ちづ
子供の成長は目を見張るものがある。
ちづが神子になってから五日。最初はびくびくしていたのが、今や自信満々だ。
ちづがしずしずと拝殿に昇ってくる。拝殿には赤子を抱いた夫婦ががいる。夫婦はちづに向かい立礼をする。ちづはご神体に向かい祝詞を奏上する。
「幸魂 奇魂 守給へ 幸給へ」
しゃらんと清らかな音で鈴祓いをする。
この赤子は次の神子候補だ。だがこの子が無事に育つかは非常に疑わしい。二人に一人は六歳までに命を落とす。俺の時だって、神子候補の女の子が三歳で他界したから、俺が代役で神子になったんだ。
だから祈る。無事に育てと。神さま、連れていかないでと。
「どうだった、おっとう、おっかあ。ちづ、じょうずにできたかな」
祈祷を終えたちづがとてとてと、俺たちのもとに駆け寄ってくる。
甘えん坊のところは変わっていない。
「よくできた。立派な神子様だ」
俺は両手でちづの脇を掴み、高く持ち上げる。
ちづはえへへと相好を崩す。
「タツキさん、甘やかさないでよ。ちづちゃん、祝詞を唱えるの、三回目とちったでしょう」
「うう、ユキ姉ちゃん、こわい」
ちづは俺の後ろに隠れる。
「ちょっとユキちゃん、ちづちゃんが恐がっているじゃない。初めてなんだから、大目に見てあげてよ」
先代の神子であるナミが助け船をだす。
「まあ、あんたの最初に比べたら何倍もマシだけどね。あんた頭真っ白になって台詞ぜんぶ飛んで、私が教えてあげたじゃない」
「あーあー、聞こえません」
仲いいな、この姉妹。
ナミは先代の神子様、ユキはその前の先々代の神子様。ともに村長の娘だ。ちなみにユキの前の神子様が女房のミクだ。
「まあ、最初っから完璧に出来た神子様なんていませんよ。ユキちゃん、あなたも含めてね。さあ一仕事終えたんだから食事にしましょう。ユキちゃんの失敗談をつまみにね」
ミクが場を閉める。
「ユキちゃんの失敗談聞きた―い」
ナミとちづが声を揃える。
「ちょっとミクさん、変な事言わないでくださいよ」
ユキが縋るような声を出す。
人の絆って、こうやって繋がっていくんだな。
俺はこの心和む空気に幸せを感じていた。
昼食を終え、ゆったりと過ごしていた時だった。
「大変じゃ、村長。大勢の軍勢がこの村に向かってやって来よる」
慌てふためいて、一人の男が同席していた村長に報告に走ってきた。
「軍勢じゃと。どのくらいの数じゃ。どこからやって来た。」
「千人はゆうに超えておる。西からやって来よる。遠目じゃが、立派な鎧を着て、馬に乗っておる。あれは野盗とかじゃねえ。都の武士じゃ」
どういう事だ。このあたりに都の武人が出張るような野盗はいない。
どこかに遠征に行く途中だとしても、街道から離れたこの村に向かうことなどない。
「とにかく話を聞きに行こう。男衆は儂についてこい。女子供はこの神殿に隠れていろ。……あやつらも神域で無体な真似はしまい」
都人など俺たちはお目にかかったことなどない。せいぜい受領が年に一度来るくらいだ。それが武装して大軍でやって来る。俺たちは災いを予感せざるを得なかった。
東の村はずれで俺たちは軍勢を出迎えた。
「これはこれは、このような鄙びた村にようぞお越しになられました。村をあげて皆さまを歓迎させていただきまする。都の方々とお見受けいたします。叶うならば、ご尊名とご用向きをお教え頂けないでしょうか」
村長がうやうやしく口上を述べる。
すると軍勢の中から、一人の男が馬に乗って前に出てきた。
「我が名は渡辺 綱。源 頼光さまが家臣。勅命によりこの地に参った。……勅命の内容については、うぬら下賤の者に伝えることではない。ただ儂らの言う事に従え!」
勅命ときた。この村に係るとしても、国司までだ。それがミカドの勅だと。なにかがおかしい。
戸惑う俺たちに渡辺 綱は居丈高に言う。
「うぬらが『神子』と呼ぶ者を我らに引き渡せ!」
その言葉に村人は戦慄する。それは到底受け入れ難いことであった。
