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前編

 高校時代の友人から「頼みがある」と連絡があったのは、取り組んでいた実験にひと段落がついた折だった。


「あってほしい人がいるんだ」


 電話越しに聞く声は、私の記憶の中にあるものと少しばかり違っていた。それが5年という月日のせいか、それとも自分の中の彼の記憶が曖昧になっているせいなのかはわからなかった。彼とは高校を卒業してから一度も会ってはいない。


「僕に?」

「そう」


 私は少しばかり思案して、心当たりを探したが何も思い当たるものはなかった。


「いったい、それは誰なんだ?」

「それはすぐには言えない。だけど、とにかく会ってほしい」

「どうして?」

「お前、薬学だったろ?」

「そうだけど」


 進路相談か何かだろうか。しかしそれならわざわざ会わずとも電話でいい。


「実験でネズミとか、使ってる?」

「いや、僕は使っていない。友人には何人かいるけど」


「そうか」と彼は呟いて、すこし黙った。


「紹介しようか?」

「いや、それには及ばない。まあ大丈夫だろうと思う。それに、こんな頼みは他人にはできないんだ」


 彼は含みのある言い方をしたが、私はそれについて詳しく問うことができなかった。


「近く帰省する予定はあるか?」

「ちょっと待ってくれ」


 スケジュール帳を開いて確認すると、再来週にそれに適した空欄が見当たった。


「再来週の月曜から、一週間ばかり帰るよ」


「それはちょうどいい。なら、早速で悪いが火曜日の午前9時に、お前の家に迎えに行ってもいいか?」

「構わないけど」

「ありがとう、では」


 そう言うと彼は電話を切った。

 携帯電話に表示された名前を見ながら、私はなぜか困惑していた。


 その原因が見えない私はそれを誤魔化そうと、彼のことを思い出した。

 彼は大学には進学せず、家業の農家を手伝うために地元に残った。高校のときはソフトボール部に所属していた。浅黒く焼けた肌と、よく鍛えられた体とが記憶にある。顔立ちは強面なところがあり万人受けするものではなかったが、一部の女子は彼に夢中だった。


 彼とは長い付き合いだった。その学校が田舎の中高一貫校というめずらしい特徴を備えていたためだが、何度かクラス替えで別れながらも、それなりの交流をはぐくんだ。彼はどちらかと言えば寡黙であり、無遠慮なまでに寡黙であった私と馬が合ったことがその理由であろう。


 そういった仲も、距離が離れるとともに霧散したように思われた。

 しかしそれは海底に引かれたケーブルのように、ひっそりと、しかし確かに残っていたのだ。

そう考えたところで私は違和感の正体に気が付いた。


 久方ぶりの友人への連絡にしては、彼のそれは幾分と事務的であり、おざなりであった。私は本来ふたりの間で交わされるはずの郷愁が自分の側にしか見られなかったことを意外に思うとともに、落胆していたのだ。


 電話越しの彼はまるで何かに急かされているようだった。そして勿体を付けたような話しぶりだった。記憶の限りでは彼はそのような話し方をするような人間ではなかった。

 もう一度電話をしてみようかと思ったが、やめておいた。

 とにかく、数日もすればもう一度会えるのだから、その時に聞けばいい。

 私はそう考え、実験の後片付けを始めた。



 久方ぶりに戻った故郷は、春の陽気と共に、親密な雰囲気で私を迎えた。長距離バスの窮屈な座席に押し込まれていたせいで凝り固まった体を柔軟でほぐしながら周りを見渡すと、早朝とはいえ、人どおりはほとんどない。これでも県庁所在地の、一番に利用者の多い駅である。


