た道を戻り、火の輪の外へ静かに紛れた。
翌朝、護送の馬車の戸が叩かれた。
「起きろ。水だ」
返事がない。少し間を置いて、もう一度。
「聞こえるか。起きろ」
中からようやく声が返った。言葉は丁寧だが、目の焦点が合っていない。
「……はい。承知しました。私は何も話していません……」
見張りの兵が眉をひそめる。
「何の話だ。水だと言っている」
「……はい。水です。私は何も話していません……」
兵は仲間と目を合わせ、短く舌打ちした。扉の錠前に触れ、開けるのをためらう。結局、水袋だけを近くに置き、戸を閉め直した。
ジェイド街道を南へ進む馬車列は、五日目を迎えた。ヴァルティカの街並みが見えてくると、往来が増え、列は自然に詰まる。護送隊は合図で速度を落とし、馬車の周囲の警戒を強めた。
町に入る手前で、戸の前に立った兵が、もう一度だけ声をかける。
「着いた。歩けるか」
返ってきたのは、同じ調子の敬語だった。
「……はい。承知しました。私は何も話していません……」
兵の顔が固まる。護送の馬車の前で、戸の鍵に手をかけたまま、しばらく動けずにいた。
ルヴェリスがリオのそばへ来て、小声で言った。
「護送隊とはヴァルティカで別れることになります。それまでに必要なことは済ませました」
* * *
護送隊とはヴァルティカで一泊した後に別れた。タリス街道に入ると、背後の気配が薄くなる。御者は口数が少なく、馬車は一定の揺れで進んだ。休憩で立ち寄った食堂では、食事の卓のあちこちで同じ話題が回っていた。
「クロムヘヴンのあれ、復活した死者が、また死んじまったらしい」
「ああ、指導者が捕縛されたってな」
断言する者はいないが、「らしい」「ようだ」のまま、話は広がる。その中に、別の声が混じった。
「帰ってきたと思ってたのが、また動かなくなったって、家族は泣きわめいているそうだ」
「奇跡だ救いだって言ってた連中は、今ごろどうしているんだか」
「外の連中が奪った、って怒ってるらしいぞ」
リオは匙を置き、立ち上がった。クララもセリアも続く。何ともいたたまれなかった。外へ出て馬車の方へ戻る途中、クララが言った。
「……私たちが止めた。そういう話になるんだよね」
リオは答えなかった。否定も肯定もしない。セリアは黙って前を見ていた。
しばらくして、リオが言った。
「サヴェルナに着いたら、契約従事者連盟に報告する」
数日後、一行はサヴェルナに戻ると、まっすぐ契約従事者連盟へ向かった。入口の前は混んでいて、掲示板の前はいつもと同じ騒がしさだった。受付で名を告げると、職員の女性は顔を上げ、はっ、とした顔をして、
「お帰りなさい。例の依頼の件ですね。支部長の部屋へどうぞ」
通された部屋には男が一人いて、膨大な書類に目を通している最中だった。
「座ってくれ。疲れただろう。で、どうだった」
リオは起きたことを順に述べた。クロムヘヴンやヴァルティカで、光輪の奇跡が広がる一方、不自然な兆候が出ていたこと。現地で私兵団や王国兵の動きに合流して裏づけを揃え、兵たちによるファルクの捕縛と連行に至った経緯を、要点だけ報告した。話が終わると、男は椅子の背に深くもたれかかり、天井を見上げながら深く嘆息した。
「……よくやった。調査だけで十分だったんだが、あなた方は危機の芽を摘んだ。期待以上の成果、いや、莫大な成果を挙げたんだ」
そして、リオに顔を向けると、椅子から身を乗り出し、肘を机に預けて言った。
「この依頼は、前にも話したように王家の意向がある。報告は、こちらでまとめて上へ回すが、呼び出しが来る可能性がある。もし来たら、期待していいぞ」
リオが不思議そうな目で男を見返す。
「リオ、君はついこの間、ミスリル級に昇格したばかりだが、今回の功績は多大なものだ。……オリハルコン級の話が出てもおかしくないぞ?」
リオは一瞬、目を丸くして相手の言葉を飲み込んだが、すぐにまぶたを細め、まるで幻を払うように視線を窓辺へ逸らした。
「いやいや……、それはさすがに無いでしょう……」
男は構わず続けた。
「分からんぞ?まあ、とにかくご苦労様。ゆっくり休んでくれ」
一行は連盟を出て宿へ、ルヴェリスは自宅へ戻った。リオの頬がわずかに赤い。嬉しさが体中を駆け巡るのを、必死で抑え込んでいるのが自分でも分かった。オリハルコン級、なんて。その単語が頭の隅で何度も反響するたび、胸がくすぐったくなる。セリアが小さく笑って、
「ふふ、リオの顔、珍しく緩んでる」
と囁いた。クララもそれに便乗し、
「ほんと! いつもクールぶってるくせに~。今日はもう、にやにやしてるもん!」
と追い打ちをかける。リオは慌てて、誤魔化すように手を振った。
「……別に、そんなんじゃない」
言葉とは裏腹に、目尻が下がっている。
