決意
雨が降っていた。どしゃ降りの雨が屋根を打ち、地面を打ち、外の様子を見れば、視界が白く煙っているように見えるほどだった。
リーメイはいつも通り家事をしながら、ヨウの帰りを待っていた。きっと、ヨウの方が辛い。帰ってきたら浄化する必要があるだろう。
リーメイの胸には心配と共にひっそりとした覚悟があった。
今まで見たことのないほどに辛そうな状態だったらどうしよう、という気持ちもあるが、何があっても、ヨウを支えようという気持ちの方が強い。彼が見たことのないような姿になっていても、いつも通り彼をむかえるのだ。
気持ちはなかなか前にいかないかもしれないが、身体なら元に戻せる。ならば、日常のなかで時間をかけて、彼のこころを癒すのがいいだろう。特段効き目のあることなんてできやしないが、ヨウが毎日リーメイに良くしてくれたように、穏やかな時を一緒に過ごすだけでも違うはずだ。
玄関の戸が開く音がした。
いつもなら歩いてくる音が聞こえるのだが、今日はどしゃ降りだったせいで、それが聞こえなかった。
リーメイは心臓が跳ねるような感じがしたが、すぐに気持ちを切り替えて、玄関へ向かう。
自然と速足になった。いち早くヨウの様子が見たい。普段なら転んでしまいそうな速度でも、足は何故かしっかりと前に進んでいた。
もうすぐ玄関が見える。リーメイは逸る気持ちで口を開いた。
「おかえりなさい、ヨウさま――」
リーメイの足が止まった。
玄関にいたのはずぶ濡れのヨウだった。
角はいつもより長く、頬まで鱗に覆われている。よく見ると、首は鱗でびっしりと覆われており、同じような様になった手からは鋭い爪が生えている。
濡れて顔に張り付いた白い髪の間から覗く目は、どこか赤く光って見えた。いつもより太く、長い尻尾が床に擦れる。
「――ヨウさま!」
リーメイはたまらなくなって、ヨウの元まで駆けていった。可愛らしく見せたいがために、音を立てないで歩くようにしていたのに、それすら忘れて駆けていく。
リーメイは濡れるのも気にせず、ヨウを抱きしめた。ヨウがぴくりと身体を震わせたのが分かったが、力強く抱きしめたまま、リーメイは目をぎゅっと瞑る。
触れた感触がいつもと違う。鎧に触れたときのようなかたさだ。
それを感じて、胸に鋭い何かで突かれたような痛みを感じる。張り裂けそうだ、という言葉はこういう気持ちを形容するためにあるのだろう。リーメイは目頭が熱くなるのを振り切って、思い切って目を開け、ヨウと目を合わせた。
「こんなになるまで……ごめんなさい、すぐに浄化しますから……それに、こんなに濡れて寒いですよね、着替えを持ってきます……」
リーメイが腕を解き、着替えを取りに行こうと踵を返すと、乾いた空気が喉を通っていくような音が聞こえた。
どしゃ降りで聞こえないはずのその音が、何故かしっかりと聞き取れて、リーメイは足を止める。
ヨウの方へ振り向くと、ヨウがこちらを見ているのが分かった。
赤い目が細められている。その目に浮かんでいる色が何か分かって、リーメイは再び胸に痛みを感じた。
「……こんなときまで、僕の心配か」
いつもより声が枯れているような気がする。開いた口からは鋭い牙が見えた。
「……だって、ヨウさま辛そうじゃないですか。わたしはもう大丈夫です。大丈夫だから、今度はヨウさまが元気にならないと」
素直に思ったことを口にすると、ヨウは何かに耐えるように眉をひそめた。
「……すまない。君を、守れなくて」
「ホウ様が代わりに来てくれました。わたしは無事です。……ヨウさまに悪いところなんてこれっぽっちもありません。全部アイツが悪いんです。アイツが……」
ヒェンの顔を思い出して、腹が立ってきた。元はといえばあの男のせいだ。あの男のせいで、ヨウはこうなっているのだ。
「そういう問題ではない。それでは済まないんだ……」
ヨウが俯く。ヨウが立っている玄関の床には水の染みがいくつもできていた。
このまま、家に上がってこないんじゃないか。リーメイはそう思って、ヨウの手を握った。
かたい鱗に覆われ、鋭い爪のはえた手が硬直する。それを感じて、リーメイは目を細めた。
見た目だけだ。確かに人間の皮膚など容易に裂けるだろうが、そんなの見た目だけだ。やはり、こんなに傷つけることを恐れている人が化け物呼ばわりされるのは許せない。
「まずは、ヨウさまの部屋に行きましょう!お着替えして、浄化して、話はそれからです!」
厚めの布で頭などを拭いた方がいいのだが、一度離れたら戻ってこないような気がした。
リーメイはヨウの手を引こうとする。
「危ない、やめたほうがいい」
ヨウは懇願するような目でそう言った。だが、リーメイは強い瞳で見つめ返す。
「じゃあ手首を握りますね。これなら爪も届きません。」
「そういう問題じゃ、」
「ヨウさまは一回もわたしを傷つけたことなんてありません。きっと、ものすごく気をつけてくれてたんですよね。今だって、手が凍ったみたいに動いていない」
ヨウの指が微かに震える。
「わたしのことを傷つけないようにってずっと気をつけてくれてる。だから、今も、これから先も、あなたがわたしを傷つけることなんて、決してない」
リーメイはヨウの手首を握って、優しい力で引っ張る。
ヨウは前のめりになったが、履き物を脱いで玄関を上がる。流石、咄嗟にリーメイを抱き留めることができるだけある。
「……お着替えして、浄化して……ゆっくり温まりながらお話ししましょう。ヨウさまも話したいこと、沢山ありますよね?」
リーメイのしっかりとした言葉に、ヨウは頷くような、俯くような仕草をした。
「君は、怖くないのか。」
ヨウの声は暗かった。しかし、リーメイの態度は変わらない。
「怖くありません。怖いというより、辛いです。……こうなってるってことは、ヨウさまが辛いってことですから。」
ヨウは黙っていた。だが、リーメイが手を引くとゆっくりとだが歩いてくれた。
雨の強さが少し和らいだ気がする。そのことに気づいていたわけではないが、リーメイは口元を少し和らげながらも、胸の奥で静かに燃えるような決意を感じていた。




