中学生編②守護天使セラピーとは
1週間ぶりのカウンセリングルーム。
保健室の隣にあるこの狭い部屋には、今日も湿った空気が漂っていた。
クリーム色のカーテンは太陽を少ししか吸収せず、ひだまりのようにこの部屋を照らした。不快だ。
その中で僕は、前回と同じようにソファに沈み込むように座っていた。
目の前には、先週と同じ“5人目”のカウンセラーが座っている。
白いブラウスに紺色のカーディガン。瞬きするたびに変化する目の形。陰キャ特有のぼさぼさ下一本縛り。でも、その中身は相変わらず掴めない。宇宙人みたいな人だった。
「こんにちは。守護天使セラピー興味持ってくれたんですか?」
「別に」
「あら…でも私を継続してくれたってことは少しは興味を持ってくれたんですか?」
「……うざ」
ため息交じりに言った。でも確かにそうだ。校長と親から5人目のカウンセラーはどうかと聞かれ「まぁ…」と答えた。校長と親は僕のその反応に安堵した。
まぁでもこの5人目のカウンセラーを嫌いになる理由がなかった。僕の幾千にも張り巡らされた地雷を何故かまったく踏まない。無理に探らない。哀れまない。見下さない…。
僕を…支配しない。
13年しか生きていない大したことない僕の直感がそう判断したのだ。
カウンセラーは足下に置いていたリュックから布に包まれた何かを取り出した。
ランドセルくらいのサイズのやや大きい人形だった。
女の子の形をしていた。どことなく幼い表情。
茶髪の巻き髪に黒い目、黒のワンピースに赤いリボン。
「これは“ニーナ”です。今日からあなたに守っていただく、あなたの“守護対象”です」
「……は?」
「この子は、あなたと同じように、性被害を受けました。年齢は同じ。名前はニーナ。それは仮名です。本人の素性は、あなたには一切知らされません。もちろん、向こうにもあなたの情報は伝えていません」
人形を両手で渡され、受け取るか迷ったけれど受け取ってしまった。意外とずっしりしていて重かった。中身は綿というよりビーズのようだった。
「……守護天使セラピーって、つまりそういうこと?」
僕は人形と目を合わせながら言った。人形は笑顔のまま何も答えてくれない。
「はい。あなたはニーナの“守護天使”として、言葉を贈っていただきます」
「なに僕がこの人形の教祖になるの……」
「まぁ…そんな感じです。あ、人形じゃなくてニーナですからね。これは心理療法の一種です。まだ確立されていないですが」と言ってカウンセラーはペットボトルに入った紅茶を一口飲んだ。
「ニーナの側にも、私の知り合いのカウンセラーがついています。二人はそれぞれの支援者の下で、匿名の文通を通じて心の支えを育てていきます」
「え、普通にキモい。結局僕のこと治療しようとしてるだけでしょ。そもそもニーナは存在するの」
睨むように言うと、カウンセラーは少しだけ微笑んだ。
「ニーナは存在しますよ。でもニーナの正体を明かすことは一切できません。私がニーナのフリをしている可能性もあるかもしれませんね。でも…今日ここに来たっていうことはセラピーに興味を持っているということでしょ?」
あっけらかんと返された。
「一般的なセラピーは受けたくない。カウンセラーに支配されるような気持ちにはなりたくない。…だったら今は、誰かを守ることで、自分自身の輪郭を取り戻していきませんか?」
カウンセラーと目がバッチリ合った。
おぼつかない瞼に隠された瞳に情けない僕が映った。
この人は、ほんと、面倒くさいほど正直だ。
でも──たぶん、嘘は言っていない。
この人がニーナのフリをして手紙を書いていることはない。
「……で、やれってこと? 手紙」
「はい。今回は、ニーナに最初の手紙を書いてもらいました。ニーナは守護天使セラピーを提案されたその日に書いてくれたみたいなんですよ」
そもそも僕やるって言ってないじゃんとつっこもうと思ったがやめた。どうせ、さっきみたいにあっけらかんに返されて終わりだ。
カウンセラーは封筒を机の上に置いた。
白地に黒いボールペンで、“サリーへ”とだけ書かれていた。
「サリーって誰?」
「あなたの仮名です」
「ださ」
「えぇそんなぁ」
カウンセラーはしっかり眉を八の字にして落ち込んだ。初めて私の前でこのカウンセラーは感情を表情に出した。ここで出すのか。そんなにこの名前に思い入れがあるのかな。
「読むの、僕だけでいい?」
「いいですよ。ニーナの手紙もカウンセラーがついて書いているものですから。あ、でも、あなたが読んだら私にも後で読ませてくださいね。ねぇサリー」
カウンセラーはサリーの部分を強調してニヤリと笑った。
「……うるさいって」
僕は封筒に手をかけた。
ニーナ。
見たことも、会ったこともない。
でも、僕と同じアレを経験している“誰か”。
赤くて丸いシールを剥がし封筒を開けた。便箋が一枚、音を立てて出てきた。
文字は、丸っこくて可愛らしかった。
確かに目の前の宇宙人には、こんな可愛い文字は書けないよなと思いながら手紙を読み始めた。




