30・元女魔王は兄に認められるだけ
「ゼベットには触れちゃいけない『闇』がある……下手に手を出せば、こちらが喰われちゃうほどのね」
『闇』、とライアスは言った。
元魔王として巨大な帝国を治めた私は、いくつかの推論を瞬時に思い浮かべる。
内輪の継承問題然り、外国との癒着然り、不正貯蓄然り、汚職然り……
しかし、ゼベット侯爵領についての知識が表面一通りしかない為推論もハッキリとしたものは考えつかない。フェルヴェルフォンとて大陸の中でも有数の勢力を誇るフィロテラス王国の上位貴族に属する伯爵家なのだ。そんな私たちを、最も容易く噛み砕く『闇』とは一体どれほどのものなのだろう______
ライアスは私の表情が強張ったのを見逃さず、空のグラスをテーブルの端に寄せながら言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。迂闊に手を出しさえしなければ安全なんだ______だから、今は僕も関税問題や不法商店に関して目を瞑っている。アイリス、どうか分かってくれ」
一見、私を心配しているような口ぶりだが。
その言葉には、悔しさのような何かが混じっているのが明確に感じ取れた。
テーブルの端のグラスを眺める兄の口元が、一瞬歪んで歯を食い縛るのがわかった瞬間______突然、私の中で何かが弾けた。
「……そんなの、分かるわけないじゃないですか」
「えっ?」
驚いて目を丸くするライアスに正面から向き合い、私は感情のままに言葉を放った。
私の中で激情が渦巻く。
「こっちが潰されるから領民が苦しむのを知ってても何もしない? 妹には関わらせたくないから、問題は全部自分で引き受ける?」
「……っ、アイリス」
「えぇ、そうですよ。私はつい1ヶ月前まで引き篭もりで、無能で、我儘で……令嬢としての身分には到底似つかわしくない女でしたとも。でもですね、そんな私でも______兄が黙って全部抱え込むのを許せる訳ないんですよ!」
「……」
「何時迄も怯えて、相手が侯爵家で強大だから黙ってるなんて私には出来ません。貴族たるもの、最優先すべきは領民の幸福な暮らしだということはご存知のはずです! ……何様のつもりだ、と思っていただいて構いません。今更しゃしゃり出てくるな、と軽蔑して下さっても良いです。ですが、今はこれだけ言わせてください」
「……」
「もう少し、私を頼ってください。私の名前はアイリス=フェルヴェルフォン、誇り高き王国の貴族であり民を思う者の一人。進言程度で良ければ喜んで協力させていただきますッ」
感情のままに告げたため、語尾が少々荒々しくなってしまったが______私の思いは伝わったはずだ。
自覚はある。
昔から、自分の民が苦しむ不条理な出来事があれば、数瞬前のことなど忘れ感情が高ぶってしまうのが私の悪い癖なのだ。
しかしこれは嘘ではない。
貴族社会では、女は表立って領政に関わることができないのだ。時代が変わるにつれて廃れてきたが、未だ根強く残る男尊女卑の文化は貴族に深く食い込んでいる。だから、ライアスに助力するのだ。
侮ってもらっては困る。
口に出して伝えることはできないが、私はアイリス=フェルヴェルフォンであり『アーヴェナ=シェイストーム』。正真正銘の王だった者なのだから。
「いいですね、お兄様。私も一緒に考えますからどうか情報を______ってえぇ!? 泣いてらっしゃる!?」
「うぶふぇ……泣いてない……ぐすっ……」
え、なんで泣いてるの!?
いつの間にか、ライアスは目に涙を浮かべて鼻を啜っている。どうやら涙を止めようと思っても、意思の通りには行かないらしく滝のように溢れてきている。
困惑した私は懐からハンカチを取り出す。
一瞬チラッとハンカチを見るが、幸いなことに私の汗は染み込んでいなかった。来る道中で走った汗を拭ったハンカチかと思ったが、違ったようだ。
清潔な白い布を手に、机越しにライアスの目の下を拭ってやる。……本来私はこう言うことを恋人からやってもらいたいんだけどね!!
「うっ……ありがとう、アイリス。でもね、僕の口からは言えないんだ。そういう約束だから」
ライアスは私の手からハンカチを受け取ると、目を抑えながらも首を振って情報の開示を拒否した。
「まだ言いますかお兄様、約束か何か知りませんけど______」
「でも。アイリスが本当に僕の手伝いをしたいって思ってくれてるのなら……自分で探ることは、許可してあげる」
泣き腫らした赤い目でこちらを見たライアスから、必死に何かを隠そうとする意思が感じられた。
(いや、流石に泣かれたら追及も何もできなくなっちゃうじゃない……そっか、それ程までに……)
しかし、私一人で勝手に探ることを許可されただけでも上々である。上手く運べば、過去の出来事を逆手にとってこちらが向こうを追い詰めることが出来るかもしれないのだ。この好機、逃すわけには行かない!
