第十話「羽の下を出る日」
その日が来た。
朝から、空が広かった。
風が吹いていた。
どこかへ向かう風だった。
温かさが、巣の縁に立った。
雛も、縁に立った。
並んで、空を見た。
温かさが飛んだ。
今度は、遠くへ飛んだ。
いつもより、ずっと遠くへ。
雛は温かさを見た。
小さくなっていった。
しかし、見えた。
まだ見えた。
温かさが振り返った。
雛を見た。
雛は翼を広げた。
大きく広げた。
風が来た。
翼が、風を受けた。
雛は飛んだ。
今度は落ちなかった。
浮いた。
そのまま、浮き続けた。
温かさが飛んでいた。
雛も飛んでいた。
並んで飛んでいた。
空が広かった。
山が見えた。
川が見えた。
遠くに、また別の山が見えた。
温かさが、方向を変えた。
戻っていった。
巣の方へ。
雛は、しばらく、そのまま飛んでいた。
一羽で飛んでいた。
風があった。
広い空があった。
それから、雛も方向を変えた。
戻った。
温かさのいる方へ。
巣に戻った。
温かさがいた。
雛の傍に来た。
くちばしが、頭に触れた。
一度だけ。
いつものように。
雛は温かさを見た。
温かさも雛を見た。
それから、また並んで、空を見た。
今日、飛んできた空を。
広い空を。
また飛ぶ日が来る。
もっと遠くへ飛ぶ日が来る。
温かさのいない空を飛ぶ日が来る。
しかし今日は、まだここにいた。
温かさの傍に、いた。
それで、よかった。
今日は、それで十分だった。
夜になった。
雛は、羽の下に入った。
温かさに包まれた。
最初の日と、同じように。
温かさが声を出した。
低く、繰り返す声を。
雛はその声を聞いた。
眠った。
温かさの中で眠った。
広い空を飛んだ日の夜、温かさの中で眠った。
それだけだった。
それだけで、十分だった。
(第十話 了)
母の羽の下で――ある雛の話 完




