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世界の音を、君はまだ知らない  作者: 此崎 りつ
一章 学園生活編
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1-3 ルシエルの気配り

ハンナ・クレイリッジはサラダの小皿に手を伸ばした。

小柄なハンナは食が細いのでトレーには余白が多く、野菜メインとなっている。

彼女もルシエルたちと同じ魔導科の生徒だ。

クラスメイトとテーブル席に座り、

今話題の、他校の男女の恋愛事情を描いた文芸書の話で盛り上がっている。


「あー、私もあんな彼が出来たらなぁ。門の前で待っているのを見たら胸がときめいちゃうわ」


「何言ってるのよ、メルバ。寮だって敷地内にあるんだから門から出るなんて滅多にないじゃない」


「だーかーらー、例えばよ。たーとーえーばー。ねぇ、ハンナ?あなただってそんなことされたらときめいちゃうでしょ?」


「う、うん。そうだね」


「もう!メルバったら。ハンナが困ってるじゃない。ハンナも違うなら違うって言った方がいいわよ」


皆、なかなか食事が進まない。


少し離れたところから、大きな笑い声が聞こえた。

ハンナはそちらに目をやると、編入生のエバンとルシエルが何やら楽しげに話している。

エバンとはまだ一度も話したことがない。たぶん私のことは知らないだろう。とハンナはサラダを口に運びながら思った。

一方のルシエルとは一年次から知っており、隣の席になって話したことがある。

真面目で誠実そうな人なんだと思う。話すと言っても授業の内容のことが大半だったからあまり人柄を知らない。

けれども、言葉遣いが丁寧だったので、そう感じたのだった。


 

午後は別室に移動し魔法薬学の授業がある。

ハンナは少し治癒魔法が使える。そして、魔法薬学は興味のある科目だった。

今日はグループごとに薬を生成するための基本となる薬剤を調合するのだが、これがなかなか難しい。

用途によって配合量や煮沸温度、調合のタイミングなどが違うので基本といえども気が抜けない。

しばらくすると、向こうの方で、ボンという小さな音とともに煙と落胆の声が上がった。

恐らく煮沸温度と調合のタイミングが微妙にずれたのだろう。

──難しそうだなぁ。と思った時、同じグループのメルバ・ベルローズが言った。


「ルシエルってこういうの得意なんでしょ?最初の調合やってくれない?」


うん。と言ってこちらも同じグループのルシエルは天秤を使い慎重に測っている。


「これでいいと思うよ」


「さすがー。ならこのまま続きもお願い」


と顔の前で手を合わせたメルバ。

それを物言いたげな顔で見るハンナ。


──あっ、


「せっかくだから、みんなでやろうよ。滅多に出来ることじゃないからさ、はい」


とルシエルはハンナにビーカーを手渡した。

そっと受け取ったハンナはおぼつかない手つきで蒸留器へと移し、火をつけた。


「えっと、これって沸騰する手前で火を弱めるでよかったんだ、よ、ね?」ハンナは小さい声でつぶやいた。


「うん。それで合っているよ。ただ、今日は少し湿度が高いから冷却が遅れるかもしれない。テキスト通りのタイミングに合わせると失敗してしまう気がするんだ。

だから、もしかしたら気持ち早めのほうがいいかもね」


と言って、ルシエルはハンナの隣りで一緒に温度計を見ている。

メルバと他の生徒はやや飽きているようで他のグループを見たり、話していたりする。

ルシエルの鋭い眼差しは温度計から決して離さないが、どこか楽しげだ。

そのとき、隣グループの方からボンッという音が聞こえハンナの身体は小さく跳ねた。


*  *  *  *  *


教室へ戻る道すがら、ハンナは先ほどのことを思い出していた。

ルシエルは色々なことを知っている。おそらく魔法薬学についてはトップクラスだろう。

今回の薬剤が完成したのはハンナたちの班だけだったが、規定量の生成ができず、合格点はもらえなかった。

ルシエルが一人でやったならきっと何の問題もなく合格だったのだろう。

それなのに、みんなでやろうと提案し、差し出がましい態度は一切見せなかった。

廊下の先でエバンにちょっかいを出されているルシエルを見つけた。


──あのふたり、仲いいな。


*  *  *  *  *


放課後、ハンナは帰り支度が遅れてしまいひとり教室に取り残されていたら、慌てた様子の男子が入ってきた。

ビクリと肩を動かし恐る恐るそちらを伺った。


「あれ、まだ残ってたの?あ、あったー。よかったー宿題無くしたかと思ったー」


ロッカーを漁りながら安堵の笑みを浮かべたのはルシエルだった。

宿題のプリントを丁寧に二つ折りにして鞄に詰めながら、

「もう帰るところ? よかったら下まで一緒に行こう」と教室のところでハンナの方を向いて言った。

うん。と頷き、ルシエルの半歩後ろを歩く。


「ルシエルって物知りだよね?今日の魔法薬の授業の時も凄かったし」


「そんなことないよ。たまたま知っていただけだよ」


「魔法薬学好きなの?」ハンナは自分が興味があったから何気なく聞いてみた。


「うん、好きと言うか、何だろう?必要だからと言うか。まぁ、どちらかと言えば好きかな」


──必要? 将来魔法薬師を目指しているのかな、とハンナは思った。


「今日の授業の課題難しかったなぁ。わたしが最後の分量を間違えちゃったから合格点はもらえなかったけど、あれ、ルシエルが全部やってたら絶対に合格だったよね。最後までやってくれたらよかったのに」

ハンナは人差し指で頬をかきながら言った。


「あの最後の調合はすごく難しいんだ。あそこで失敗することはよくあるからね。けど、ハンナはうまく調合させたんだからすごいよ、分量の違いは次回簡単に修正できるもの。みんなでやったから色々な課題が見つけられたんだと思うし、僕だけやったら、『すごいだろ?できるんだぜ!』って顔しているみたいでしょ?そんなの最悪ー」ルシエルは頭をかきながらへへっとはにかんだあと、まっすぐ前を向いて


「それに、あの時ハンナは自分でやりたそうな顔をしていたから」


「え?」


──メルバがルシエルにこのまま作業の続きをと促した時、ハンナは「私もチャレンジしてみたいな」と思っていたが口にすることが出来なかった。

ルシエルはハンナの物いいたげな表情に気づき、ビーカーをハンナに手渡していたのだった。


ハンナは胸の前で抱えていた鞄をギュッと握る。


「僕、寮あっちだから。じゃあまた明日」

そう言ってルシエルは走って行った。


昼間の雨はいつしか止み、オレンジ色の光が走る少年を包み込み、その影がこちらの方まで伸びてくる。

何故だろう?ハンナはその走る後ろ姿が見えなくなるまで目を離せなかった。

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