10・生意気伯爵子息と醜悪伯爵令嬢
「うっはぁ!!やっぱり美味しいわね!!」
私は部屋に戻った後、シシアと共に余った生ハムなどを酒の肴にしてワインを楽しんでいた。
本当はルカやリリスも呼びたかったが、彼女たちはもう領内にある自分の家に帰ってしまったのだという。
やはり年の功なのか、何杯飲んでも顔色一つ変えない年配メイドのシシアが生ハムを食べながら呟く。
「やはりお嬢様は凄いお方ですわ。2週間くらい前、お嬢様が急にお変わりになられた時は、正直言って天地がひっくり返るほど驚きました...」
「そんなにか」
「ですが、本当に良かった。以前のように傍若無人なお嬢様があのまま成長なされていたら、私も一使用人として将来を心配していたでしょう...」
「おう、ありがとうね」
やはり酔っているのか、いつもより口数も多く本音をベラベラと喋り続けている。
私が適当に相槌を打っていると、彼女は唐突にエプロンのポケットに手を入れて、ガサガサと漁った。
「......あ、そういえばお嬢様にプレゼントがございます。これ、市場で買った時にちょっと売ってたんですが...なんでも王都で売れなかった分の残りらしく」
彼女が取り出したのは、手のひらサイズの青い小瓶。
正体がわからない私は、訝しみながら彼女に尋ねる。
「これは?」
「『回復薬』ですわ。きっとワイン造りでお疲れになるだろうと思って」
「....!」
『回復薬』。
その名の通り、人体に使用するとありとあらゆる傷を癒し、その体力を回復するという代物。
主に遺跡や『ダンジョン』に探検しに行く冒険者達によって使用され、前世では国内で最も需要の高い物品だった。そういえば、若いころの私はこの薬を研究し、美容などの新たな効能を発見したことがあったようななかったような…?
いまシシアが差し出している『回復薬』がかつての物と一緒なら、ありがたく受け取りたい。この薬には魔力を回復する効果もあり、魔王をして戦場を駆け回った時は浴びるようにして飲んだものだ。ちょうど今、ワイン造りに【時間空転】の魔術を使用して、魔力が枯渇していたところだったのだ。
…まぁ、味はあまりいいとは言えないがな。
「ありがとう、シシア。早速飲んでみるわね」
「はい、どうぞ。少ないですが我慢してくださいませ」
瓶に入った、青く輝く液体を一気に飲む私。
だが直後に、思わず眉を顰めてしまった。
(なにこれ......全く魔力回復の効果も感じられないし、体力は回復したけど微々たる量だし......もしかして偽薬? しかも入っているはずのマンドラゴラもおそらく入ってない...)
そう、前世で飲んでいたものとあまりにも違うのだ。
本来なら魔力が回復した時特有の、漲るような感覚があってもいいのに全くない。
それどころか、むしろ余計に魔力の状態が悪くなった錯覚さえ覚える。
疑わしげに半目になった私はシシアに尋ねる。
「ねぇ、シシア。これ本当に『回復薬』?」
「はい、そうですわ。市場でも信頼のある中央商会が提供していましたし、確実かと」
まさかこの世界、『回復薬』もおかしいのか。
だが同時に、私の頭もフルスピードで回転する。
(これ、領地改革に利用できないかしら?ワインは生産時期が限られるから、副業として何かが必要だったけど...『回復薬』、いけるか?)
