表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/59

終節 ― 隠すな、でも流しすぎるな

 ゲームセンター《コンティニュー》は、少しずつ普通の店に戻っていった。


 最初に戻ったのは、照明だった。


 白く反転していた天井灯が、蛍光灯特有の少し疲れた色に戻る。非常灯の赤が壁際に細く残り、停止していた筐体の画面には、順番に再起動中のロゴが浮かび始めた。


 音ゲーのスピーカーから、短い起動音が鳴る。

 対戦ゲームの筐体には、メーカー名とエラーコード。

 プリクラ機は「メンテナンス中」の文字を出し、クレーンゲームのアームはぬいぐるみの上で頼りなく揺れていた。


 さっきまで、ここに神話がいた。


 名前をスコアに変え、プレイヤーネームと現在名をつなぎ、生徒たちを契約へ誘導しようとした何かが、確かにいた。


 けれど、今の店内を見ただけなら、ただの機械トラブルにしか見えない。


「停電?」


「通信障害じゃね?」


「イベント演出……にしては怖すぎたんだけど」


「何か、めっちゃ疲れた」


「俺、何で床に座ってんの?」


 生徒たちは、口々にそう言いながら立ち上がっていく。


 何が起きたのかを、はっきり覚えている者は少ない。

 だが、何かが起きたという疲労だけは残っている。

 肩をさする者。スマホを見て首を傾げる者。友人の名前を確かめるように呼ぶ者。


 倉持ハルトは、しばらく自分の手のひらを見つめていた。


 それから、ふと思い出したように言った。


「倉持ハルト」


 自分の声で、自分の名前を確認する。


 ユウリが見ると、倉持は照れ隠しのように笑った。


「いや、念のため」


「うん」


「笑うなよ」


「笑ってない」


「顔が笑いそうだった」


「悪い」


 ユウリが素直に謝ると、倉持は少しだけ肩の力を抜いた。


 そのスマホには、もう《契約しますか?》の表示はない。

 《HARUTO_Gt》と《倉持ハルト》を結んでいた危険な線も、ユウリの視界からは消えていた。


 ただし、完全に元へ戻ったわけではない。


 倉持のAVIS一般版には、まだ見慣れない項目が一つ残っている。


《β機能:一部利用可能》

《神格適性測定:制限中》


 倉持は画面を見て、顔をしかめた。


「これ、消した方がいいやつ?」


「今は触らない方がいい」


「触らない方がいいアプリが、勝手に入って勝手に機能増やすの、普通にホラーじゃね?」


「だから触るなって」


「はいはい」


 軽口は戻っている。


 けれど、倉持の指は、画面から少し距離を置いていた。


 怖さを覚えている。


 細部は忘れても、押してはいけないものがあった感覚だけは残っている。


 それだけでも、まだましなのかもしれない。


 店内の奥では、店員が困り果てた顔でブレーカーを確認していた。生徒たちは「今日はもう営業無理っぽい」と言いながら、少しずつ外へ出ていく。誰かが「ミラー・スコア、結局何だったんだよ」と言い、別の誰かが「バグイベントじゃね」と答える。


 その言葉は、普通の日常に戻ろうとするための仮の札だった。


 設備トラブル。

 通信障害。

 変なイベント。

 バグ。


 そう呼べば、怖くなくなる。


 ユウリは、それを責められなかった。


 人は、理解できないものに名前をつけて安心する。


 ただ、その名前が誰かを傷つけることもあるのだと、今はもう知っている。


   *


 店の外に出ると、旧北口商店街の空気は冷たかった。


 アーケードの灯りが、雨上がりのように濡れた舗道を薄く照らしている。実際には雨など降っていないのに、地面はどこか光を含んでいて、さっきまでの雷と画面の白さがまだ残っているように見えた。


