20 あの日の背中
中学生最後の夏休みが終わった。始業式を終えて数日が経とした現在も、弛緩した空気が校内を包み込んでいた。
体育の授業が終わった凪は、日向とともに体育館から玄関に向かおうとする。
クラスメイトの列についていくと、数列前に彩葉と水菜の姿が目に入った。二人とも後ろに髪を縛っている。
「ねぇ、水菜ってば」
「……うん? なにか言った?」
何度か彩葉が声をかけた末に、水菜が反応を示した。首を傾げ、疑問符が頭に浮かんでいる。
「最近ぼーっとしている時多いよね。悩み事とかある?」
「……受験とか色々」
「あと半年で私たち卒業だもんね。後悔ないように過ごさないと」
うん、とくぐもった返事をする水菜の横顔には、建物の影が差していた。
授業終わりの放課後。お手洗いを済ませてから帰宅しようと廊下に向かった矢先、凪の背中に声がかけられた。
「夏休みはどうだったの?」
「別に何もなかったよ」
「水菜のことどうするの?」
彩葉の顔が、覗き込んでくる。真っ直ぐな瞳は、鋭利に凪の心を突き刺して離さない。
凪は目を合わせると、視線を逸らすことなく見返した。
「何もなかったからこそ……頑張ろうと思う」
「そっか。水菜ならまだ教室にいるよ」
じゃあね、と勢いよく彩葉が背中を向ける。息を吐いた凪は、ぎっと唇を固くした。
教室の床を踏むと、一人椅子から動かない水菜の姿が目に入る。頰付いたまま、窓の外に目を向けている。夕陽をいっぱいに浴びている髪の毛が、オレンジ色に靡いていた。
話しかけようとした凪だが、言葉に詰まり、鞄を手にする。指先に力を入れると、水菜の方向に足を動かした。
「片里さんは帰らないの?」
「……鈴川君か。ちょっと考え事してて」
水菜が顔を上げると、丸い目を浮かべていた。凪が視線を窓に向けると、グラウドを走る陸上部の姿を捉えた。
「僕も最近色々考えちゃうよ」
――月島君のことを考えていたの、とは言えない。
「頑張れるかな」
「受験のこと?」
「うん。そんな感じ」
水菜は、再び窓の外に目を向けた。細く息を吐いた凪は、顔を上げる。確かに、水菜の姿を捉えながら口にした。
「片里さんなら大丈夫だよ」
――僕は、片里さんに勇気付けられたんだから。
その言葉を耳にしてか、突然水菜が立ち上がる。小さく首を縦に振ると、拳を作っていた。
「走ってみたら分かるかも。鈴川君はいつも私が困っている時に助けてくれるね」
ありがとう、と告げた水菜の瞳は、夕陽よりも遥かに煌めいていた。
教室を出ようとした背中に、思わず凪が声を掛けた。
「僕も一緒に走っていい?」
――少しでも、君の横に居たいから。
「うん? いいよ。グラウンドは部活動で使えないから校舎の周りを走ろうか」
ジャージ姿の水菜と合流すると、準備体操を行い、それからアスファルトを蹴り出した。
並走していた凪だったが、いつの間にか水菜の背中を追いかけること。入学当初に見かけた水菜は、こんなに速くはなかった。
三年間という歳月の中で、陸上と向き合ってきた成果。
纏めた後ろ髪が揺れ、白地色のうなじが見え隠れしている。ひたすらに地を駆ける横顔は、表情筋に力が入り、普段の水菜とは別人のような感覚を抱く。
少し休憩しようか、と水菜が立ち止まる。
「中学校に入学したての頃さ、教室で話したことあったよね」
遠くに並ぶ山々に目を向けてながら、水菜が呟いた。
目を見開いた凪は、息を呑んだ。
「あの時さ、僕には誰も知り合いがいなくて。クラスで仲良くしている子たちを見ていると、これから学校生活送れるのかなって不安になって」
水菜が、押し黙っている。凪は、言葉を紡いだ。
「そんな時に片里さんが話しかけてくれて、すごく心強かった」
だから、と凪が口元を緩ませる。
「人に勇気を与えられる片里さんなら、自然と勇気も湧いてくると思う」
「……意外」
え、と水菜に振り向く。
「少し前までの鈴川君って距離感分からなくて、どんな子なのかも分からなかった。でも、優しいなって最近いつも思う」
水菜の浮かべた笑顔に、凪が目を奪われる。瞬き一つせず、呆気に取られていた。
視線を逸らすと、頰を掻く。すると、突然腹部を抱えた。
「いたた……」
「走ったの久しぶり?」
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