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3-11

「……どうだろうな」

「考えただけでわくわくします。気づいていないだけで、大陸中に未知のことがたくさんあるかもしれないなんて」


 エフェメラはそろそろ湯から上がろうと腰を上げた。露天浴場を十分堪能することができた。部屋へ入る前に、濡れた布の裾をぎゅっと絞る。


「そういえば、ディランさまは、歌を聞いた時に何が見えましたか?」


 結局、ディランは一度もエフェメラのほうを見なかった。ディランが誠実なのは嬉しいが、自分の裸に魅力がないのかなと少し残念にも思う。


「俺は…………おいしいものを食べた時のことを」

「まあ、意外です。ディランさまって、実は食いしん坊だったんですね」


 エフェメラはころころと笑った。その時、ふと視界の隅に何かが見えた気がした。振り向くと、草木の間に人の顔があった。


「きゃあああ――っ!」


 エフェメラは驚きと恐怖で叫び声を上げた。ディランが振り向く。エフェメラは足をもつれさせながらディランのそばへ駆け寄った。ディランが震えるエフェメラの肩に手を置く。


「どうしたんだ?」

「いま、そこに誰かがっ!」


 ディランが窓の外を見る。しかし人の姿はない。ディランは目を閉じて周囲の気配も読んだ。それでも何も感じない。


「誰もいないな」

「え?」

「中へ入ったにしても、外へ逃げたにしても、まったく気配が掴めないなんてことは、ないんだけど」


 エフェメラはもう一度人の顔があった場所を見た。何もない。かなりはっきりと見えたと思う。だが潜入仕事もするディランが誰もいないと言う。自信が少し揺らいだ。


「……わたしの、見間違いだったのでしょうか……」

「俺が入ってる時は、確かに誰もいなかった。それから誰かが近づいてくる気配もなかったし――」


 ディランはエフェメラに視線を戻し、そしていまの状況に気がついた。湯上がりのエフェメラが最低限の箇所を隠しただけの姿でディランに身を寄せている。水を吸った布は肌に張り付き、エフェメラの育ちのいい体をはっきりと強調させていた。


 ディランはエフェメラのむき出しの肩に触れていた手をぱっと上げた。離した瞬間、今度はエフェメラの胸元から布がずり落ちそうになりぎょっとする。


「お、俺っ、ちょっとその辺調べてくるよ」

「え?」


 壁に掛けてあった剣を素早く掴み、ディランは部屋を出て行った。エフェメラは閉まる扉を呆然と見た。それからようやく自分の恰好に気づく。


 エフェメラは急いで寝衣に着替え、ディランの帰りを待った。だが結局、あくびが出る頃になってもディランは帰って来なかった。


   ×××


 広い寝室にはかすかな息遣いが響いていた。薄い布地の天蓋は閉じられ、中で灯る淡い光は、重なり合い動く人の影を作っている。


 寝台の上には裸の男女がいた。やがて二人の動きが止まり、ややあって女のほうだけが体を起こす。女は長い紺碧の髪を耳にかけ、枕元の卓の水差しを掴んだ。


 すると腰に男の腕が巻きついてきた。男は甘えるように女の膝の上に頭を乗せる。


「いかがいたしましたか? 大公さま」


 アラべリーゼはシュトホルムの黒髪を愛おしそうに撫でた。


「また、サンドリームの言いなりになっちゃったなぁ」

「……今日お話ししていた、塩の件ですね」

「うん。ディラン王子ったら怖いよ。普通に楽しく話してると思ったら、塩をもっと安く売るよう約束させられちゃってるんだもん」


 シュトホルムは疲れたように息を吐く。


「『出来の悪い王子』なんて噂は、きっと彼と会ったことがないやつが広めたんだろうね。ばかじゃない限り、一回話せばすぐに気づくよ。彼は普通の人の数倍は頭が切れる」

「本当に……情報を集めるのがお上手でしたわ。酒宴の雰囲気を壊さないまま、近日の異邦人の詳細から次期大公を誰にするかまで何でも聞いて。でも補佐官さま方はディラン王子に好印象を抱いているご様子」