 《コンティニュー》の入口脇には、短い階段がある。


 レンはそこに座っていた。


 膝に肘を置き、右手をだらりと下げている。手首には、まだ薄く雷の紋が残っていた。青白い線はもう激しく光っていないが、皮膚の下に細く焼きついたように見える。


 本人は平気な顔をしようとしていた。


 だが、顔色は悪い。


 唇の色も薄い。

 呼吸も少し荒い。

 いつもなら余計な一言を先に言うはずなのに、今は黙って空を見ている。


 ユウリは、隣に腰を下ろした。


 階段のコンクリートは冷たかった。


 少し離れて、ミオが立っている。彼女は二人の会話に入るでもなく、離れるでもなく、見守る距離を選んでいた。


 レンはしばらく何も言わなかった。


 それから、ぽつりと呟いた。


「隠して守るのは違うって、思ってた」


「うん」


「今でも、思ってる。マシロさんみたいに、全部白くして、知らなかったことにするのは違う。トウマみたいに、危ないから切るっていうのも、やっぱ怖い」


 レンは右手首の雷紋を見る。


「でも、俺が流したせいで、誰かが危険になるのも分かった」


 その声は、いつものレンより少し低かった。


 後悔している。


 けれど、自分を全否定しているわけでもない。


 だから、ユウリはすぐに慰めなかった。


 軽く「お前のせいじゃない」と言えば、楽かもしれない。

 でも、レンはそれを望んでいない気がした。


 たぶん、レン自身も分かっている。


 全部が自分のせいではない。

 それでも、自分が開けた扉があった。


 その両方を見なければいけない。


「たぶん」


 ユウリは言った。


「全部を閉じるのも、全部を開けるのも違う」


 レンは、横目でユウリを見る。


「お前、ほんと保留ばっかだな」


「そうかも」


「そこは否定しろよ」


「でも、保留しないと見えないものもある」


 レンは少し黙った。


 それから、疲れたように笑った。


「何か、今のちょっと主人公っぽい」


「茶化すな」


「茶化してねえよ。半分くらい」


「半分は茶化してるだろ」


「バレたか」


 やり取りは軽かった。


 けれど、以前と同じではない。


 二人の間には、今日のことがある。

 レンが神話板へログを流したこと。

 ミラー・スコアが暴走したこと。

 レンがヴァルガ=ライオスと照応し、《雷吼の荒冠》を展開したこと。

 ユウリが、公開情報の余白化で人の名前を守ったこと。


 それらを、なかったことにはできない。


 それでも、友情が壊れたわけではなかった。


 むしろ、少しだけ重くなった。


 軽口だけで済ませられない分だけ、簡単には切れないものになった気がした。


 ミオが、そっと近づいてきた。


「レンくん」


「ん?」


「さっき、名前を守ってくれて、ありがとうございました」


 レンは困ったように笑った。


「いや、俺が危なくしたんだけど」


「それでも、最後は守ろうとしてくれました」


「……そう言われると、逆に刺さる」


 ミオは小さく首を傾げた。


「刺すつもりはありません」


「ミオって、たまに天然で強いよな」


 その言葉に、ミオは少しだけ笑った。


 薄い笑みだったが、確かに笑った。


 ユウリは、その表情を見て少し安心する。


 ミオの学生証には、まだ名前が残っている。


 星宮ミオ。


 それだけで、今は十分だった。


 レンのスマホが震えた。


 短い通知音。


 レンの表情が、ほんのわずかに変わった。


 彼は反射的に画面を見て、それからすぐに伏せようとした。


 ユウリは気づいた。


 見えてしまったわけではない。


 だが、レンの手の動きが早すぎた。


「レン?」


「何でもない」


 レンはそう言った。


 あまりにも早く。


 ユウリは、そこで追及しなかった。


 けれど、伏せられる前の画面に、わずかに白い文字が映っていた。


