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42・歩み寄る伯爵令嬢なだけ


 フェルヴェルフォン家、特にアイリスの朝は早い。

 体内時計が時計並みに正確な彼女は、日の出と共に目を覚まして一人身支度を終える。本来、伯爵令嬢の寝起きなど使用人が全て支度するのが常識ではあるが、このような些細な行動を他人任せにしているといつまで経っても減量は出来ないのだ。

 鏡台の前で髪を梳かし、顔を左右にむけて肉付きがどれほど減ったかを確認する。


「……出来物は減ったわねえ。肉付きも、一月にしては大分減ったかしら」


 転生直後に比べれば見違えるほど減量に成功した、と心の中で自負するアイリス。

 未だに小太りと形容されてもおかしくないくらいには肉がついているが、それも徐々に無くなっていくだろう。やはり自殺行為寸前の限界トレーニングが功を奏しているとしか思えない。 

 ……などと本人は思っているが、実はそうではない。

 アイリスの体重は既に五〇キログラム台に達しており、周囲の人々から見たらもう立派に可憐な少女なのである。筋トレを惜しまない為、徐々に全身の筋肉も鍛えられている。

 しかし、あまりにも転生時の衝撃が大きかったため、自己の体型認識と脳の理解に齟齬が生じ、『痩せた』と思っても『いや、まだ足りない!』と思い込むエンドレスループにハマっているのだ。

 


 さて。

 転生してから一月が経ったが、未だに本来の目的である《恋愛》には一向に辿り着けない。

 領地の問題、自分の体型の問題、そして非常に面倒な政治の問題まで絡んでくる始末。

 アーヴェナ=シェイストームは本来内政手腕などには優れていなかった、とアイリスは認めている。かつて帝国が繁栄したのも、アーヴェナ本人が徹底して強大な軍事の象徴となり、配下が狂信にも似た忠誠心で統治を行ったからである。

 魔王という象徴的存在としてただ座していても政治抗争の報告は受けたり、それこそ大陸征服前には小さな村を治めたこともあるため、多少の権謀術数程度なら心得はある。しかし国家規模まで話が進んでくるとどうしても面倒臭さが勝ってしまう、それがアーヴェナ=シェイストームなのである。

 

「……でも、だからと言って放っておけないしな」


 幾ら象徴的存在だったとはいえ、彼女もまた王である。

 民を思う心はあるし、それは伯爵令嬢となった今でも全く変わらない。故に、どうしても見過ごせない事柄には干渉してしまうという悪癖が出てきてしまっているのだ。それが少し多過ぎるのだが。


「取り敢えず、今日はアグラヴェインと友好関係を築く努力をしなくちゃね。昨日は不貞寝してたようだけれど」


 鏡台の横に置かれた、清潔な井戸水を溜めてある桶に布を浸して顔から上半身を拭う。

 寝巻きを脱いでクローゼットから、簡素な茶と薄橙を基調にした質素なドレスを選んで身に纏う。

 以前に比べて腹回りや首回りに余裕があるのがわかり、思わずニヤけ顔になるアイリス。


「……よしよし。それじゃあ行こうかしら」


 軽く身支度を整えたアイリスは、特に何も持たずに朝の日課の散歩へと出かけるべく階下へ降りていく。

 階段の軋みも少なく、ここでも減量の成果を実感する。

 

 そしてエントランスに降り、正面玄関から堂々と出ていこうとしたところで。

 彼女は少し後ろに気配を感じて振り返った。


「……おや、ラッセルフォーン様。朝が早いのですね」


 エントランス奥の客間から出て来たのは、昨日からフェルヴェルフォン家に滞在しているアグラヴェインだった。

 彼は今まさに起きたと言わんばかりに、巻き毛の黒髪を乱し掻きながら欠伸交じりな返事を返す。


「なんだ、フェルヴェルフォンの……朝早くから一体どこへ行こうというのだ……ぁふ」


 昨日の敵意は何処へやら、すっかりリラックスし切って気怠げな様子のアグラヴェイン。

 彼は白い木綿のシャツにトラウザーズと、貴族子息ではなくむしろ平民の農家のような格好で佇んでいる。

 片目を擦っている黒髪の少年に、アイリスは肩を竦めながら返事をした。


「日課の散歩です。早朝に近くの丘から見る景色がまあまあ綺麗で。良ければ来ますか?」

「……む」


 恐らく物音に敏感でつい起きてしまったのだろう。

 思考が十分に回っていないのか、昼間とは違う揺らいだ視線を空中に彷徨わせているアグラヴェイン。

 彼は癖なのか、腰に佩いた長剣の柄を人差し指でなぞりながら軽く頷いてアイリスへと歩み寄って来る。

 

