34・トラブル発生なだけ
アイリスは紅茶のカップを手に取り、出来るだけ優雅な仕草を意識しながら香りを楽しむ。
『南海の珊瑚』という高級銘柄のこの紅茶は、茶葉に並々ならぬ拘りを見せる兄ライアスの部屋から失敬したものである。流石流通量が少ないことで有名な紅茶、香りは蕩けるように耽美で濃厚である。しかしいざ口に含むと、予想外にさっぱりした味が口腔内を満たす______絶妙な感覚だ。
(ライアス……貴様はこんなに美味しい紅茶を私に黙って隠していたのだな……すまない。これから失敬しまくるが、今までの償いと思って許してくれ……)
アーヴェナの意識が覚醒してから大分時が経ったが、やはりアイリス=フェルヴェルフォンの身体はまだ知らないことの方が多い。現に、紅茶を楽しむ趣味は前世のアーヴェナは持ち合わせておらず、アイリス特有のものである。今この紅茶を嗜む迄、アイリスとしての意識は紅茶にろくな感情を持っていなかったはずだが______
(なんだか不思議な感覚だ。安い茶にはろくに反応を見せなかったのに、高級銘柄の茶が出てきたとなると途端に感情が昂る。やはりアイリスの意識はよく分からないものだ……)
心の中であれこれ考えていると、丁度テーブルの向こう側で同じ紅茶を嗜む金髪の少年_____第二王子イザヤが小さく嘆息していた。
「実に美味しい紅茶です。黄金の輪も浮かび上がっていますね……さぞ上等な紅茶なのでしょう?」
「えぇ、王都の市場で滅多に出回らない程度には」
「はぁ、そうなんですね。王宮では最近飲料に関する予算が削減されたらしく、このような高級な茶葉は特別な機会にしか飲めないので……紅茶好きとしては胸が痛い限りですが、このような持て成しは大変嬉しく思いますよ」
「……恐縮ですわ」
満足気に紅茶を味わい、カップを置いた第二王子。
その雪のように淡い黄金の髪が窓から差し込む午後の陽射しに照らされ、眩いほどの輝きを放つ。
イザヤは僅かに背筋を正し、表情を硬らせたかと思うと真剣な声色で語り始める。
「僕が今日、こちらの領地にお邪魔した理由。それは先程述べた『隠見』ではありません。実は貴女に______フェルヴェルフォン伯爵代理の、アイリス嬢にある御願いがあって、伺ったのです」
目を瞬かせ、眉を潜めるアイリス。
しかしイザヤの態度に釣られるように、アイリスも前のめりになって話に耳を傾ける。
「単刀直入に言います、実はですね_______」
その瞬間だった。
バタンッッッ!!、と。
急に応接間の扉が勢い良く開け放たれる。
すると目にも留まらぬ速さで何者かが部屋に駆け込み、恐ろしく素早い動きで腰に佩いた剣を抜いた。
(________刺客、だと!?)
目を見開くアイリス。
同時に、正真正銘の魔王としての感覚が覚醒する。
ほぼ反射的に左手を装飾品の豪奢な花瓶に手を伸ばし、縁を鷲掴みにして投擲用の武器にする。
刺客もまた、目で追えないほどの速度で剣を引いてアイリス目掛けて突き出そうとする。
(________くそがッ、肥満体の身体だと動きが鈍くなって叶わんわ!)
死に物狂いで全身の筋肉を動かし、刺客が突き出した剣へと花瓶を投げつけるアイリス。
同時にテーブルの上を駆けて、吃驚したまま彫像のように固まっている王子を守るべく覆い被さる。
「な、なにが________ぐぎゅっ」
(あ、あぁ、ぁぁああごめんなさい殿下ぁぁああ!)
蛙が潰れたような声を出して巨体の下敷きになったイザヤに、心の中で大謝りするアイリス。
ガッシャァァン!!、と。
アイリスが王子を守りつつ後ろを振り向くと、刺客が突き出した剣が花瓶を叩き割り破片が勢い良く飛び散るところだった。
飛び散る破片から右手で目を守り、隙間から覗く。
どうやら刺客はアイリスと同じ位の歳の頃の少年のようだ。フードを目深に被り顔立ちは見えないが、振るわれた剣筋が修練中の騎士に有りがちな未熟なものだったため、一先ず熟練の暗殺者ではないと確信したアイリス。
花瓶を投げつけられ、さらに叩き割った時の轟音で刺客が驚いたその隙にイザヤの上から飛び退いたアイリス。
イザヤの座る長椅子を遠くに蹴飛ばす。
第二王子の安全を確保し、下手人を睨め付けたアイリスは前世の戦士時代に培った無駄のない動きで一気に肉薄する。
驚いた刺客は花瓶で弾かれた剣を向けようとするが、その腕の下を掻い潜り刺客の胸元に滑り込むアイリス。
そして。
「_______ッ!」
右腕を引き、刺客が剣を構え直すより早く。
その小柄な体躯の中央に、拳を叩き込む。
「ぐ、がっ!?」
ドォン、という重たい音と共に意識を失った刺客が床に倒れ込んだ。非力な令嬢とはいえ、武術の心得有りの上で全力の一撃を胸板に叩き込んだのだ。
意識を奪うなど造作もない。
「はぁ、はぁ、ふぅ……全く、一体、これは、なんなのよ……こんなに、私を、動かすなんてぇ……」
我に返ったアイリスは、一気に雪崩れ込んだ身体の酷使による疲労に呼吸を荒くする。そして後ろを振り返り、椅子ごと蹴飛ばしたイザヤの様子を確認する。
「あいたたた……ア、アイリス嬢、ちょっと手を貸して欲しいんだけど……いいかな?」
第二王子イザヤ、まさかの椅子ごとひっくり返って仰向け状態で呻いているではないか。
どうやら蹴飛ばした際に椅子のバランスを崩し、後ろに倒れ込んでしまったようだ。小さく悲鳴を上げたアイリスは直ぐ様イザヤに駆け寄り、手を貸して起き上がらせる。
「うぅ……蹴飛ばすなら蹴飛ばすと言ってくれ、頭を打つところだった……」
「ももも、申し訳ありませんわ殿下。違います、違いますわ、全てこの刺客が悪いんですの!」
アイリスはビッと床に大の字に寝転ぶ刺客を指す。
フードは殴られた際の衝撃で吹っ飛んだのか、刺客の顔も普通に見えるし服装も確認できる。
畝った艶のある黒髪に、色白の肌。倒れ込んでおり横からしか見えないが、端正な顔立ちをしている。
しかしアイリスが注目したのはそこではない。
「この服装、まるで良家の子息のような……?」
そう、着ている服は如何にも高価そうな燕尾服なのである。腰に見える金の鎖は懐中時計だろうか。
この格好ではまるで_____
「あ、あぁ、どうしよう、困ったもんだ……」
アイリスの思考を遮ったのは、同じく刺客を覗き込んでいたイザヤの狼狽する声だった。
訝しんだアイリスは背後から肩越しに視線を刺客に向けている第二王子へ疑問を投げかける。
「どうされたのです、殿下?」
「あ、いや、その……」
目を泳がせたイザヤは、衝撃の一言を発した。
「ええと、あの、なんて言うか……この人の名前は、アグラヴェイン=ラッセルフォーン。ラッセルフォーン子爵家の長男で……僕の騎士です」
は?
ゴールデンリング=良質な紅茶の印
続きは一週間以内に...