《Mirror Score β:観測完了》

《雷吼の荒冠:記録》

《久遠レンを構文解放候補として認識》

《次の扉は、地下にあります》

《Club MISLEAD》


 Club MISLEAD。


 その名前だけが、ユウリの頭に引っかかった。


 地下。


 次の扉。


 構文解放候補。


 レンはスマホをポケットにしまう。


 視線を合わせない。


 ユウリも、今は何も言わなかった。


 言えば、レンはきっと誤魔化す。

 あるいは、話す準備ができていないまま話すことになる。

 それは、今のレンに必要なことではない気がした。


 ただ、覚えておく。


 それだけにした。


   *


 同じ頃。


 旧北口商店街から少し離れた路地に、白い車が一台停まっていた。


 外から見れば、医療相談車か、行政の巡回車のようにも見える。目立つロゴはない。窓には薄いスモークがかかっており、中の様子は見えない。


 その車内で、烏丸マシロは端末を見ていた。


 白い画面に、神狭市の簡略地図が表示されている。旧北口商店街の一点が、薄く点滅していた。


 マシロの表情は、いつも通り静かだった。


 怒っているようにも、驚いているようにも見えない。


 ただ、目だけがひどく冷静だった。


《ゲームセンター《コンティニュー》異常収束》

《Mirror Score β:停止》

《ミラー・ランカー本体崩壊》

《残存ログ:拡散》

《神狭市内AVIS一般版:β機能拡散中》


 マシロは指先で画面を送る。


《久遠レン:情報拡散リスク上昇》

《契約相展開を確認》

《契約神照応:ヴァルガ=ライオス》

《分類:封鎖解除型/高拡散リスク》


 次の項目。


《天瀬ユウリ:公開情報余白化を確認》

《契約相:未署名の観測翼》

《第三用途:個人名保護》

《評価:管理機構方式とは異なる抑制処理》

《要監視》


 さらに次。


《星宮ミオ:公開観測リスク増大》

《現在名保持:継続》

《内部照応欠落:未解消》

《隔離推奨レベル:再評価中》


 マシロは、そこで指を止めた。


 星宮ミオ。


 未定義核。

 依代候補。

 理触疑い。

 複数女神残滓流入。


 分類はできる。


 危険度も測れる。


 だが、天瀬ユウリは今日、その分類へ白い余白を挟んだ。


 完全に隠したわけではない。

 完全に流したわけでもない。

 個人名だけを神話の素材から外した。


 それは、管理機構の方法ではない。


 効率が悪い。

 再現性が低い。

 担当者の判断に依存する。

 大規模災害には向かない。


 それでも、今回に限れば効果があった。


 マシロは静かに息を吐いた。


「保護では、足りない」


 以前、自分でそう言った。


 その認識は変わらない。


 ただ、保護以外の方法が存在しないとは、もう言い切れない。


 マシロの端末に、新しい通知が浮かぶ。


《アーカイヴ・ノア中央記録》

《白環管理区域再展開の申請準備》

《対象:旧北口商店街/星綴高等学園/AVIS一般版ユーザー群》

《承認待機》


 マシロは、それを見つめた。


 すぐには承認しなかった。


   *


 旧北口商店街の階段では、レンがようやく立ち上がろうとして失敗していた。


「うわ、足に来てる」


「無理するなよ」


「いや、立てる。俺は立てる男」


「膝笑ってるけど」


「これは膝が楽しくなってるだけ」


「意味分からない」


 ユウリが肩を貸すと、レンは不満そうにしながらも体重を預けた。


「借り一な」


「助けてる側が借り作るのかよ」


「俺のプライド保護費」


「高いな」


 ミオが、二人の横で少し笑う。


 その時、ユウリのスマホが震えた。


 アヴィだ。


 画面には、いつもより硬い文字が並んでいた。


《警告》

《契約相連続使用による肉体・記録負荷を検出》

《天瀬ユウリ:軽度》

