第九節 ― 誰も管理していない
《GOD NAME:NOT FOUND》
白い文字は、まだ画面に残っていた。
ミオが端末から手を離したあとも、《GATE 0》そのものは沈黙している。床に広がった白い反射も消え、そこにあるのはケーブルと机の脚、それから少し汚れた床だけだった。
NOCTが最初に動いた。
「ここまでにする」
椅子へ滑り込み、キーボードを叩く。
「ミオの計測も終了。《GATE 0》への追加照会も止める。これ以上は触らない」
「賛成」
レンが即座に返した。
少し前までなら、結果が出なかったことを理由にもう一度試したがったかもしれない。
けれど今は、ミオへ確認するまでもなく端末から距離を取っている。
ユウリもスマホを下げた。
「アヴィも切って」
「とっくに外部照合は止めてる」
アヴィの表示が縮小される。
「僕だって、何でも最後まで覗けばいいと思ってるわけじゃない」
「今ちょっとだけ見直した」
「普段の評価が低すぎない?」
いつもの声だった。
その軽さに、ユウリは少しだけ息を抜く。
そこで。
別のモニターが鳴った。
短い電子音。
一度。
二度。
NOCTの手が止まる。
「……何だ?」
《GATE 0》とは別に置かれていた監視画面へ、新しい表示が出る。
《GATE RESPONSE》
続いて。
《NODE DISCOVERY》
「NOCT?」
レンが覗き込む。
「今、止めたんじゃないのか」
「止めた」
NOCTが即答する。
キーを叩く。
「こっちからの追加接続は切った」
その間にも表示が増える。
《NODE DISCOVERY》
《NODE DISCOVERY》
《SYNC》
一行。
また一行。
画面の右端から、見慣れない文字列が次々と流れ込んできた。
「これ……」
ユウリは近づく。
英語ではない。
日本語でもない。
アヴィが一部へ簡易翻訳を重ねる。
スペイン語。
アラビア語。
韓国語。
中国語。
フランス語。
見覚えのない文字体系まで混ざる。
「世界中?」
ミオが呟いた。
NOCTは答えない。
別のウィンドウを開く。
一つのノード。
短い動画サイトの投稿。
夜の道路に立つ、誰も知らない白い像。
二つ目。
宗教系配信の切り抜き。
祈祷文の字幕の一部だけが別の神名へ置き換わっている。
三つ目。
創作画像。
生成AIで作られたらしい神像に、複数文化の装飾が重なっている。
次。
都市伝説掲示板。
次。
神格照応ログ。
次。
AVISに似た画面。
けれど、ロゴもUIも違う。
次。
正体の分からないアプリ。
同じように、
《NODE DISCOVERY》
また別の場所。
《SYNC》
数が増える。
十。
百。
ユウリには、もう一つずつ追えない。
「これ、さっき始まったの?」
レンが訊く。
NOCTがログを遡った。
指が止まる。
「違う」
「違う?」
「もう来てた」
画面の別欄を指す。
ミオを計測していた時刻より前から、照会記録が積み上がっている。
その時は全員が《GATE 0》のスキャン結果へ意識を向けていた。
目に入っていなかっただけだ。
「じゃあ」
ユウリはミオを見る。
ミオもこちらを見返す。
NOCTが先に言った。
「彼女の反応が始めたわけじゃない」
迷いのない声だった。
「少なくとも、このログを見る限り、接続はその前から動いてる」
ミオの肩から、わずかに力が抜けた。
ユウリもそれ以上、その二つを結びつけるのをやめる。
同じ場所で露出した。
今分かるのは、それだけだ。
「数、増えてる」
レンの声が低くなる。
モニターの端。
《ACTIVE NODES》
数字が跳ね上がる。
三桁。
四桁。
なお増える。
「何千……?」
ユウリが言った時には、もう次の桁へ進もうとしていた。
NOCTがキーボードへ両手を置く。
「ローカル切る」
「待って、他の階は?」
「先にこっちだ」
操作。
接続状態のランプが一斉に落ちる。
《LOCAL NETWORK:OFFLINE》
《OPEN VAULT》内のいくつかの端末が通信断を示した。
サーバーのアクセスランプも静かになる。
「切れた?」
ミオが訊く。
誰も答えなかった。
《GATE 0》の画面だけが、消えていない。
《SYNC》
新しいノードが追加される。
NOCTの手が止まった。
「……は?」
もう一度、ネットワーク状態を確認する。
「有線も無線も落ちてる」
「携帯回線?」
レン。
「この端末には入ってない」
「隣から拾ってる?」
「遮断した」
それでも。
《NODE DISCOVERY》
表示は続く。
ユウリのスマホが震えた。
《EXTERNAL ROUTE DETECTED》
アヴィが顔を出す。
「こいつ、ここの回線だけ見てない」
「どういう意味?」
「まだ追ってる」
アヴィの返事が短くなる。
レンがNOCTの横から接続図を覗き込んだ。
画面には、複数の点と線が描かれ始めている。
一つの中心から枝が伸びている形ではない。
点と点がつながる。