もしこれが、ワインと同じような感じで『最高級』とかだったら一周回って笑える。
無論、これが一般用に薄められた粗悪品の可能性もあるが…。
(しっかし、中央商会がそんなことしてたら問題よね。まぁ王都とも繋がりが深い組織だし、これは恐らく本物の品。素でこのクオリティの可能性は高いわね…)
考えをまとめた私は、自分で『回復薬』を作ってみることにした。
前世では魔王をやっていたが、別にそれが本職というわけでもない。
魔王になる前、普通に魔術師として冒険をしていたころは、薬草などを使って回復系の支援をする仕事をしていたため、繊細な作業が必要とされるワイン造りが徐々に趣味になっていったのだ。
無論、『回復薬』なんて、魔術師にとっては基本中の基本。
だがおそらくこれは、私が見習いの時に作った失敗作よりも効果が薄いだろうな…。
(よし、ワイン造りも成功したことだし。このまま波に乗って『回復薬』作ってみようかしらね! じゃあまず材料を集めないといけないわね。さーて、なんだったっけな…)
そして私は、シシアとのささやかな酒会を楽しんだ後、『回復薬』作成の準備に取り掛かった。羊皮紙を出し、羽ペンを使って材料を書いていく______
♡
「うーん……困ったなぁ……」
私は自室で頭を抱えていた。
ワイン造りが成功した翌日、早速私は朝早くから起きて『回復薬』を製造するための材料をリストアップし、大方の生息地を予測して地図で確認していたのだ。
『回復薬』に主に必要とされるのは、3つの種類の異なる材料。
アシストスという魔力を帯びた石、ルルフェスという植物の葉と根、そして『霊草マンドラゴラ』。
最初の二つはフェルヴェルフォンの領地からも、少ない割合ではあるが輸出できるほどの量はキープしているため、何ら問題はない。
問題は『霊草マンドラゴラ』なのだ。
あの植物は、大地を流れる薄い魔力の流れ______霊脈が交差する地点にしか生えない希少なものだ。
しかも、万薬の源と呼ばれるほどありとあらゆる薬品として使用することが出来る万能さも兼ね備えている。時に劇薬に、時に良薬にもなるのだ。
代表的な特徴は、土から引き抜かれると耳を引き裂くような甲高い音波を周囲にまき散らすということ。対処は簡単だが、何も知らない者がむやみに引き抜くと、最悪の場合ショック死するくらいだ。
昔から地学は得意ではなかったが、部屋にあるそれっぽい本と照らし合わせて、素人ながら大雑把に霊脈のラインを地図に描いていく。
そして一際大きな霊脈と霊脈がぶつかり合った、マンドラゴラの絶好の生息地は______
「……ティフェルバーニャ領、しかもその北西に位置する森の中か…」
そう、数日前に意気揚々と縁談を申し込んできた、あの伯爵の領地である。
ティフェルバーニャ領ともなれば、フェルヴェルフォンの者には一切手出しができなくなる。無断で採ろうものなら、それこそ外交や経済流通断絶にまで発展してしまう恐れがある。
つまり、そう簡単には手に入れることが出来ないのだ。
もちろんフェルヴェルフォン領内にも霊脈の交差するポイントは幾つかあった。
しかしそれらが全て発展し続ける街の真下だというのだから、もはや絶対に生息しているはずがない。
むしろあったら、それはそれで植物の驚異の生命力に感嘆するほかあるまい。
万事休す。
そんな言葉が頭を過るが、ここで諦めるわけにはいかない。
なんとかして隣の領地からマンドラゴラをもらえないだろうか…と思案に耽っていると、部屋に着替えを運んできたシシアが入ってきた。
「あらお嬢様、おはようございます。一体こんなに早くから、何をなされているのです?」
「あぁ、シシア。おはよう。いまね……」
私はシシアに経緯を説明した。すると彼女は思い出したかのようにこう言った。
「あ、そういえば全く関係がないかもしれませんが、今朝ポストにティフェルバーニャ伯爵様より手紙が届いておりましたわ。先程ライアス様にお渡ししましたが、どうやら縁談に関する催促のようです」
「へぇ…そうなんだ………縁談、縁談……ん?」
私は何度か同じ言葉を反芻した後、勢い良く立ち上がって思わず叫んでしまった。
