28・ますます深まる謎なだけ
「わぁ……ちょっとこれ、ただの飲食店の癖に豪華過ぎない? 何よこれ、まるで小さい規模の城じゃないの……」
古代半島調、と呼ばれる旧式の建築方法で建てられたであろう豪奢な『城』を見て感嘆の溜め息を漏らす。
ここは『子兎の城』。
シシアから聞いたところによると、異国の料理人が放浪の旅を続けた末に見つけた______究極の料理、とやらを提供するお店らしい。
(いやいや、まず規模が大きすぎるわ。何階建てなの? 軽く5階層以上はあるわよね。尖塔とかもあるし……なんか、貴族の坊っちゃまが大金叩いて作ったちょっと痛いお城見たいね……)
心の中で散々に酷評した私は、気を取り直して門に向かう。そう、外見はド派手でも料理が美味しければ辛うじて溜飲は下げられる。
______もし税の引き上げをするなら、まずこのお店を徴税対象にしようかしら。
「素晴らしいお店ですわね、お嬢様。格式高い雰囲気も漂わせておりますし、お料理も美味しいと聞きますわ」
「それさっき散々聞いたけど、本当のところどうなのかしらね。あるじゃない? 雰囲気で酔うっていうか、なんていうか……」
「確かにそうですわね。実際に食べてみませんと分かりませんわよね」
「そうよね。じゃあ、入るわよ」
シシアが横から手を伸ばし、門を開ける。すると、待機していた給仕が直ぐにこちらにやってきた。
成る程、予約の確認か。
「いらっしゃいませ。御予約はされていますでしょうか?」
「いえ、待ち合わせなの。ライアス=フェルヴェルフォンと約束があってね」
すると給仕は、ライアスの名前を聞いた瞬間あからさまに背筋を伸ばして態度を改めた。
そしておずおずと、何かを怖がるように尋ねてきた。
「もしや、フェルヴェルフォン領当主の妹君______アイリス様でしょうか?」
「えぇ、そうよ」
あっさりと返答すると、今度はほぼ直角に勢いよく頭を下げた。その勢いに私が驚いていると、給仕は満面の笑みで頭を上げた。
「この度の御来店、心より感謝致します。伯爵様との御時間が快適なものになりますよう、店の者一同尽力致しますのでどうか御贔屓にお願いします」
堅苦しい文言で言われたが______ざっくり言えば、『これからも来てくれよな、箔がつくから!』の様な感じだろう。確かに貴族のヒエラルキーの中でも、割と上位に位置する伯爵家の者が来店したとなれば、それはそれは多大なる宣伝効果を齎すだろう。
(ま、別にいいけど。正直言って美味しければなんでもいいわけだしね)
そう思った私は、ふと給仕の顔を見た。
その顔は恐ろしく強張っている。
恐らく給仕から見て、ある程度(※体型的に)肥えた私は体と共に舌も肥えていると判断されたのだろう。加えて街の住人たちには、私が傍若無人で傲慢だ______という噂が広まっているらしい。
それも相俟って、失礼な態度を取れない給仕は極度の緊張に襲われているのだろう。実際、側頭部から冷や汗をダラダラと流している。
流石に可哀想になったため、私は安心させるように優しい声を出す。
「ぐふふ、御安心下さい。私は食には煩くありませんの……余程不味いものは例外ですがねぇ」
「っ、かっ、畏まりました。此方で最上級のお品をご用意いたします、どうかそれで……」
______うん?
どうやら給仕は私の言葉を、『不味いモノだしたら店ごと潰して差し上げますわ』などと解釈したらしい。
そんなこと言ったつもりないけど。
すると、もう哀れむくらい怯えた給仕は震える手つきで案内を始めた。ここに来るのは初めての為、私もシシアも大人しく案内に従う。
入り口のドアを潜ると、小さな鈴が耳に痛くない音で優しく来客の存在を店内に知らせる。エントランスをイメージして作られたであろう大広間には、等間隔で瀟洒なテーブルが並べられており、その全てに身分の高貴な者と推測される男女が座っていた。
(……有力商人の子女、準貴族の夫妻、あとは普通に近隣領地を治める貴族の親戚たちかしら。やっぱり来客も、それなりの身分の人を選んでいるのかしらね……)
テーブルマナーや仕草、あとは衣服の見栄えで大体の予想はつく。幾ら引き篭もりだったとはいえ、伊達に伯爵家の令嬢としてやってきたわけではない。
ふと後ろを振り返ると、手ぶらのシシアが階段の手前に置かれた女神像に見惚れていた。
私は彼女の両手に注目し、
「そういえば、お野菜はどうしたの?」
「……あっ、はい。先程此方の給仕の方に預けておきました。必要な時に呼んで持ってきてもらいますわね」
「なるほど」
確かにあんな野菜を台車ごと持ち込んでいたら大顰蹙を買っていただろう。さすが高級レストランの給仕。私の中でこのお店の評価が1ポイント上がった!