《久遠レン:中度》

《星宮ミオ:内部照応欠落継続》

《専門診断を推奨》


 ユウリは眉を寄せた。


「専門診断?」


 レンも画面を覗き込む。


「何それ。病院行けってこと?」


 アヴィの表示が更新される。


《通常医療機関では診断困難》

《神話構文障害、契約相負荷、現在名揺らぎ、内部照応欠落を総合的に確認可能な診療所あり》


 ユウリは嫌な予感を覚えた。


「それ、まともな場所なんだよな?」


 少し間があった。


 アヴィが答える。


《白紙カルテ診療所》

《医師:白羽根イツキ》

《契約神照応:メディカ=ヴェルム》

《専門:神話構文障害/AVIS契約者の肉体反応/神格権能使用後の後遺症》


 レンが顔をしかめる。


「白紙カルテって、名前からして嫌なんだけど」


「同感」


 ミオは小さく呟いた。


「白紙……」


 その言葉に、少しだけ不安が混ざる。


 名前が書かれていないもの。

 空白のままの記録。

 書き込まれるのを待つ紙。


 今のミオには、あまり優しい響きではなかった。


 アヴィの表示は、さらに続いた。


《注意》

《白羽根イツキは治療可能性あり》

《同時に、対象を症例として観察する傾向あり》

《治療対象としてではなく、症例として扱われる可能性があります》


 ユウリは画面を見つめた。


「つまり、いい医者だけど、いい人とは限らない?」


《概ね正確》


 レンが乾いた笑いを漏らした。


「この街、そんなやつばっかじゃね?」


 ユウリは否定できなかった。


 神々を信じるレイジ。

 守るために管理するマシロ。

 救うために切るトウマ。

 開くことで危険を広げたレン。

 名前を守るために、まだ答えを出せない自分。


 そして今度は、治すために観察する医師。


 誰も単純な悪人ではない。


 だから、厄介だった。


 ユウリはスマホを閉じかけて、もう一度画面を見た。


《白紙カルテ診療所》

《所在地:旧北口商店街裏通り》

《診療時間:不定》

《初診受付:要紹介》

《紹介元候補:カフェ《ノーネーム》》


 その最後の行を見て、ユウリは思わず顔を上げた。


 旧北口商店街の奥に、カフェ《ノーネーム》の灯りが見える。


 店名のない入口。

 真鍮の札。

 名前を聞かない老紳士。

 黒いシルクハットと銀の杖。


 名を守った者は、次に名を預かりたがる者と出会うものだよ。


 老紳士の声が、ふと耳の奥に蘇った。


 ユウリは息を吐く。


「……行くしかないか」


 レンが隣で呻いた。


「できれば明日以降で。今行ったら、俺たぶん診察台で寝る」


「今日は帰ろう」


 ミオが言った。


 その声は、柔らかかった。


「今日は、帰ってもいい日だと思います」


 ユウリは少し考えて、頷いた。


「うん。帰ろう」


 その言葉を言った瞬間、胸の奥に少しだけ日常が戻った気がした。


 帰る。


 ただ、それだけのことが、今は妙に大切だった。


 旧北口商店街の灯りの下を、三人はゆっくり歩き出す。


 レンはユウリの肩を借り、ミオはその少し横を歩く。誰も多くは話さない。だが、沈黙は悪くなかった。


 その背後で、ゲームセンター《コンティニュー》の看板が、弱々しく点滅している。


 もう一度、続けますか。


 その問いに、ユウリは振り返らなかった。


 今日は続けない。


 今日は帰る。


 けれど、街のどこかでは、開けすぎた扉の向こうから、まだ誰かがこちらを見ている。


 神話板の深層。

 地下へ続く次の扉。

 Club MISLEAD。

 白紙カルテ診療所。

 そして、ネットのさらに奥で照合不能のまま残った言葉。


 ログ・オリュンポス。


 まだ名づけられていない次の災害が、神狭市の夜の下で、静かに読み込まれ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