「そうだ、縁談破棄の通達!! それを利用すれば……!!」
この世界の一般常識として、縁談を申し込んだ上流階級の子息は、相手側の令嬢が縁談を検討している際に呼び出しがあれば必ず応じて行かなければならない、というものがある。
それを利用して、ウィリアム少年をこの屋敷に呼び出して、一対一で外交交渉をするという手段を思いついたのだ。
彼はこの縁談を嫌がっていたようだし、縁談を拒否してあげることの条件としてマンドラゴラの採集権を渡してもらうというのが現状で一番有効……かもしれない。
よし、そうと決まれば善は急げ。
行き当たりばったりのノープランだが、案外何とか行くものなのだ。
私は良いアイデアを提供してくれたシシアに感謝し、ついでに頼みごとをする。
「よしシシア、急で済まないんだけどお兄様に、今日ティフェルバーニャ伯爵子息のウィリアムさんを呼ぶように伝えといてくれる? もちろん返事はノーということで」
「ええっ、よろしいのですか? こんな急に決めてしまって」
「まぁもとより、うちもあっち側も当人たちが結婚の意思ないしね。ぶっちゃけこの縁談に一番熱意注いでいるのはティフェルバーニャ伯爵でしょうね」
「はぁ……そうですか。わかりました、速やかに伝えておきますわ」
「うん、よろしくね~」
シシアが一礼した後、すさまじい勢いで部屋を退室して廊下を疾走する音が聞こえた。
……何もそんなに急がなくていいのに。
♡
数時間後、事態は急速に動いた。
私が縁談破棄を決めたと聞いたライアスは、すぐに使いをティフェルバーニャ領へと送った。
しかし偶然にもティフェルバーニャ伯爵は息子とともに王都から帰ってくる途中で、ちょうどフェルヴェルフォン領を通るところだったのだ。そのおかげで彼らはすぐに屋敷を訪ねることとなった。
まだ突拍子もない計画を思いついてから半日も経っていないのに……。
そんなこんなで今私は、一階にある客間でウィリアム少年の正面に座っていた。
王都から帰ってきて若干疲れているのか、顔は相変わらず不機嫌なままだ。
前に来た時に目立った美しい癖っ毛の銀髪も、心なしかヘタってしまっているように見える。
シシアが二人分の紅茶を私たちに出し、部屋の隅まで下がったのを確認した後、私は唐突に沈黙を破った。
「御機嫌よう、ウィリアム様。王都に行かれていたと聞きましたが、あちらはどのようでしたか?」
まぁ、他愛もない社交辞令みたいなものだ。
しかしそれを聞いた銀髪蒼眼の美少年は、あからさまに口を歪めて呟いた。
「そういうのはいい。僕はそういうあからさまな挨拶は好きじゃない。だからさっさと本題に移ってくれ、豚________じゃなくてフェルヴェルフォン伯爵令嬢?」
「おや、お嫌いでしたのね。失敬失敬。それでは早速結論から言わせていただきますわ」
一瞬ではあるが、結論と聞いた瞬間ウィリアムの目が期待で見開かれた。
しかし私は気にせず、特に声色も変えずに淡々と告げる。
「今回の縁談は、お断りさせていただきますわ_________条件付きで」
「よかっ………は??」
安堵しかけた少年の顔が、瞬く間に疑念と不満に満ちたモノへと変化する。
______案外顔に出やすいんだな。
こういう相手だと交渉がやりやすくていい、と私は心の中で微笑を浮かべつつ、少年の蒼く大きな瞳を見据えた。
案の定、すぐにウィリアムは私にその言葉の真意を尋ねる。
「おい、条件付きってどういうことだ?? そんなの、聞いたこともないしあり得ない話だ」
「あら、いいのですかその条件を聞かなくて。というかこの条件を呑まなければ、私はあなたとの縁談を承諾してしまうのですが……よろしいので?」
「いや、待ってくれ、頼む」
私との結婚がよほど嫌なのか、ウィリアムは両手をわたわたと振って私を制止しようとする。
まるで子供のような仕草に若干同情を覚えつつも、私は彼に条件を話す。
「条件っていうのは、至って簡単な話です。あなたの領地の北西に大きな森があるはず。私の調査によると、どうやらそこに『霊草マンドラゴラ』が生えているらしいのですが……どうでしょう、その植物の採集権と引き換えに、この縁談を断って差し上げましょう」
