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⑽『批評雑考』
⑽『批評雑考』
㈠
思想の根源に辿り着くと、意外とその端緒は、雑考的な発想から生じていることが多くある様に思われる。勿論、全てがそうだ、という訳ではない。ただ、物事の始まりは、思考の、或る種の簡単な雑考が源水となって、湖に成っているいると感ぜられるのだ。
㈡
文体や文脈など、その事細かなことは、置いておいても、所謂物語といったものは、雑考の継ぎ接ぎでもある。発想が、批評的であれば、それは論文調になるが、また、それが雑考的であればある程、小説的になるし、批評雑考とすれば、それは、まるで奇妙な、不可視的文章になるだろう。
㈢
しかし、批評雑考だって、存在する意味はある。現に、この文章でも、批評雑考なのであるから、訳が分からないと言われれば、それまでであるが、それでも、発想が、そのまま、意識を通り越して、文章化されていることからも、我々には、様々に、批評雑考の未来があると、信じて良いと思われる。