「こちらでございます」
案内されたのはエントランス席の奥、個別に仕切られている少人数用のテーブル席だった。アンティーク調のドアが給仕によって開けられ、中に入ると見慣れた兄の姿がそこにあった。
薄暗い部屋の中で、壁に灯された蝋燭の光に照らされた淡いブロンドの髪は綺麗に整えられている。私とは違い、一本一本が黄金で出来ているように見紛うほどに美しい。長い睫毛に縁取られた大きな目は、透き通るように輝く翡翠色。
整った鼻筋に影が落とされ、普段とは違う妖艶さが際立っている。
そんな彼は、私の姿を見ると忽ち微笑んだ。
「やぁ、アイリス。こんな遠くまで呼び出しちゃって悪かったね……さぁ、座ってよ」
ずっぱーん!!、とハート型の矢が私の心を貫く幻聴が聞こえた。
『好き』という感情に触れたことがなかった私だが、ライアスの笑顔を見る度に女としての感覚が疼くのがわかる。
高鳴る鼓動を抑え込み、咳払いをして気持ちを整えると正面の席に腰かけた。
ナプキンを膝元にかけ、チラッチラッとライアスの顔を見る。
「何をそんなに見てるの? もしかして、僕の顔に何か付いてるの?」
「あっ、いやっ、なんでもないです……」
ライアスが不思議そうに呟く。
そこで自分がまだライアスの美貌に虜になっていることを確信した私は、自分の右手で自分の頬を思いっきり平手打ちした。
ッッッパァァァァン!!、と凄まじい音が個室に響く。私の奇行を目にしたライアスは目を丸くして驚いていた。
「えっ、なに、どうしたのアイリス!? 何か悩み事でもあるの!?」
「ちっ、違います。いや、あったとしても貴方以外に原因は無いんですけどね!」
「???」
困惑するライアスを無理矢理意識から外し、八百屋の店主の顔を思い出して昂ぶる感情を沈静化させた______いやだって、しょうがないじゃない、これ以上イケメンを眼中に入れてたら勢い余って告白しそうだもの!
(落ち着け平常心……そうだ、関税のことと条約のことを聞かないと。ディナーを楽しむには、まず面倒事を片付けなければ)
「ええっと、じゃあ僕とアイリスにはシャンパーニュをお願い。あ、もしかしてベリーニが良かった?」
「えぇ、ベリーニで。……ところでお兄様、話があるんですが少々よろしいですか?」
給仕に食前の酒の注文をし、早速兄へお伺いと言う名の尋問を始める許可を取った。ライアスは、何故か少し嬉しそうに大きく頷いた。
それを合意だと受け取った私は、組んだ手を口の前に持ってきて肘をつく。半目でライアスの翡翠の瞳を正面から見つめ、
「ここに来る最中に、東通りで八百屋を営む領民の男性から興味深い話を聞きました。どうやら2ヶ月前、お隣のゼベット侯爵領と『関税完全撤廃』の合意をしたらしいですが……何故そんなことを?」
「……何故、って」
ライアスが戸惑ったかのように身を引き、私の視線から逃れるように小さく顔を逸らした。
そんな姿に少し失望した私は、ライアスに対する高ぶった感情などとうに忘れ、容赦無く責め立てた。
「考えてみれば直ぐに分かるではありませんか。向こうの領地は此方に比べて、何倍も大きく農耕地の面積も比べ物にならないほど大きい。しかも商品作物中心で、大規模な栽培が行われているのです。そんな場所との貿易に関税をかけなければ、どうなるかは自明の理でしょう!?」
「……それはだね」
「お兄様は街の様子をご覧になりました? 八百屋は野菜が売れずに嘆き、果物屋は商品が余るばかりと涙しておりましたわ。そんな状態を放置し、剰え『条約』違反を黙認されるとは! 一体、何を考えてそんなことをなさっているのですか!」
私事と公事は違う。
領地経営のことなのだ、どうして怒りを抑えられようか。そうして怒気露わに捲し立てると、ライアスは目に見えて縮こまってしまった。
俯きながら何事かを呟いている。
「……たな……んだ……」
「え?」
「……仕方無かったんだ。ああする他に手立てはなかったんだよ……すまない、アイリス」
「一体、何が……?」
するとライアスは、重々しく口を開いた。
シャンパーニュとベリーニは食前酒です。
ベリーニは女性向けで、白桃を使ったやつです。
ライアスの口から語られる、ある存在とは______




