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いとしきもの

この少女はなんだ。

漆黒の長い髪。底知れぬ沼のような瞳。細く長く触覚のような手足。色素というものを取っ払ったような白い肌。幻想の世界の生き物のようだ。



俺はじっと少女を見る。

じわじわと愛しい気持ちが湧いてくる。

この子は『ちづ』。俺の可愛い娘だ。俺の宝物だ。

なんでこの子のことが分からなかったんだろう。なんでこの子を怖ろしいと思ったんだろう。

どうかしてる。さっきみた夢のせいだろうか。

大蛇のようなからくりに人が乗り込んで移動したり、捻るだけで火や水が飛び出す珍妙な世界だった。

狐にでも憑かれたのか、狸にでも化かされたのか。どっちにしろ真っ当な夢ではない、忘れよう。




「ちづはめんこいのう。ええ子や」


俺は何かを振り払うようにちづを抱きしめ、頬ずりをする。


「おっとう、おひげがチクチクして(いや)!」


ちづは顔をしかめ、その小さな手で俺の顔を引き剥がす。少し傷つくが、その愛らしい仕草に笑みが零れる。


「あなた、ちづをあやすんならお鬚を剃ってからにしてください。それにお祭りだからって飲み過ぎては駄目ですよ」


奥から女房が出てくる。茶色い木綿の小袴(こばかま)を身に着けている。質素な装いだが、その涼やかな顔立ちが相まって清廉な雰囲気を醸し出している。


「……つぐみ」


思わず言葉が出た。


「誰のことです、つぐみって。あなた……浮気をしてるんじゃないでしょうね」


つられて般若が出た。


「違う、違う。お前みたいな三国一の別嬪(べっぴん)さんを嫁にして、浮気なんてする訳ないだろう。絹のように艶やかな髪、雪華(せっか)のように白い肌、星空を閉じ込めたような輝く瞳。こんな宝物をおっぽり出してガラクタを愛でるほど、俺は阿呆じゃない」


女房の顔は夕暮れのように紅く染まる。


「もう、子どもの前でなに言いだすんですか」


喜色を滲ませた抗議の声をあげる。


「おっとうとおっかあ、仲良し」


ちづがきゃっきゃっと(はや)し立てる。


俺はそんな二人に近づき、両手でぎゅっと抱きしめる。


「……幸せだ。お前たち二人が居てくれて、俺は本当に幸せだ。都の殿上人(てんじょうびと)にだってこんな幸せなやつはいない。この幸せを与えてくれたお前たちに、神さまに感謝する」