「お武家さま、そればかりはお許しください。食料や財ならばいくらでも差し上げます。この爺の首ならばいくらでもお持ちください。ですが……神子様だけはお許しください。あの者は神よりお預かりした御子なのです。儂ら村のモノでも、人のモノでもないのです。神さまのモノなのです。いかに貴きお方でも、神のモノを奪うのはなりませぬ」
村長は毅然とした態度で物申す。その後ろでは村人が賛同の意を示す。その顔には躊躇いも怯えもない。
「天子さまの勅に従えぬと言うのか。この日の本に天子さまに従えぬ者が生きる場所は無い。かような者は、それに相応しき場所に送られる沙汰となるぞ。如何に致す!」
「黄泉の国に送られる事となりましても、私どもの気持ちは変わりません。神との盟約をたがえる事に比ぶれば、なんの怖ろしきことがありましょうか」
「……よう言った。その言葉、地獄の牛頭馬頭にも申し伝えよ」
綱は手を挙げ、軍勢に合図する。鎧を纏った武士が丸腰の村人に襲いかかる。戦いではない、虐殺だ。
だが村人たちは逃げたりしない。剣の一刺しの代わりに拳の一撃。己が信念をかけて蟷螂の斧を振るう。周りの血の匂いはより深くなっていった。俺もその争いの中に身を投げ出していった。
「やめて――――」
幼く、高い声が木霊する。
「やめて、ちづはどうなってもいい。おっとうを、みんなを傷つけないで」
泣きながら、それでも俯くことなく真っすぐに叫ぶ。
『ちづ』、『ちづちゃん』と声をはりあげながらミクとユキとナミが走ってくる。
「……出て来たな、化物。道満、こやつに相違ないか!」
綱が大声をはりあげる。すると狩衣を着こみ、武装をしていない男が出てきた。
「相違ございません。この圧倒的な量の禍々しい妖気、人のものではありません。これぞ神託に語られし魔物」
「お主の手で調伏してみるか」
「滅相もない。儂は晴明とは違います。儂ら陰陽の者は観測・分析するのが本分。加持祈祷は僧侶が分、討伐は武士の分、己が分を超えたことはしとうございません。儂はただ人知を超えた者を観測に参っただけでございます」
「よかろう。皆の者、この娘をひっ捕らえよ。油断はするな、場合によっては断たっ切れ」
武士たちはちづに押し寄せる。
捕縛されたちづは綱のもとに引き立てられる。
「ちづ――――」
俺はちづに駆け寄ろうとする。
だが人波に阻まれ、近づくことが出来ない。
「もう逆らったりしません。だから、おっとうたちを助けてあげて」
ちづは泣きながら綱に訴える。
「それは出来ない相談だな。あいつらの目をみろ、自分の命に代えてもお前を取り戻そうという目だ。多分お前を殺しても、その亡骸を取り戻そうとしてくるだろう。いくら叩き潰してもキリがない。ならばここで根絶やしにするのが上策だ。あいつらがお前を諦めない限り、助ける術はない」
「そんな、約束が違う」
「約束した覚えはないな。お前がそう思い込んだだけだ」
淡々とした口調で綱は言う。そして「やれ!」の合図と共に虐殺が再開される。
血の霧が立ち込めた。
「ああ。ああぁぁ――――」
全身を縄で縛られたちづが嗚咽をもらす。
「非道に思うか。だが国家安寧、天下万民のためには必要なことなのだ。幼きお前にはわからぬことであろうがな」
綱は自分に言い聞かすように呟く。
ちづは呪うようにその光景を見つめた。
「わからない。わかりたくもない。こんなひどい事があっていいはずがない。みとめない。こんな事、ちづは認めない」
ちづの声が段々と低く重くなっていく。
「ミトメナイ。コンナコト、ミトメナイ」
ちづの身体から黒い靄が立ち昇っていく。
「ミンナ、ミンナ、クタバッテシマエ」
ちづの身体が靄に包まれ膨れ上がってゆく。
長い手足は伸びていき、二つに分かれ、八本の手足となる。
つぶらな瞳の周りには小さな目が現れ、八個の目が妖しく光っている。
そこにいたのは巨大な蜘蛛だった。
「キョェー」
ちづは最早人語を発してなかった。
ただその長く鋭い脚を振るい、武士たちを切り刻んでゆく。
一振り一振り、血しぶきをあげて葬ってゆく。
その血は、ちづの涙にしか見えなかった。