「……殿下が居ないとはいえ、俺は騎士だ。滞在する伯爵家の令嬢を一人で歩かせて、怪我でもされては面目が立たない。仕方がないから……ふぁあ……護衛をしてやろう」

「眠いなら部屋にお戻りください」

「……大丈夫だ、このくらい。いつも朝は早いし……」

「いつもどのぐらいに起きているのですか?」

「……分からん。王宮で飼っている鶏が鳴けば起きているが、そういう鳥はここには居ないようだな」

「居るには居ますが、養鶏牧場なら街の反対側ですので此方には滅多に聞こえて来ませんね」

「ふぅん……道理でこんな時間に起きてしまう訳だ」


 などと会話するアイリスだが、内心は正直に言って非常に困惑していた。

 アグラヴェインがフェルヴェルフォン家の花瓶を勘違いで叩き割り、伯爵令嬢の殺害未遂……と言っても過言ではない程の事をしでかしたのはつい昨日のこと。

 まあそれを平然と許し朝の散歩に誘うアイリスも十分に奇妙な思考回路をしているが、彼女は中に宿るアーヴェナの人格が元々変人に近い為仕方が無い。

 しかしアグラヴェインは違うはずだ。

 極めて真っ当に、貴族としての教育を受けた子爵家の次期当主。

 普通なら罪悪感を抱いて、アイリスと接するのを控えようとするだろう。

 

(……まあいいか。こいつもイカれ野郎ってことだな)


 しかし早朝で脳が全力回転していないアイリスは、心の中で適当に片付けてしまった。こうしてアグラヴェインは、アイリスの脳内で『ちょっとイカれた野郎』というカテゴリに分類されてしまうのだった。


「……さ、行きましょう。皆が動き出して騒がしくなる前に帰りたいのです」

「まったく、きさ……フェルヴェルフォン嬢くらいだぞ、ご令嬢方の中で早朝の散歩を日課にしている者など」

「おや、昨日の私の忠告を覚えてらしたのですね。ならもう一つ、家の爵位が上の相手には敬語で会話することをお勧めしますわ」

「……くっ」


 チクリと嫌味を言われた気がしたため、アグラヴェインの言葉遣いについてグサッと返すアイリス。言われた途端に、寝起きにも関わらず黒髪の少年はその端正な顔を大きく歪め、あからさまに不満を表した。

 なんだか幼い子供を相手にしている気分になったアイリスは、歩き出しながら肩を竦めてニヤリと笑った。


「ぐふふ、冗談ですわ。ラッセルフォーン様は私のダイエットコーチになったくださるんですものね、立場は確かにそちらの方が上です。敬語じゃなくて構いませんよ」

「ダ、ダイエットコーチ……そうだった……」

「は? もしかしてこっちをお忘れになったのですか?」

「……いや、だって、面倒臭いし」

「さっきから思ってたけど随分馴れ馴れしいなお前!」


 思わずアーヴェナ時代の素が出てしまうアイリス。

 すると怠そうな表情をしていたアグラヴェインが驚き、目を丸くしてアイリスの顔を覗き込んだ。


「もしや、別人……?」

「失敬な、私はアイリス=フェルヴェルフォンですの別人でもなんでもありませんわあと貴方さっきから距離が近いですわ離れてくださいまし」

「いでっ」


 相手が気安く接するならば、こちらも礼儀を欠かすまで。

 アイリスは早口でアグラヴェインの言葉を否定し、覗き込んできた形の良い眉の間を指で弾いて細やかな攻撃をした。余程クリーンヒットしてしまったのか、呻きながら頭を抱えてしまうアグラヴェイン。