 ロータリーを見渡すと、見覚えのある車が止まっていた。近づくと、後部座席の扉がひとりでに開いた。


「なんで夜行で帰ってくるの? わざわざ早朝に起きないといけない私のことも考えてよ」

「夜行じゃないと帰ってきたっていう感じがしないんだよ」


 後部座席に荷物を放り込み、助手席に乗り込んだ。

 私の言葉に納得がいかないようではあったが妹は口調のままに眉間に皺を寄せていた。

 車はゆっくりと、重力に敗けて坂道を滑るように走り出した。


「運転、うまくなったな」

「そりゃ毎日乗ってるからね」

「父さんと母さんは元気か?」

「まあ、それなりだよ」


 簡潔な情報交換をすると、車内は静かになった。

 彼女は私に比べるまでもなく、世界を見渡しても上位1%には入る饒舌な性質だが、二人でいる時は私の寡黙が上回る傾向にある。大いなる闇は光をも取り込むのだ。

「そう言えば」と私は何の気なしに彼女に彼のことを覚えているか訊ねてみた。

 妹は私と同じ学校に通っていたし、覚えていてもおかしくはない。年下の女子にも彼に熱を上げていた人は多いと聞いたことがある。


「そんなひといたっけ?」


 彼女はすこしだけ小首を傾げた。そして結局思い出すことができなかったらしく、それ以上何も言わなかった。


「ところでおにいちゃん、彼女できた?」

「ちょっと静かにしてくれ、外的宇宙について考えるのに忙しいんだ」

「はいはい」


 家に着いた私は両親に挨拶をした。


「ところで、源治、恋人はできた?」

「イア!シュブ・ニググラトフ!」

「まだ学生とはいえ、もう二十歳を過ぎているんだ。将来のことを考え始めておかないと」

「イア・ルウ・リェー!イア!イア!」


 私は両親からの詰問を狂気で乗り切り、不十分な睡眠を昼寝で補うことにした。

 眠っている間に夢を見た。内容は覚えていない。




 彼はまったく時間に遅れることなく私を迎えに来た。かなり乗り回された趣きのあるフォードに乗り込むと、記憶通りの彼が私を出迎えた。


「久しぶりだな」

「うん」


 フォードは一度、唸るようにエンジンを鳴らしてから走り出した。


「この前は急にすまなかった」

「いや、いいんだ。連絡をくれて嬉しかったよ」


 私が言うと、彼は右側の口の端を吊り上げた。照れているときの仕草だ。


「それより、ずいぶんと急いでいたようだったけど」

「ああ。まあな」


 彼はそれ以上何も言わなかったので、私も黙っていた。二人の仲を取り持つようにディジー・ガレスピーがクリーンな音楽を奏でていた。

 フォードは危なげなく進み、やがて二車線が一車線になり、そして車線と言う概念が消え去った。

 ときおり思い出したように民家が現れるほかは、ただひたすらに畑と手つかずの自然とが視界を埋め尽くしていた。


「何から話したものか」と彼は言った。

「いろいろと話したいことはあるんだが」


 私はハンドルを握る彼の左手に光るものを見つけた。


「結婚したんだな」

「ああ」


 そう言って彼は静かに語り始めた。


「お前には言っていなかったが、おれの家系はすこし特殊なんだ」

「特殊?」

「ああ、かなり宗教色が強い。といっても、過激さはないんだが。簡単にいえば、人と神との間をつなぐ祈祷師のようなものだ」


 黙っている私に取り繕うように彼は続けた。


「昔から、この国が日本と言う名前で呼ばれるようになるずっと前から、おれの祖先はその役割を果たしてきた」


 彼は一度言葉を切った。


「お前には、農家を継ぐためにここに残ると言ったが、あれは嘘だ。確かにおれの家は農家もやっているけれど、おれがここに残ったのはそのためじゃない。おれはここに残ったんじゃなくて、ここから出て行くことができないんだ」


「出て行くことができない」私は彼の言葉を繰り返した。

「そうだ」

「それは、君の家が引き継いできた役割に関係がある」

「そのとおり」と彼は肯いた。


「人間という生命体が幅を利かせはじめたのは、地球全体の歴史で見ればごく最近の話でしかない。それまでは別の生命体が、幅を利かせていたわけだ。当然、彼らからすれば人間など厄介者に過ぎない。しかし、人間の勢いはすさまじく、いずれ彼らがその勢いに呑まれることは自明だった。だから彼らは争うことよりも調和の内に生きることを選んだ。まだ人間が十分な力を持つ前に、彼らにとって欠くべからざるものになろうと考えた。そのために、人間との交流をもつために、一部の人間にそういう役割を与えたんだ」


 私は頭の中で彼の話を吟味していた。


「つまり、それが土着の神ということになる。そしてまあ、いろいろとあって、おれはその神と婚姻しなければならなくなった。神と婚姻するということは、肉体は人間だが肩書は神になる。気軽にその土地を離れるわけにはいかなくなるんだ」


 私は真剣に話をする彼の横顔をちらと盗み見た。

 正直なところ、彼の気が触れていないか心配していた。それと同時に、この後自分に降りかかるものが彼の狂気に導かれたものではないかと案じてもいた。

 しかし、彼はまったく冷静な顔をしていた。嘘をついている様子はないし、そういう妄想を抱かせる類の薬物を使っているような兆候も見られなかった。運転も安全そのものだ。


「混乱させてしまっているな、申し訳ない。だが、これ以上上手く説明できないんだ」

「……神様も、結婚指輪を付けるんだな」

 私の感想に、すこし罪悪感が薄れたのか、彼は小さく笑った。

「わがままなやつなんだ」


 その言い方に、私は少なくとも彼がその神様というやつを愛していることがわかった。仮にその神様と言うのが彼を騙して、あるいは正気を奪っているにせよ、そこには彼の幸福があるらしい。