「あっ、ありがとうございます……ちなみにヒントとか何か教えてくださることは……」
「ふ、ふふっ、ダメだよ。そんなに知りたいんだったら、自分の手で探さないと。僕は一切手助けができないんだからね」
「くっ……」
仕方ない、こうなったら私一人で何とかするしかない。とんでもない急展開だが______しょうがない。
取り敢えず、現状での目標はこうだ。
1つ、ゼベット侯爵家の『闇』に関して探る。
2つ、何とかして関税問題と不法商店問題を解決する。
これだけ見ると簡単なようだが、1つ目が解決出来なければ2つ目も解決出来なくなってしまう。
さて、どうしたものか。
フェルヴェルフォン家には優秀な『駒』は居ない。かと言って私自身が直接捜査に乗り出し、ゼベットに勘付かれても都合が悪そうだ。
潰す気満々______それが、伯爵家ごと血を途絶えさせるという意味であっても可笑しくはない。元々ゼベット侯爵領は、国内でも有数の私兵力があると言われる生粋の武闘派な貴族領であるそうだから。
貴族同士の対立では、火の無いところに煙を立たせて相手を攻撃すると言うやり方が多い。今のフェルヴェルフォンにはゼベットに真っ向から立ち向かっても勝算はないため、そのような方法を取られてしまってはあっという間に陥落することだろう。
重要なのはいかに気付かれないように、『闇』とやらを探るかどうかなのだ。
(……この状況だと、恐らく他領には助けを求められないわよね。近隣にある大きな家はゼベットだけ、他は全部伯爵止まり。エレティエーズとティフェルバーニャはそこそこ位が高いけど、あの2家にとっても侯爵を敵に回すのは避けたいところでしょうし……)
「はぁ……いっそ私が領主でもできれば……」
思わずこんな言葉が口から飛び出た。
無論、私が領主になるなんてあり得ないことだとは分かっている。しかし領主として直接領政に関われば、様々な観点からゼベットを追い詰める鍵が見えてくるかもしれないのである。
すると、意外にもライアスがビクッと肩を震わせた。
美形の兄は私を見ながら何やらブツブツと呟いている。
「そう……スを領……僕が……」
「ん? 何かおっしゃいました?」
よく聞こえなかった私が聞き返すと______次の瞬間、机の上に乗っけていた私の両手が勢いよくライアスに掴まれ握りしめられた。
「えちょ、なんですか痛い痛い痛い!」
「名案だよ、アイリス! 君が領主代理として領政を好き勝手にやってくれて、僕が急病で倒れたことにすれば辻褄は合う!」
「ハァッ!? お兄様とうとう気狂いになってしまわれたのねシシア早く来てお兄様が御乱心よ!」
「いいや、よく考えて。アイリスはゼベットとの問題を解決したいんでしょ? でも僕には何も出来ない。うん、分かってるよ、放置してたらいつか不満が爆発するって。そしたらこれしか方法はないじゃないか! ね、いいだろ!?」
「えっ、それは……」
確かにライアスが言うのは尤もだ。
冷静になって考えてみれば、私は恐らくゼベット侯爵からは非監視対象。噂通りに受け取ってくれているならば馬鹿で間抜けな令嬢と勘違いしていることだろう。
そこでライアスが急病で倒れれば、領内に残っている唯一の血縁者として私が領主代理を務めるのも、些か強引ではあると思うが納得はいく。
そして馬鹿な演技をした私が、その場凌ぎの政策をバンバン打ち出し、一時的に領内の環境を改善しつつ油断させ______その間にゼベットの『闇』を探る。
私は権謀術数に優れた為政者では無かったが、この程度の計画なら察しはつく。……まぁ正直ライアスがこれを本気で言っているとしたら、相当切羽詰まっているのだろう。
遠い目になった私は、過去の自分を顧みて改めてこんなふうに思っていた。
(普通はつい一月前まで引き篭もりで世間知らずだった妹なんかに、一時的とは言え爵位の譲渡をするわけが無いわよね。そのあたり、ライアスはどう考えているのかしら……)
ふとライアスの表情を見ると、まるで宝籤を引き当てたかのように満面の笑みを浮かべている。
「ねぇ、お兄様。私はさっきも言った通り、伯爵令嬢としても無能な人材だったわよね。そんな私を、どうしてそこまで信用できるの? さっき問い詰めたのだって、単に我儘でしゃしゃり出たかっただけかもしれないのに」
「あはは、君は本当に自分のことがわかってないんだね」
笑うライアスは一言で返してきた。
「どう言う……」
「だってね、一般的に世間で『無能』だの『傲慢』だの言われる人が伯爵子息からの婚約申請を破棄するかな? しかもそれを利用して領地に新しい商品をもたらすかな? 僕さえも知らなかった『魔術』を使ってワインを作るのかな? ルナ嬢との会話であんなに上手に立ち回るかな?」
「それは……」
言い淀む私を正面から見つめ、薄っすらと可憐な微笑みを浮かべたライアスは言葉を続けた。
「大丈夫だよ、アイリス。僕は君を一月前までは信用もしてなかったし、好きでも無かった。でも今は違う。信用もしてるし、頼りにもするよ。だからこれからは、ダイエットに領政に頑張ってね」
「おい何でそこでダイエットの話が出てくるんですかおかしいだろ」
私は平坦な目になって反論すると、彼は戯けたように両手をヒラヒラと振る。
はぁ、と溜息を吐く。
正直今世では恋愛に身を任せ、政治なぞには二度と関わりたくなかった。
しかし______何故か、見逃せなかった。苦しみながらも必死に生きようとする領民たちの姿が、かつて旧帝国の圧政に苦しむ同志たちの姿に似通っていたのだ。
嘗ては魔王として。
現代は領主代理として、私は立ち上がる。
「お兄様、分かりました。私、アイリス=フェルヴェルフォンは我が領地の領主代理を、謹んでお引き受けいたします」
今、ここに。
歴史に名を残す一人の令嬢が誕生したのだった。
取り敢えず、序章完結です。
いそいそとした展開でしたが、どうでしたでしょうか。
次回からは急転直下、様々登場人物が物語に現れ群像劇を織り成す予定です。
ちなみに、序章はアイリス・ウィリアム視点で固定されていましたが、第1章からは俗に言う『神様視点』でストーリーを進めさせていただきます。
急な変更ですが、ご容赦ください。
さぁ次回!超超重要人物の登場、乞うご期待______