「僕も彼の印象は良かったよ。僕をおだてるばかりじゃなくて、自分の考えもしっかり主張する。それでいて嫌な気持ちにはさせない。話し方が上手いんだよなぁ。また飲みたいって思わせられる」

「大公さま……」

「わかってるよ、アラベリーゼ。僕も、もう少ししっかりしなきゃだめだよね。この国の君主なんだから。……でも、なんでか強く断れないんだ。申し訳ないように感じちゃう」

「大公さまのそのお優しさまで、王子の計算のうちでございましょう」

「はあ……。君が言うならそうなんだろうなぁ。そんな気はしなかったけど、そうなんだろうなぁ」


 シュトホルムはさらに落ち込んだ様子で、アラべリーゼの柔らかな太ももに顔を埋めた。


「もうほんとアイヴァンやだ。リチャード王子の時は魚だったし、あの国から誰か来ると、ろくなことがないよ」

「元気をお出しくださいませ。諦めなければ、きっと改善の糸口は見つかるはずでございます」

「うーん、そうかなぁ。戦争でもして勝たない限り、ずっとサンドリームの言いなりになるしかない気がするよ。でも僕、血が流れるのは嫌いなんだよねぇ。……まあ、戦争したところで、サンドリームに勝てるはずもないんだけど」

「単純な国力だけで、関係が決まるわけではございません。優れた情報でもあれば、一千の兵と同等の力にもなりましょう。――大公さま。わたくしが、あなたさまをお助けいたしますわ」


 アラべリーゼの真剣な顔に、シュトホルムは優しくほほえんだ。アラベリーゼの頬に手を伸ばす。


「ありがとう、アラベリーゼ。君のそういうところ、大好きだよ」


   ×××


 ディランが帰って来ないため、エフェメラは結局一人で眠ってしまった。翌朝目が覚めたら、隣にディランはいなかった。まさかまだ帰って来ていないのかと思い、慌てて寝室から出ると、ディランは椅子に座り優雅に紅茶を飲んでいた。寝癖そのままで突っ立つエフェメラに気づくと、ごく自然に言う。


「おはよう」

「……おはようございます」


 ディランはまた紅茶を飲み始めた。手元には本がある。


 いつ帰ってきたのだろうか。そもそもエフェメラよりも遅く寝たはずなのに何故もう起きているのか。実は寝ていないのか。初日の夜にエフェメラを放っておくなんてひどいではないか、など、エフェメラはいろいろと聞きたいことや言いたいことがあったが、寝癖が恥ずかしいのでひとまず身支度を整えることにした。


 今日は海で泳ぐ予定だった。昨日、ディランと一緒にシュトホルムに誘われたのだ。


 朝食後、二人で宮殿裏の海へ向かった。今日も快晴だ。太陽が容赦なく白い砂浜を熱している。透き通る海の波は、風がないため穏やかだ。


 海ではシュトホルムと二十四人の公妃たちがすでに泳いでいた。エフェメラとディランに気がつくと、シュトホルムは四十半ばとは思えない無邪気さで楽しげに手を振ってきた。


 公妃たちはみな、水服みずふくという、胸と腰を隠しただけの大胆な服を着ていた。水の中で泳ぎやすくするためらしいが、もはや裸同然だ。エフェメラも水服を着るよう勧められたのだが、ディランが強く反対したため薄手のドレスで泳ぐことにした。


「そうです、力を抜いて――水を蹴るように足を動かしてください」


 エフェメラの手を掴みながらアラベリーゼが言う。泳ぐことができないエフェメラは、せっかくなので泳ぎ方を覚えようと思い、アラベリーゼに泳ぎ方を指導してもらうことにした。


「ううっ。水が、しょっぱいです」

「海ですからね。あまり飲み過ぎないように注意してくださいませ」

「は、はい」

「では、次は息継ぎの練習をいたしましょう。顔を海につけた後、一瞬だけ顔を上げて、息を吸います」



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