俺は心の底からそう思った。


俺は二人の髪を手に絡め、とかす。

確かな幸せがここにある。これは幻なんかじゃない。

俺は幸せなぬくもりを心に刻んだ。


「おっとう、小さな子どもみたい」


ちづがけらけらと笑う。


「お銚子、もう一本つけますね。けど、あんまり飲まないでください。日が暮れたら宵宮(よいみや)に行くんですから」


そう言って(くりや)に向かう。

その後ろ姿を温かい気持ちで眺める。



なんで『つぐみ』なんて言ったんだろう。

その名が心に小さな波紋を投げかける。

大きな幸せと小さな疑念に浸りながら、俺は心地良いまどろみについた。






夢の中で俺は大空を翔んでいた。

暗い夜空だった。

月は無く、星の輝きはか細く頼りないものだった。

ふと見ると地に煌々と光るものが有る。

俺は引き寄せられるようにそこに向かった。



「どうしたんです、兄上。人払いをしてお話とは」


「……明日早朝、都を離れることとなった」


御簾の向こうに、油の光に照らされ二人の男女の姿が見えた。

二人は真剣な面持ちで話をしている。男は途切れがちに言葉を紡ぐ。


「行くのは儂だけではない。……我が主、藤原(ふじわら) ()保昌(やすまさ)さま。そして(みなもと) ()頼光(よりみつ)どのもご一緒だ」


女は驚愕の表情を浮かべる。


「どういう事です。そのお二人は不倶戴天の敵でしょう」


藤原 保昌、源 頼光、どこかで聞いた名だ。


「それに兄上も頼光四天王(らいこうしてんのう)坂田(さかた) 金時(きんとき)どのと先日揉めたばかりではありませんか」


「よく知っておるな。内々で話は終わらせたのだがな」


男は苦笑する。


「宮廷では情報が命ですから」


女は得意気に言う。


「まあ、いい。……そんな私事など些末なこと。これは国家安寧に関わることなのだ。この国に生きるすべての者が、私心を捨て力を合わせて立ち向かわなければならないのだ」


男の声には揺るぎない決意が込められていた。


「なにがあったんです。また鬼たちが現れたのですか」


女は不安気に問う。


「鬼か、そんな生やさしいものではない。あれは所詮ヒトが変化したもの。この世の(ことわり)から外れてはおらぬ。儂らが相対せねばならぬのは、『外縁にあるもの』『万物の定理の破壊者』そういう存在だ」


沈黙が闇に溶ける。


「兄上は、かようなモノに立ち向かおうというのですか」


女はいたましい者を見るように男に視線を投げる。


「嘆いてくれるな。儂も死ぬ気はない。その為にここに、お前に頼みに参ったのだ」


女はぴくりと肩を震わせる。男は居住まいを正し、拳を握り床に着け、頭をゆっくりと下げ、女に言う。


太宰(だざい)小監(しょうげん) 清原(きよはら) ()致信(むねのぶ)、中宮 定子さまが側仕え 清原(きよはら) ()少納言(しょうなごん)どのにお頼み申す」


(かしこ)まった口調で男は言う。


「霊符を用立てて頂きたい」


俺はこいつらのもう一つの名を知っている。

清原(きよはら) 宗信(むねのぶ)』、『西條(さいじょう) 那奈子(ななこ)』。それがこいつらのもう一つの名だ。



「霊符などと。お頼みする相手が違います。陰陽寮にお頼みください」


女は男の手を取り、涙ぐむ。


「隠さなくともよい。藤原北家(ふじわらほっけ) 道長さまの手の者が定子さまに呪詛を行い、呪詛返しにあったことは知っておる。そしてその呪詛返しをしたのがお前だということもな」


「どこでそんなことを……」


「お前も申したであろう。宮廷では情報が命だと」


男はいたずらっぽく笑う。


「……わたしは、ただ咄嗟に破邪の気持ちを込めて言の葉を紙にしたためただけです。正直そんな効果があると思えません。どうか兄上、陰陽寮にお頼みを」


女は縋るように言う。


「もちろん陰陽寮にも依頼する。だがな、儂は奴らに信を置いておらん。形式ばかり、見栄えばかりに捕らわれて、実利が全くない。この間の鬼退治でもなんの効力もなかった。あれは儀式用のまじないじゃ。お前の霊符の方がよっぽど頼りになる」


女は雷に打たれたように硬直する。

まるで護衛が揃って逃げ出し、取り残された姫君のように。

そして唇を噛みしめ、意を決した表情となる。


「わかりました。霊符をご用意しましょう。その代わり、一つお願いがあります」


女は小さく、静かに答える。

そして俺のいる方向、庭の大きな池を見て呟く。


「蛍がきれいですね。ひとつ、ふたつ、ほのかに光るのも風情があります。けれどもっとたくさんになってこの庭いっぱいに飛び交わるさまは、まるで星々が降りてきたようできっと言葉に表せないでしょう。……ひと月後、ここで歌会を行います。そこで歌を詠んでください。必ず来てください。必ず元気な顔を見せてください。約束してください」


女は涙を湛え、懇願するように言う。


「……わかった。必ず帰ってくる。だが、歌の出来には文句を言うなよ」


三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)清原(きよはら) ()元輔(もとすけ)の息子がなにを言ってるんですか」


彼らはお互いの顔を見つめ、おさな子の兄弟に戻ったように笑いあった。


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