「それで、そのことと僕を呼び出したことにどんな関係があるんだ?」

「おれたちの役割は自然と人間とを結びつけることなんだ。神が自然の代表として、そしておれが人間の代表として、土地の問題について話し合う。まあ、そのほとんどは妥協点を探るだけなんだが。先月のこと、一匹のネズミが、どこで知ったか、『人間はネズミを用いて実験を行っているらしい』ということを聞きつけてきてな。俗にいう炎上だよ。人間は不公平だ、おれたちを利用してばかりだ、倫理観が足りない。はては俺たちにも人間を差し出せなんて言い始めたんだ。そこで君に電話を掛けた。知り合いでそういう知識も持っていそうなのは君しかいなかったし、それに君ならこういった話にも理解があると思った」

「ちょっと待ってくれ。つまり僕が仲裁をするということか?」


 彼は肯いた。


「そんなことはできない。責任が重い。それに、それが君の役割なんじゃないのか?」

「そのとおりだ。ぐうの音も出ないよ。だが、それはもうできないんだ。とある問題があって、おれは神と結婚した。言い訳じゃないが、そうしなければならない事情があったんだ。お互いに中立でなければならなかったおれとあいつとが親密になったことで、色々と面倒なことが起こった。今回のこともそのうちの一つだ。おれとあいつとではもう仲裁はできない。だから、人間側と森側でそれぞれ代理を立てることにしたんだ」


 私が黙っていると、彼はあっけからんと言い放った。


「大丈夫さ、何とかなる。どうせ森の連中が出してくるのは鬼だ」


 彼の言葉に不安が募った。


「鬼?」

「そう。心配しなくていい。お前の思っている程度には力は強いが、君の思っている半分ほども頭は良くない」

「もし僕がその鬼を納得させることができなかったらどうなるんだ?」

「そのときは、落ち着かせるために一人か二人、犠牲になるしかあるまい」


 それを聞いて狭い車内の助手席で暴れた。その犠牲とはつまるところ、私に違いないのだ。


「降ろしてくれ、そんな面倒ごとに巻き込まれてはたまらない」

「ははは」


 その笑い方はまったく憎たらしいことに昔の彼のままで、憎たらしいことに私はひどく安心してしまった。

 


 彼の家は木立に囲まれて、道路からは一部しか見ることができなかった。

 木立の間の道は綺麗に舗装されていて、雑草のひとつも生えてはいなかった。大きく屈曲した角を曲がると彼の家の全容が目に入った。それはどこか懐かしさを覚える、立派な二階建ての木造建築だった。

 こちらに向かって縁側があり、和服の女性が一人そこに座って洗濯物を畳んでいた。


「あ、おかえりなさい!」

「ただいま」


 彼女は彼の姿を見つけると、かたかたと草履を揺らして駆けてきた。

 美しい人だった。


「初めまして。お話はかねがね伺っております。何もないボロ屋ですけど、どうぞゆっくりなさってください」


 丁寧なお辞儀にすこしばかり面を喰らいながら、私は簡単に自己紹介をした。

 私は彼女の左の薬指に、彼と同じ指輪を見つけた。

 どうも害意の無いらしい様相に、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。正体を明かしてやろうなどと言う気概は消え失せ、ほいほいと家に上がった。


 丁重なもてなしを受け、酒も手伝って普段では考えられぬほど私は饒舌になった。奥方に対して彼との思い出を大いに語り、そして奥方からは彼との馴れ初めをたっぷりと聞かされた。彼はそれを聞きながら、右と左の頬を交互に吊り上げた。


 酒が回るにつれて、まず奥方の頭に毛のふさふさとした大きな狐の耳が生え、次に尾が生え、手は獣のそれになり、最終的にはひどく陽気に彼に甘える一匹の狐がそこにいた。

「やれやれ」と彼は呟いた。

「まあ、これで少しはわかってくれるか」


 べろべろと彼の顔を舐め回している狐を引きはがしながら彼が言ったので、私は肯いた。

私も酔いが深かった。ここ最近は何かと実験に追われ、うっぷんがたまっていたようで、ついつい飲みすぎてしまったようだ。

なんとか柱に手を当てて立ち上がった。


「厠は?」

「廊下に出て、突き当りを右に」

「どうも……おっと」

「おいおい、気を付けてくれよ」


 廊下に出ると、昼間に比べ氷で冷やしたような空気が私を包み込んだ。廊下は明かりがともっておらず、障子越しにうっすらと月明かりが差し込むばかりだった。

 ふと、瞬きをした合間に先ほどまで閉まっていたはずの障子が一つ、空いていた。乱暴な開き方だった。


 私は何事かと思い障子の方へ行き、外を眺めた。

 すこしだけ欠けた月が木立のわずかな隙間からこちらを見降ろしていた。

 直接の冷気に思わず身震いをした瞬間、何か固いもので殴られたような衝撃に襲われ、私は気を失った。


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