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⒇『批評雑考』
⒇『批評雑考』
㈠
形式が現出する時に、形式が壊れると言う、概念の形式作用は、寧ろ、雑考の本質を言い当てている。何ら、難しくなく、また、困難もなく、形式は、当たり前の様に、批評という形式である。悩み抜いた末に、現象するのは、悲しい風景である。
㈡
しかしまた、どれ程思考しようとも、批評雑考は、まさに、批評雑考として、実在論の中に、現存する。カテゴライズされる中で、我々にはどれ程の事が言えよう。何かを雑談の様に話すことで、それなりに会話と言う現象が成立するなら、文章にだって、批評雑考は成立する。
㈢
考え過ぎと言う、或る種の、不完全性の範疇において、逆に、考え過ぎないという、或る種の、完全性の範疇に、批評雑考は入るであろう。言葉の意味のない、言葉、意味をなさない、言葉の言葉、批評雑考は、文学でありながら、日常の文学的会話にも、位置していると言う、存在なのである。




