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ミッシング

月日は流れ、ジョチも成人した。

大人しかったあの子が、勇猛な戦士へと成長した。

乗馬の腕も弓の腕も、歴戦の兵士に引けを取らない物となっていた。

だが私はジョチが強くなればなる程、言いようのない不安に(さいな)まれた。


そして初陣を迎える。

西方のナイマン王国との戦いだ。


「母上、行って参ります。必ず武勲をあげ、敵の首を持って帰ります」


そう言うあの子は、もはや私の知っている優しいジョチではなかった。

あの子は、変わってしまった。



戦いは大勝利だった。

ナイマン王国は降伏し、私たちの支配下に入った。

兵たちは凱旋し、勝利の宴が催された。


そこに……あの男の姿があった。


「いやいや見事だったぞ、ジョチ。お前の小隊運用、初陣とは思えぬ物だった。ハヤブサのように素早く、羊を追うように整然と、人馬一体の動きは、流石『蒼き狼』の子よ」


ジャムカがジョチの肩を抱きながら、杯を傾けていた。

ジョチも嬉しそうにしている。

あの二人は何時からあんな仲になったのだろう。


「楽しそうね、ジャムカ。あなた、ジョチとそんなに親しくしていたのかしら」


私は心臓を内側から()(むし)られるような苛立ちを抑えながら話しかけた。


「そりゃあ、俺はジョチの名付け親だからな。テムジンとは義兄弟(アンダ)なんだから、甥っ子でもあるか」


抜け抜けとよく言う。ジョチが兄さんの子どもでは無いと触れ回っているのは、お前の手の者だろうが。同盟者(アンダ)というのも今や有名無実。いつ破棄されても不思議では無い。


「そうね、これからもジョチのことをよろしくね」


私は臆面もなく言う。ああ嫌だ、こんな真似。

思わずアルヒ(蒸留酒)(あお)る。





あの子(ジョチ)の戦いぶり、どうでしたか?」


宴が終わり、ゲルに帰ると兄さんに訊ねた。

二人きりで、私たちしか分からない言葉で話す。念のために固有名詞は言わない。


「立派なものだった。武技は一級、指揮も的確。敵を見事に誘い出し、退却しながらの弓矢の攻撃は一分の隙も無かった。だがな……」


兄さんは言い淀む。自分自身が認めたくないかのように。


「容赦がなさすぎる。必要以上に敵を殺し過ぎる」


「それはここ(モンゴル)の特徴なのでは。戦い前に降伏するならば寛容ですけど、いざ戦となれば遠慮なく命を奪う。それがあるから敵は恐れ、無用な戦いを避けられる。見せしめを行うのはここ(モンゴル)の伝統じゃないですか」


荒々しいが、合理的ではある。

変に正義漢ぶらないのは、この時代では当然だろう。


「……『必要以上に』と言っただろう。敵に恐怖を与える、組織を壊滅させるというのにも必要最小という物があるんだ。それを明らかに逸脱している。経験不足による暴走、我を忘れてしまったというのでは無い。冷静に、確信的にやっていた」


「それは……あの子(ジョチ)に残虐な面があると?」


認めたくはなかった。愛する我が子の残虐性などと。


「いや、そういうのとは違う感じなんだ。敵の死を見て悦に至る、そんな風には見えない。むしろ苦行を行っているような。進んでやってはいるんだが、嫌悪感を抱きながらやっているような」


「それを命令されている訳じゃないんでしょう」


「無論だ。やり過ぎるなと言われているくらいだ」


訳がわからない。誰にも求められてもなく、自分も望んでいないことをするなんて。

『誰にも求められていない』?その言葉で一人の男の顔を思い浮かべる。

残忍な行いで味方の離反を招いたあの男の。


「あの男が関係しているという事はないですか?」


兄さんの眉間に皺が寄る。

名前は出さなくても、誰のことかは伝わった。


あの男(ジャムカ)か。……ないとは言い切れんな」


兄さんの返答に、私は吃驚した。


「なんだ、その顔は」


「いえ、まさか同意してもらえるとは思ってもいなかったので。あの男と兄さんは竹馬の友。これまでの共闘関係からも揺るぎない信用を置いているんじゃないかと……」


事実、二人の関係は良好だ……表向きは。ジャムカはときおり嫉妬や憎悪の視線を投げかけるが、兄さんには決してそれを見せることは無い。脇から眺める私だから気付いたことだ。兄さんがジャムカに疑念を抱く要素はないのだ。


「俺たちは幼い頃から一緒に育った。だから解る、あいつはより高みを目指す奴だ。人の分を超え、神の領域に至ろうとも。そしてその過程で膨大な血が流れようと、一顧だにしない。親兄弟、自分の血であろうとも。……そういう奴だ」