 側から見たら仲が良い二人に見えてしまうが、当人らは少しばかり険悪である。


 仰け反ったアグラヴェインを置いて歩き出したアイリスは、気を取り直していつもの散歩道を歩く。ゼペット領との間にある山脈から太陽の頭が覗き、パッと道が明るくなった。朝靄が薄らと漂い、澄んだ自然の香りが漂う中を歩くのは健康に良いのだ。主にダイエットでストレスが溜まった荒んだ心を癒す方面で。

 深呼吸をしながら、小鳥が囀る声に耳を傾けるアイリス。

 すると、いつの間にかアイリスの二歩ほど後ろを歩いていたアグラヴェインが困惑したように声をかけてきた。


「フェルヴェルフォン嬢、これは何処に向かっているんだ?」

「ええと、少し遠回りですが北にある牧場に向かってます。そこには小高い丘があって、私もよくピクニックに行ったりするんです。景色が良いんですのよ」

「……なるほど」


 小高い丘に行くとさっき言ったがな、と小声で付け加えるアイリス。

 ザクザクと土を踏む足音だけが静寂を破る中、小綺麗な身形の伯爵令嬢は後方を歩くアグラヴェインのバックグラウンドについて自身の知識を漁ることにした。

 

 ラッセルフォーン子爵家。

 代々王家に仕える優秀な騎士を輩出する家系で、子爵家といえど王宮における権力は大きい。要すに、嘗てのフェルヴェルフォン伯爵家と同じく王宮を主軸に置いている宮廷貴族ということだ。

 ちなみにアイリスは、現子爵のガルネリア=ラッセルフォーンが近衛騎士団の副団長を務める騎士であり、その優れた剣の腕前によって、よく辺境地帯の小競り合いに出動しては鎮圧しているという噂を聞いたことがあった。そのため、前世の戦闘狂としての意識が『戦え!』と叫んでいるような感覚を覚えているが、どの道この体では勝てまいと思って無視している。

 本当は戦いたくて仕方ないが。


 そしてラッセルフォーン子爵家だが、由緒正しい一族であり名誉もあり、更に顔も見目麗しいと有名だ。現伯爵には確か五人の子息がいる筈だが、領地に引き篭もっているアイリスですら彼ら全員が類稀な美貌を備えていると聞いている。

 アイリスはそこまで考え、チラリと背後に目を遣った。

 足取りはしっかりしつつも、ぽけ〜っと半開きの口のまま空を飛ぶ鳩か何かを目で追っているアグラヴェインも多少残念系ではあるが非常に端正な顔立ちだ。


(……アリ、と言えばアリなんだが。言動が猪武者そのものだし、流石に一生添い遂げるには無理がある気がするな。……弱いし)


 そう、アイリス_____もといアーヴェナはただ顔だけで惚れる女ではない。

 転生してまで恋をしたいと願ったものの、一応誰でも良いというわけではないのだ。顔立ちが美しいのは当然のこととして、良識も当然求める。

 前世の戦乱に狂った情勢ならまだしも、比較的平和なこの世界で令嬢にいきなり斬りかかる短絡さは流石に受け入れられない。

 それに。


(王宮で鍛えられているだけあって、そこそこ見所はありそうだったが……まぁ、凡夫だな。これではいくら剣術を研ぎ澄ましたところで、一角の騎士にはなれないだろう)

 

 アーヴェナ=シェイストームは、最強の魔術師として名を馳せたがその前に一人の剣士であった。正確に言えば、アーヴェナは剣士として鍛錬する中で己の限界に気付き、前世で言う()()達に少しでも近付く為の補助手段として魔術を極めたのだ。

 しかし有り余る魔術の才は、剣士としての名声を掻き消した。後に残ったのは魔術を操り世を統べる魔王としての異名のみ。

 皮肉な話である。


(今の私がもう少し前世に近い体で、尚且つ魔術を満足に使えていれば。目の前の少年により良い未来を提示できたのかもしれないな)


 そんなことを思いながら再び前を向く。

 もしも、いつか。

 この世界で魔術が一般的となり、アイリス=フェルヴェルフォンが魔術師として活躍出来るようになれば。


(その時には、コイツを弟子にしてやることも……考えてやってもいいな)


 後ろを歩く才能の限界に憐憫を感じた元魔王は、静かに心の中で独り言ちるのであった。

 

 

 


 

 

 


気長にお待ちください。

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