29・実は意外な事実があっただけ
「……仕方無かったんだ。ああする他に手立てはなかったんだよ……すまない、アイリス」
ライアスが心の底から申し訳なさそうに、蚊の鳴くような声で絞り出した言葉に私は耳を疑った。
「他に手立てがないって……どういうことです?」
そう、問題はそこなのだ。これではまるでライアスが何か窮地に追い詰められて、苦肉の策としてあのような愚策を取らざるをえなかった______というようではないか。
もし何か、第三者による重大な問題があったのならばライアスを責めるのは御門違いもいいところなのだから。
一方でライアスは、暫く黙り込み______意を決した様に顔を上げて私を正面から見つめ返した。
なぜかその瞳には、何時ものライアスとは違う、穏やかではない憎悪の様な禍々しい色が宿っている。
同時に。
ザァッッッ……と。
背筋が一瞬凍る様な感覚が、私の全身を貫いた。
(な、に? この感覚……まさか殺気……!?)
普段とは違う、不気味な兄の姿を見て鳥肌が立った。
問い詰めているはずの私が、まるで______
「いいかい、アイリス。これから話す事は絶対に他言しないで……いや、するな。で、その前に聞きたいことがあるんだけど、少しいいかな?」
「なっ、なんでしょうか?」
真剣な表情になったライアスにつられ、私も思わず背筋を伸ばしてしっかりとした態度を取る。目の前にいるのは『お兄様』としてのライアスではなく、『伯爵』としてのライアスの様だから。
細い手を絡ませながら、少しばかり間を空けてライアスは私へ静かに尋ねた。
「ちょっと前に、『維持派』の重鎮であるエレティエーズ伯爵の子女ルナが訪ねてきたそうだね」
「はい。ちょっと前と言っても本当にちょっと前ですよ、つい午前のことです」
「だよね。ここからは僕の推測だけど______アイリス、君は彼女から『革命派』か『維持派』か、どちらの勢力に加担するのか聞かれたんじゃないのかい?」
ライアスは、私とルナの会話を完全に見抜いている様だった。一見領政に興味も無く、こう言った裏工作が苦手な人物だと思っていたのだが、どうやら私の思い違いなのかもしれない______
「え、えぇ。聞かれましたわ、その通りに」
「なんて答えたの?」
短い質問だったが、瞬時にライアスの視線が氷のように凍てつき首元に剣を突きつけられたかのような錯覚を覚えた。平和主義者的なライアスがこのように人を脅迫できる術を持っているなんて、到底予想だにしていなかったのだ。
いくら元魔王といえど、精神は初心な貴族令嬢様のモノと殆ど同化しているのである。
これで縮み上がらなかったら、いっそ勲章ものと言っても過言ではないだろう。
私は僅かに震える声で、しかしハッキリと兄の問いに答えた。
「あっ、兄抜きでの考えだと、私自身は『中立派』に属すると……そう答えましたが」
「『中立派』? ……あぁ、なるほど。そういうことか……だったらいいや」
「何が、ですか?」
ライアスはふぅ、と小さく溜息を吐いて水の入ったグラスに手を伸ばす。乾いた喉を潤すかのように一気に飲み干し、まるで辛いことを語るかのように小さな声で話し始めた。
「今聞いたのは、僕の知らないところでアイリスが勝手な真似をしてないか確認したかったからなんだ。ワイン造りや回復薬製作に干渉する気はなかったけど、流石に領政にがっつり食い込む問題には……今までは、触れて欲しくなかったんだよ」
「……はぁ」
ここでライアスは、少し声のトーンを落とした。
「それで、関税問題と不法外来商店の話だったね。正直、以前までの君だったら全く関知しなかったはずだから______元々話す気はなかった。そこで念の為に聞いておきたい、何も考慮せずにこの問題を解決するにはどうしたらいいと思う?」
まるで試験を採点する試験官のような目つきで私を見つめるライアスは、首を小さく傾げて質問してきた。
『何も考慮せずに』、とライアスは言った。確かに様々な外的要因を考えずに、この問題だけを解決する手段なら幾らでもあるから______私は、その中でも自分の性に合ったものを彼に提案した。
「えっと、関税問題は、再びゼベット侯爵と協議して改めた税率を設定しますわ。基本的なスペックは向こうの方が上ですので、関税比率は4:6程度にしたいところですわね……まぁ、欲を言うなら3:7でも良いと思いますが」
「うんうん。それで?」
「不法商店の問題は、違反時の罰則金を更に増やし、場合によっては投獄も厭わないと通達しようかと。現状では一律一定の金額で罰則金を払えば、見逃してもらえる的な空気があるので______」
しかし。
サッ、と。
ペラペラと饒舌に話し続けようとした私の口に、ライアスの細い指が当てられる。
その流れるような可憐な仕草に、悔しいかな、心臓が一際大きく鼓動を打つのが感じられた。
ライアスは無表情で私の話を聞いていたが、不法商店の対象を口にした後、満足げに微笑んだかと思うと『これ以上は話さなくていい』というジェスチャーをしたのだ。よく分からないが、話の流れから推測するに私は兄のお眼鏡にかなったらしい。
口角を僅かに上げたライアスは、今度は明るい調子の弾むような口調で私に語りかけた。
「ふふっ、アイリスも成長したんだね。そっかぁ、僕の見ないうちにすごい努力をしたんだね……うん、大正解。今アイリスが考えてたのと、全く一緒のことを僕も考えていたんだよっ」
「えっ、それは……」
なに、喜んでいいのこれ!?
なんというか、領地経営に失敗した兄から告げられた言葉なので喜んでいいのか悪いのかよく分からない状況である。
しかし無邪気に微笑んでいるイケメン兄貴の顔を見ているうちに、なんだか私の緊張も解れてしまった。
伸ばしていた背筋はあっという間に元どおり、強張っていた顔の筋肉も弛緩し、たっぷりと肉がついた頰がいつものように重みをアピールしてきた。
そしてライアスは空になった水のグラスを揺らしながら、まるで世間話でもするかの様に喋り始める。
「いやぁ、実はね、先代のフェルヴェルフォン伯爵______僕たちのお父さんがゼベットと色々あったみたいでね。お陰様でこっちは向こうに対して強気に出れないし、むしろ向こうはこっちを潰す気満々。大変なんだよ、監視の目を潜り抜けて領政をするのは」
へぇ…………ん!?
ちょっと待って、今何か凄い不穏なワードが飛び出したような気がする!
(監視? 潰す気満々!? ちょっと父様、あなた一体どんだけ無礼を働いたらここまで関係が悪化するというの!?)
今は亡き天国にいる父に向けて、ありったけの呪詛と文句を心の中で叫ぶ私。
その感情の変化が顔に表れていたのか、ライアスは少し慌てたように取り繕った。
「あっ、いや、アイリスには関係ないからね。これは僕の問題なんだ。君は何も考えずに、ダイエットを続けていればいいんだよ」
「いやっ、そんなこと言われたら余計詮索したくなるに決まってるじゃないですか! 第一、領民たちの暮らしにも直結する問題なんですよ!? これが黙っていられ______」
「待って。……良い? 一度しか言わないからよく聞いて」
反論した私を、片手で制したライアスは先ほどよりも小さな声で私に囁いた。まるで女子が、他人の悪評を広めるかのような薄っぺらい微笑みと共に。
「ゼベットには触れちゃいけない『闇』がある。余計な手出しをすると、こちらが喰われちゃうほどの______とても大きな、ね」
ゼベットの触れてはいけない『闇』______




