第15話 〜平穏と不穏〜
翌日、フィンレイと会うと、フィンレイはもう1回昨日の事について謝罪を述べて、それから食堂に行こうと誘ってくれた。
私は、彼の昨日の様子を“幼く不安定な時期の依存”によるものだとみている。
弟が不安定ならば姉は支えなければいけない。
彼が、安定する時期が来るまで、私がフォローしよう。
食堂でお母様、お父様、フィンレイと談笑しながら我が屋敷を誇る、料理人の美味しい料理を食べた。ふぅ、今日も最高だったわ。
今日は特に予定はない為、庭で遊ぼうと思う。
ホラ、私まだこの世界だと10代前半だし無邪気に弟と遊んでいても罰は当たらないはずよ。
フィンレイも了承してくれて、私達は庭に向かう。フィンレイと庭で過ごす時間はとても楽しくてついつい時が経つのを忘れてしまう時がある。前世から弟が欲しかった影響があるのだろう。
「アンジェ姉様、見てください」
無垢な笑顔を見せるフィンレイ。
ゲームの影のある薄ら笑いではなく本心からの笑顔を見る事が出来ている私は幸せ者だろう。
それにしても。
私は、前世について覚えていない事が多くある。ゲームの事、日常で感じた些細な心の変化。そういった事は鮮明に覚えているのに大事なことや肝心なことを覚えていない。
例えば、自分の名前、家族構成。
“人”に関する事だけはスッポリと頭から抜けてしまっている。思い出そうと頭を捻っても靄がかかっているように、記憶が思い出せない。
そのお陰で、あまり前世に未練を抱く事がないから有難いと言えば有難いのだろうか?
でも、自分のこと、自分が大切にしていた人のことを覚えていないというのは酷く悲しい。
時折、その人を思い出して、切なくなる。
それ位の感情は持ちたかった。
「……アンジェ姉様?どうしたのです、元気がないように見えます」
「……っ!」
自分の世界から意識を戻すと、フィンレイにそんなことないわ、なんていう。
たしかに元気はないのかもしれない。
でも私が元気の無い理由をフィンレイには話せないし、言ったところでお医者様を勧められるだけだろう。「コイツ、精神ヤバイのか?」と思われるなんて御免よ。
フィンレイに心配させまい、と穏やかに微笑んだつもりだったんだけど、なぜだかフィンレイは不満げにこちらを見つめている。
な、なんでなの?
「アンジェ姉様。絶対に何かありますよね、僕に隠し事ですか?……なんでも教えて下ると言っていたのに」
効果音を付けるとしたらじとーっだろう。
訝しげな視線を向けられている。
それにしても最近フィンレイはこの“なんでも教える”という約束事を利用している気がする。
幼い依存なのだろうと推測した私への束縛行為はヒートアップしていて、恒例になりつつある「何処に行くのですか?」という質問をサラリと躱そうとするとあの約束を持ち出してくるのだ。
さながら必殺攻撃、とでも言うように「何でも教えて下ると言いましたよね」。
わ、私にもプライバシーというものが存在すると思うのだけど……。
確かに、あの時はそう言ったけどそれは言葉の綾というかなんと言うか……。
ただそう述べてもフィンレイは納得してくれないだろうし“約束破り”と称されるのは避けたい。もうすぐで、もうすぐで落ち着くだろうから今は耐えよう。
とはいえ、普段の質問ならどうってことないのだけれど、今回のは流石に言えない。
「わたし、異世界から転生してきて、前世の記憶が無いことを悲しがってるのー!」なんて誰がいえよう。
視線を空中に彷徨わせ、口ごもる。
「……どうしても、言えない事ですか?」
「……っ、ええ」
フィンレイの余りに静かで無感情な声音にあの出来事がフラッシュバックする。
……また、あの状態になるんじゃないか?と気が気でない。
だけど、前世やら異世界やら転生やらと説明する訳にはいかなくて、頷いた。
「そうですか。なら仕方ないですね。アンジェ姉様にも秘密の1つや2つくらいありますよね。うん、仕方ないです」
フィンレイは納得したように呟きを漏らすけど、その顔に輝かんばかりの笑顔が貼り付いているのが気になる。
もしかして、私の考え事は現実に……?
そう危惧したが、フィンレイはもうその事に触れることはなく作業をしているテッドを見つけると、「行ってみましょう?」と私を誘いテッドに駆け寄って言った。
良かった。杞憂だった。
心底安心して、私はフィンレイに着いていく。
その後もフィンレイはテッドと会話しており、何事も無かったように楽しそうにしていた。
2人を見ながら微笑ましい気持ちになる。
前世の私についての記憶が無いから、忘れつつあるけれど、精神年齢は私、高いのよね。
だったら今、私は無邪気な男子達を見守るおばさんのような気分になっているというわけだ。
前世で何年生きたか分からないけれど、年の功というやつが少しでも私にあれば良いと思う。
その方が、フィンレイを、弟をサポート出来るから。
*****
―――なんて、さっきは和んで忘れていたけれど、もう婚約者(まだ仮だけれど)との顔合わせが明日に迫っているのよ!
夜になり、1人になると現実に引き戻されて明日のことを考え憂鬱になる。
あああ……。クライヴ王子、怖いんだよね……。
兄のことを殺したい程憎んでいるなんてなんか怖いわよ。それに若干、クライヴ王子には喰えない所があるから、慎重に会話しなければいけないし。
前よりはマシとはいえコミュ力が低く頭の回転もそこまで早くない私に彼の会話についていけると思えない。
もっと賢い女性が相手な方がいいわ。
悶々とした気持ちで眠れない夜を過ごしていると。
トントン。
控えめなノック音が聞こえてきた。
誰だろう?と首を傾げながらも「入っていいですよ」と答える。
一瞬の間を開けて、入ってきたのは。
「……お嬢様、相手が誰かも分からないのに簡単に入って良いと仰ってはいけませんよ」
ここの所、会っても挨拶をする程度であまり交流がなかった執事・ヴェルノだった。
その端正な顔は苦笑も嫌味なく似合っている。お兄さん的存在のヴェルノは何時もこんな風に苦笑いで、でも優しげに私を見守ってくれていた。
ヴェルノのダークブルーの瞳に、刺々しさはなくて安心する。
「御免なさい。でもこの屋敷には私が警戒するような方なんていないので、大丈夫ですよ」
皆、皆いい人ばかり。
包み込むような優しさをくれるような人ばかりだ。
私は皆を信頼している。
「……お嬢様」
やけに近くで、ヴェルノの声が聞こえた。
暖かい感情に包まれていた私が、意識を完全にヴェルノに向けると。
「こんなにも簡単に近付けてしまう。これでは駄目ですね」
ヴェルノが私の額に口付けを落とした。