その先から、また別の線。
さらにその先。
「P2P?」
レンが言った。
「もっと悪い」
アヴィが即座に返した。
「何が?」
「P2Pなら、参加してる端末同士がデータを回す」
画面上で、一つの点が新しい点へ接続する。
その新しい点から、さらに三本。
「これは」
また増える。
「つながった先が、次の入口になってる」
NOCTが顔を上げる。
「うちがホストじゃないの?」
「違う」
「じゃあ、元のホストは?」
アヴィが一瞬黙る。
「それを探してる」
接続図が広がる。
中心が見えない。
どこか一つを選んで拡大しても、そこからまた別方向へ線が伸びている。
「……ない」
アヴィが言った。
「何が」
「今見えてる範囲では、親がいない」
レンが画面を見る。
「誰もホストじゃないってこと?」
「そう」
アヴィは珍しく、言葉を飾らなかった。
「誰もホストじゃない」
その瞬間。
壁の向こうから悲鳴が聞こえた。
ユウリが振り返る。
「上?」
「メインフロア」
NOCTが扉へ走る。
三人も続いた。
《OPEN VAULT》を出る。
《BACK CHANNEL》では、何人かがすでに立ち上がっていた。
「何があった?」
「分からない!」
「上から――」
また声。
今度は悲鳴というより、驚きの声が重なった。
NOCTが階段へ向かう。
B1へ戻るほど、音楽が大きくなる。
けれど、その中に混じるものがさっきまでと違っていた。
知らない声。
歌ではない。
誰かが、同じ音を一定の間隔で繰り返している。
「祝詞……?」
ミオが立ち止まりかける。
「たぶん。でも」
アヴィが言う。
「僕の参照先にはない」
メインフロアへ出た。
音楽は流れたままだった。
照明も消えていない。
客の大半はその場にいる。
だからこそ、何が起きているのか一瞬分からなかった。
「……ユウリくん」
ミオが袖を掴む。
壁。
さっきまで黒い内装だった場所に、白い柱が立っている。
いや。
立っているように見える。
壁紙でもプロジェクションでもない。
奥行きがある。
柱の向こうに、暗い回廊。
そのさらに先へ、存在するはずのない神殿の空間が続いていた。
なのに、そのすぐ横では普通に非常口の表示が光っている。
「映像じゃない」
レンが言った。
「VJ出力、あそこじゃない」
別の場所で、女性客が自分の足元を見て固まっていた。
影。
彼女自身は何も変わっていない。
けれど、床へ落ちた影の頭にだけ、長い角がある。
「何これ……」
本人が振り返る。
角のある影も遅れて動く。
一瞬。
次の照明が走った瞬間には、ただの人影へ戻った。
近くでスマホが音を出す。
持ち主の青年が画面を見る。
「俺、何も再生してない」
スピーカーから声。
低い。
複数人が重なっているような発音。
知らない言葉。
それでも、祈りの形式だと分かる。
一定の反復。
呼びかけ。
間。
応答。
青年が電源を落とす。
画面は暗くなる。
声だけが、あと二節ほど続いてから消えた。
「NOCT!」
VJブースから声が飛ぶ。
「スクリーン!」
巨大画面。
AI生成された女神像が映っていた。
さっきも見た映像だった。
いくつもの文化の装飾を重ねた、実在しない神像。
本来なら、正面を向いたままゆっくり回転する。
今も映像は再生されている。
けれど。
女神の目だけが動いた。
映像の中でではない。
フロアの端。
声を上げた客の方へ。
視線を向ける。
「……今」
ユウリの声が止まる。
スクリーンの女神像が、こちらを見た。
顔は動いていない。
ただ、目だけが。
映像の外にいる人間を見ている。
次の瞬間、通常の映像へ戻った。
曲は止まらない。
客の影。
壁の神殿。
知らない祝詞。
スクリーン。
すべてが別々の場所で起きている。
どこにも、敵らしい一体の存在はいない。
「アヴィ」
ユウリはスマホを握る。
「神格反応は?」
「多すぎる」
「一つじゃない?」
「一つどころじゃない」
画面へ複数の照応候補が重なる。
《PARTIAL》
《UNRESOLVED》
《NO FIXED SOURCE》
アヴィが舌打ちするように息を吐いた。
「しかも全部薄い。顕現って呼ぶには弱いのに、現実側へ触ってる」
ミオがフロア全体を見回す。
白い柱は消えかけている。
その反対側では、誰かの持つペンダントの周囲にだけ見知らぬ文字が浮かび、すぐ消えた。
場所そのものが、いくつもの神話へ同時に触れ始めている。
NOCTがスマホを取り出す。
「全フロア、外部接続停止。イベントも止める」
スタッフへ短く指示を飛ばす。
「客を上へ――」
そこで、何台ものスマホが同時に震えた。
一つではない。
二つでもない。
フロアのあちこち。
客のポケット。
スタッフの机。
DJブース。
レン。
ユウリ。
同時に画面が灯る。
《GATE RESPONSE》
《NODE DISCOVERY》
《SYNC》
誰も操作していない。
誰も、開いたつもりがない。
それでも。
接続だけが、増え続けていた。