その夜、宿へ戻ったリオたちの笑い声が部屋に消えたころ、サヴェルナ西門の外で衛兵が焼けた死体を見つけた。損傷が激しく、顔は判別できない。だが衣服の仕立てと残った金具から、ひょっとして学院の関係者かもしれない。衛兵は学院へ連絡を入れた。
エルガン学院長は報せを聞くと、少し考えてから霊唱術科の講師を呼んだ。ネリオだった。
「西門の外だ。見てきてくれ」
「承知しました」
夜の冷えの中、ネリオは現場を一巡した。痩せ型、猫背。図書室の司書、グウィノルに似ている。死体のみならず、その周囲の地面も広く焼け焦げている。そして、僅かな精霊の痕跡。
「第八階唱、業火の咆哮……」
呟きは外へ漏らさず、胸の内で確かめた。扱える者について思案を巡らす。学院へ戻ると、ネリオは図書室へ回った。司書の一人が首を振る。
「グウィノルなら、昨晩から見かけません」
それで十分だった。ネリオは学院長の執務室へ戻り、短く報告した。死体の身元の当たり、司書の不在、そして第八階唱だという見立て。学院長は白髭の端を指で押さえ、眉を寄せた。
「第八階唱、か……」
ネリオは答えた。
「扱える者は、そう多くありません」
学院長はそれ以上、黙して語らなかった。灰色の瞳が机の一点に留まり、指先が白髭を押さえたまま動かない。ネリオが執務室を出ると、廊下はまだ暗かった。灯りの下で職員が二人、立ち話をしている。声が止まり、視線が揃う。ネリオは一瞥することも無く、通り過ぎた。
夜が明けるころ、執務室の扉が叩かれた。
「入れ」
入ってきたのはルヴェリスだった。いつも通りの調子で一礼する。
「学院長。報告に参りました」
学院長が報告を受けている間、事後処理を済ませたネリオが再び、執務室を訪れる。彼の目がルヴェリスを捉えた。彼女の表情、声の高さ、立ち方。どれもいつも通りだ。
第八階唱。
業火の咆哮。
ネリオは心の内側で呟いた。
まさか、な。
* * *
夜、伊織の部屋で、ルヴェリスは一糸まとわぬ姿で、寝台の端に腰を下ろした。
「伊織様」
「ルヴェリス。……奴のことを考えてた」
伊織は寝台に片肘をつき、ルヴェリスの腰のあたりを指でなぞった。彼女は身じろぎもせず、目だけで伊織を見返す。
「……奴にも、筋はあった」
指がゆっくりと内側へ寄ると、ルヴェリスの背がわずかに硬くなる。それでも目は逸らさない。
「筋、ですか」
「自分の中の正しさだ。あいつは、それを通すために動いた。命も捨てる気だったんだろう」
伊織は小さく鼻で笑った。
「そういう正義は、嫌いじゃない。むしろ好きだ」
「伊織様は、そういう言葉がお好きなんですね」
「好きだ。だからこそ厄介だとも思う」
伊織の声が少し低くなる。触れ方は変わらないのに、ルヴェリスの呼吸だけが先に乱れた。
「正義を振りかざした瞬間、人は自分が何をしているか見えなくなる。奴も、俺たちも」
ルヴェリスはすぐに返さない。指が伊織の腕に食い込み、短い息が漏れる。
「……術理に反した者は、裁かれます」
「そうだな。じゃあ聞く」
伊織は顎に触れ、顔を上げさせた。
「もし裁く側が、術理の外へ出たらどうなる。裁く資格は残るのか」
沈黙が落ちる。ルヴェリスは目を伏せない。
「……残りません……」
伊織はその一語を受け取り、少しだけ笑った。
「なら、『罰』がいるな」
「伊織様」
「怖がるな。逃げるな。お前は整いすぎだ。だが、そこが好きだ」
伊織が距離を詰めると、ルヴェリスの肩が小さく跳ねた。頷くように顎が下がり、指先が寝台の縁を探って掴む。
「……伊織様の、お好きに」
「言ったな」
伊織が唇を寄せると、ルヴェリスの声が言葉の形を失う。名を呼ぼうとしても続かず、息だけが細かく崩れていく。伊織は一度だけ顔を上げ、耳元に言った。
「これが、お前の罪に対する罰だ」
声は低く、重かった。ルヴェリスは唇を噛み、頷くしかない。
そこから先は、短い間が何度も積み重なった。静まったと思った呼吸がまた乱れ、整えたはずの声がすぐに途切れる。伊織は急がず、終わりを選ばない。
「犯した罪を、思い出すんだ」
伊織の低い囁きが耳に直接届くたび、ルヴェリスの身体が震えた。汗が滲み、髪が乱れ、息が途切れる。灯りが弱まり、部屋が暗くなる頃、ルヴェリスの声はほとんど出なくなっていた。掠れた息と、かすかな名呼びだけが残る。
「……伊織様……もう……」
「罰は、まだ終わらない」
その言葉に、ルヴェリスの肩がまた小さく揺れた。伊織はそれを見て、わずかに口角を上げた。
『フェンデリアの空』続編、『クロムヘヴンの偽導者』はここに完結しました。
まだまだリオやクララは成長過程。いずれフェンデリアを飛び出し、大陸中で活躍することになるでしょう。彼らの旅は、まだ始まってもいない。
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