接する態度からではなく、その者の本質から真実を引き出している。

兄さんは変わった。

優しく、人に向ける好意は昔のままだが、どこか冷めた計算じみたものが滲むようになった。


「俺の大切なお前たちは、絶対に傷つけさせない」


そういって私に向ける笑顔は昔のままだった。

慈しみに溢れ、(まこと)に信ずる者には無防備すぎる、優しい兄さんがそこにいた。



二人だけの世界に異物が混じり始めた。

ドスドスと大きな足音を響かせ、誰かが近づいてくる。

このゲルには誰も近づけるなと申しつけていたはずだが。


「偉大なるテムジンさまに申し上げます。……お目通りを願われる方がいらっしゃっているのですが」


護衛の男が、震えを帯びた声で言う。


「人払いをするように言っていたはずだが。……誰だ?」


「第二夫人『クラン』様と、第三夫人『イェスゲン』様です」


思わず兄さんは笑いだす。


「あいつらか、ならしょうがない。お前も俺とあいつらに挟まれて大変だったな。かまわん、通せ」


「はは」っと護衛の男は安堵した声で答える。

ゲルの入口が開き、二人の女性が入って来る。

蒼いデール(伝統衣装)を纏った、ふわふわした妖精のような女性『クラン』。

もう一人は深紅のデールが似合う、火のような激しさと風のような涼やかさを秘めた女性『イェスゲン』だった。


「……なに二人でコソコソやっているんですか。言いましたよね、抜け駆けはナシだって。その空っぽの頭でも分るように身体に刻んであげましょうか、この泥棒猫!」


クランが怒りに震えながら足早に近づいて来る。だめだ、かなりキてる。


「わたしのお姉さまに手を出すんじゃねぇ。お姉さまが『どうしても子どもが欲しい』っていうから、そん時だけは目をつぶってやったけど、それ以外でお姉さまを穢すのはわたしが許さん!」


がなり立てながら、兄さんの首を絞めてくる。

不味い、兄さんが白目をむき始めた。


「まあまあ、芽衣ちゃん。落ち着いて。二人とも着衣は乱れてないでしょ。やってた臭いもしないし。ほら、どうどう」


イェスゲンが、水瀬を羽交い絞めにして兄さんから引き剥がす。


「でも柚月ちゃん、こいつ生かしておいたら(ろく)なことをしない」


フーフー言いながら水瀬は目に涙を浮かべる。

この娘も相変わらずね。




「死ぬかと思った」


兄さんが首を(さす)りながら、力なく零す。


「『お前たちの為なら死んでもいい』って言ってたでしょう。本望じゃないですか」


水瀬はぷいと他所を見ながら言い放つ。


「お前たちの為に死ぬのはいいが、お前たちのせいで死ぬのは真っ平ごめんだ!」


兄さんはふざけんじゃねぇとばかりに言い返す。

ごもっともです。

私は水瀬を睨めつける。

水瀬はしゅんとする。

こういう所が憎めないのよね。


「まあ、じゃれ合いはその位にして。で、なにを話し合っていたんです?……ジョチのことですか」


真剣な面持ちで柚月が言う。


「……お前たちはどう見た、あの子(ジョチ)の戦い方を」


兄さんの問いに、二人は顔をしかめる。


「一言でいうと、殲滅戦でしたね。信長の『比叡山焼き討ち』を思い出させられました」


柚月が遠慮なく意見を述べる。


「そこまでか。女子供を殺してはいないぞ」


あまりの言葉に、兄さんは反論の弁を述べる。


「いなかったからです。もしこれが攻城戦なら、迷わず手にかけていたでしょうね」


冷徹に柚月は答える。批難も称賛も含めずに。自動採点をする機械のように。

誰もその言葉に異を唱えられない。みんなが思っていた事なのだから。

ゲルは沈黙に包まれた。



「あの子は、どうなるのかしら。なにを目指しているのかしら」


私は奈落の滝に向かう船を引き戻す手掛かりを求め、訊ねた。


「これまでのお二人の子どもには、大きく二つのパターンがありました。一つは理不尽な世界の力に憤り、闇に飲み込まれるパターン。もう一つは自分のアイデンティティーを求め、暴走するパターン。怪しいのは後者のパターンじゃないですか」


「あの子の出自の噂が影響していると?」


私は思ったより冷静に受け止められた。予想していた答えだったから。


「……多分。真実がどうとかは関係ないんですよ。疑念はとっかかりさえ有れば、どんどんと上に登ってゆくものですから」


あの日生まれたあの子の疑念を、私は晴らすことができなかったのか。




「ありがとう柚月、いろいろ話してくれて。ちょっと席を外してくれるか、水瀬に少し話があるんだ」


兄さんが柚月ちゃんに優しく語りかける。

柚月ちゃんは何かを察したように、寂し気にゲルを出ていった。



ふぅっと兄さんは溜息をつき、水瀬の目を真っすぐ見て、話しかけた。


「柚月は、どうだ。戻りそうにないか……」


低く、重い声で兄さんは問いかける。


「知識や記憶は有るみたい。けど、人格が無い、感情が無い、魂が無い。『火野 柚月』という人間は無く、柚月の記憶を引き継いだ『イェスゲン』という人間がいるだけ。それも柚月ちゃんといえばそれまでだけど、あんなの柚月ちゃんじゃない!」


二百回ぐらい前から柚月は壊れてしまった。

異世界に行くまでのあの暗闇では意識を失い、異世界に着いて意識を取り戻しても、それは異世界のもう一人の柚月で、記憶だけが引き継がれていた。

京都弁を話さないことからも、それはうかがい知れる。


「柚月ちゃん、真面目だから、頭いいから、いろいろ考えて、悩んで、追い込まれて、ああなったんだと思う。わたしが馬鹿だから。頼りないから、力になれなかった。……どうしたらいいのかな、わたし。どうしたら償えるのかな。どうしたら救えるのかな、柚月ちゃんを」


水瀬は大粒の涙を流す。

哀しい声をあげ、すすり泣く。

私はそっと彼女を抱きしめ、語りかける。


「大丈夫よ。水瀬の気持ちはきっと柚月ちゃんに届く。記憶が引き出されるということは、柚月ちゃんとの繋がりは切れていないということ。こんなに綺麗で優しいあなたの気持ちが、届かないはずがない。だからあなたはその気持ちを濁らさず、綺麗なままでいて。そうすれば、いつの日かきっと届く!」


私は慰めではなく、心の底からそう思った。

そうでなければ、世の中が間違っている。


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