「まん、どらごら…?」
ちょっと不可解な顔をしたウィリアムだったが、直後に私の顔から見る見るうちに社交辞令用の笑みが消えていくのを見て、慌てたように大声を出す。
「いやっ、そんな植物が生えているなんて僕は聞いたことがない!!」
「生憎と私の調査は完璧でして。場所はちょっとずれていても、必ず森の中にマンドラゴラの生息地があるはずなのです」
「でっ、でも、マンドラゴラというのは大変希少な薬草なのだろう!? 本当にあるとすれば、僕たちの領地の収入源として活用したいのだが……」
「確かにそうでしょうね。私との縁談を引き換えに、そちらの領地には莫大な収入が入ることでしょう。ですがここで私はもう一つの道を提示したいのです」
「もう一つの、道…?」
表情に焦りが見えてきたウィリアムに、畳みかけるようにして早口で私は提案事項を告げる。
「実は私の領地では今、極秘に『回復薬』の開発を行っています。その製造にはどうしてもそちらのマンドラゴラが必要なのです。ですから、ウィリアム様と私で『回復薬』の共同製造責任者となり、利益を半分に分けるというのはどうでしょう?」
「……ちょっと待ってくれ。少し考えよう……」
一般的に、マンドラゴラは貴重だがその数の少なさの割には値段が高騰しない。
しかし『回復薬』は違う。マンドラゴラが一本あれば、1000を超える数を量産でき、しかもその品質に応じて時には原材料のマンドラゴラより、高い値段が付くこともある。
巷では頭脳明晰と噂されているらしいウィリアム少年は、何やらぶつぶつとつぶやいた後、何かを決心したような顔で私を正面から見つめなおした。
「わかった。その条件、呑もう。しかしこちらからも条件がある」
「はい? …一応お聞かせ願えますか?」
「共同製造責任者というのはいいが、問題は利益の配分だ。こちらはただマンドラゴラを提供するだけなのに、半分をもらうのは申し訳ない。3割で結構だ」
「3割……でいいのですか? 本当に?」
「あぁ。でなければティフェルバーニャとしてのプライドが廃ってしまうのだが……どうだ?」
蒼く聡明な瞳を上目遣いの様にして見つめてくるその姿に、一瞬ドキッとするものを感じつつも、私はほとんど無意識に「はい」と答えてしまっていた。
それを聞いたウィリアムは、やっと安堵したかのようにため息をついた。
「では、交渉成立だな」
細くて白い、まるで女のように華奢な手が私に差し出される。
少し躊躇ったものの、私はその手を分厚いハムのような両手でがっしりとつかむ。
その手を見て、ここに来て初めてウィリアムが笑いを漏らした。
「ははっ、お前の手は本当に太いな! まるでうちの牧場にいる豚のようだ!」
「ははは。いまの交渉取り消しましょうか?? ねぇ??」
「あっ、いやっ、すまない、悪気はなかったんだ……」
慌てて視線をそらし、取り繕うように言い訳をする少年。
ていうかこいつ交渉成立した瞬間に口悪くなったぞ。
大丈夫かこれ。
「じゃあ、明日調査隊を派遣してお前が言った場所にマンドラゴラがあるかどうか調べさせる。その結果は伝書鳩でそちらに伝える。いいか?」
「えぇ、もちろんです」
「よし……じゃあ、僕は帰る。今日は本当に疲れたしな」
最後に紅茶を飲み干すと、ウィリアムは立ち上がって客間を出ていこうとした。
その帰りがけに、ふと立ち止まると、改めて私の全身を見てボソッとつぶやく。
「なんだかお前……痩せたか? この間より細い豚になっている気がするが……」
「あはは、そう見えます?」
「まぁいいや。じゃあな」
ご明察だよ!!
その通りだよ!!、と叫びたかったが、あくまでもお淑やかに手を振って銀髪の美少年を見送る。
彼が出て行ってドアが大きな音を立てて閉まると、一人ぼっちに取り残された私は部屋で呟いた。
「……嵐みたいな一日だったわ」
すべて順調。
そんな言葉を思わせるかのように、夏の強い日差しが窓から差し込んでいた。
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