・・・・顔を洗いたい(切実)
気がつくと、鬱蒼とした森の中だった。
木々の間から降り注ぐ陽の光が周囲を照らしていて、マイナスイオン、という言葉が頭をよぎる。
キョロキョロとあたりを見回して、森だな、という再認識と自分の服装がパジャマ+裸足であるという新発見をした。
正しくはパジャマがわりのパーカーとジャージパンツだ。
この分なら顔は寝起きのノーメイクだろう。
…厳しいな。
来年には大台にのる私には特に厳しい現実だ。
せめて顔くらい洗いたい、と水場を探してあてずっぽうで歩き出したこの時の私は寝ぼけていたんだろうと思う。
いくばくもしないうちに川を見つけた。
ラッキー、と思いながら躊躇いなく手を突っ込み、水をすくおうとして、アレ?となった。
水がすくえなかったのだ。
どころか、確かに浸したはずの手も、濡れもしない。
えぇ~…
困った。顔が洗えない。
どこか斜めな感想を抱き、どうしよう、と考えている私の目の前に突然、人が現れた。
目の前といっても本当にfaceトゥーfaceではなくて、川をはさんで向こう側、森の中からふらふらと出てきたのだ。
出てきたのは男性だった。年齢はちょっとわからない。なぜならその人、ふらふら~っと出てきてそのままばたん、と倒れてしまったからだ。
え、ちょ!
ちょっと、が完璧な状態を保てないくらい驚いた。
なんせ、目の前で倒れられたのだ。
『大丈夫ですか!?』
大丈夫だったら倒れないよ、というセルフ突っ込みを心の隅で行って、私は倒れた男性に駆け寄った。
川を越えて。
すんなり越えられたからこの時は気にしなかったが、後に濡れるどころか水音ひとつたたなかったことを指摘され、けれどその時の私は既に現状に対する一つの結論をだしていたので『そういうもの』と断言することになる。
男性はうつ伏せで倒れていた。
わき腹あたりの土が赤く濡れている。
…どこの殺人現場!?とか、ふざけていい場面ではないだろう。
『あの、大丈夫ですか?救急車呼びましょうか?』
言いながら、携帯どこだっけ、とポケットをさぐり、手元にないことに気づく。
『げ、携帯ない…あの、大丈夫ですか?ちょっと今携帯不携帯なんで、公衆電話か病院の場所とか教えていただければ、すぐいって来ますが』
男性からの返事はない。
『あの…』
もう一度声をかけて、もしかしたら意識がないのかもと、覚醒を促すためにちょっと肩でも揺すろうか、と手を伸ばして。
空振り。
スカッと空を切った手が、手首ほどまで地面に埋まった。
…困った。
なんだかこのままではヤバい気がする。
けど、だからどうすればいいのかわからない。
とりあえず手を取り戻して、私は唸った。
よくわからない感じた。
なのに、妙に落ち着いている自分がいる。
いやもちろん、倒れている男性に関しては大いに焦っているのだが。
私に何が起きているのか。
そのことに、あまり頓着していない自分がいるのだ。
『…困った』
私は再び、唸った。
そしてとりあえず自分のことは置いておくことにした。
目下、緊急性が高いのは男性だ。
私はもう一度声をかけようとして…
「いたぞ!」
ぶっとい怒声に邪魔された。
声とともに、森の中から数人の男性が出てくる。
それが皆、異様な格好をしていて、私は無意識に後ずさった。
男たちは一様に毛皮の衣服をまとい、手には武器を持っていたのだ。
あと、皆巻きスカート(しかもミニ)だったのには状況を差し置いて引いた。
足元がちょい前に流行ったファーブーツだったのにも引いた。
更にヘソ出しが二人いたのにはドン引きした。
と、私のファッションチェックは置いておいて。
男たちは、倒れている男性を囲むように距離を詰めてくる。
「ようやく見つけたぜ…」
「ちょろちょろ逃げやがって、弱族が」
じり、と近寄る男たち。
男性は倒れたままピクリとも動かない。
そしてなぜかスルーされてる感のある私。
男たちみな男性を見ていて、少し離れたところでしゃがんでいる私には誰も注意を向けない。
これはちょっと、本格的になにかおかしい。
そう思うが、やっぱり私のことはいいとしよう。
本格的におかしいというかヤバいのは、倒れている男性だ。
怪我だけでも死ぬかもなのに、更には止めをさしたそうな人たちに囲まれているのだ。ここまで立派な死亡フラグ、見たことないよ。
ヤバい、どうしよう、と思う。
どうにもできない、とも。
だって私は警察でも自衛官でもないし、武道は中学の時授業で柔道をちょろっとかじったぐらいで、戦力にはならない。
かといって、『やめて!』とか、言いながら男性を背にかばう勇気もない。
せっかくスルーしてくれてるのに、そんなことして彼らの注意をひいてしまったらどうする?悲惨な末路しか浮かばないではないですか。
かといって、このまま男性が殺されるのを見てるのも…トラウマになりそうで嫌なんですが。
「殺れ」
どうしよう、とぐるぐる考えていた私の耳に、非情な言葉が飛び込んできた。
それを受けて、男たちが一斉に男性に近寄り、持っていた武器を男性目掛けて振り下ろした。
やめて、と。
声には出せなかったけど、心の中で叫んで、耳を塞ぎ、ぎゅっと目をつむった。
ーーーーーガキン!
脳に直接響くような硬い音がした。
ちょっと、人間相手では出ないような音だ。
私はおそるおそる目を開けた。
目に映ったのは微妙で、異様な光景。
複数の男が一人を囲んでいるのが異様なら、男たちの体勢が中腰で停止してるのがなんともびみょー…
「、な」
「なんだ、どうなってやがる!?」
「おい、何をしている。さっさと止めをさせ!」
「やってるよ!…クソ、動かねぇ」
慌てはじめた男たちに、私は微妙な光景の原因を知る。
男たちの武器が、男性の上で止まっているのだ。
10㎝、といったところか。本当にギリギリ、私だったらショック死していそうな位置で止まっている。
それは男たちにも予想外だったようで、しきりに武器を振り下ろし、止まり、振り下ろしを繰り返している。
中にはそのまま押しきろうとしている人もいて、現場はプチパニック状態だ。
なんだかよくわからないが、とにかく男性が殺されていないことに私はほっと息を吐いたーーーーーその時。
「ー、よし!」
武器を振り下ろしていた一人の攻撃が、男性の太ももを切り裂いた。
私は悲鳴を上げた。今度こそ、声に出た。青空に突き抜けるような、絹をさくような悲鳴だったと思う。
なのに。
男たちは、誰も私の方を見ない。
まるで私の声なんて聞こえていないみたいに、再び男性にむかって武器を振り上げた。
『やめて!』
私は今度こそ、声を上げた。
けれど誰もこちらを見ない。
いよいよ武器が男性に届く、という時。
思わぬことが起こった。
男たちにとっても、私にとっても。
「…っるせぇなぁ。何て声出すんだ。まぁ、おかげで目が覚めたが」
意識を取り戻した男性が、男たちの包囲抜けて立ち上がり、武器を構えたのだ。
男性は若かった。多分十代後半~二十代前半だろう。
ずいぶん幅の広い予測になってしまったのは、男性の顔立ちが彫り深い、私にとって馴染みが薄いものだったからだ。
とりあえず年下なのは間違いない、と判断したところで、声がかけられた。
「さっきの悲鳴、あんたか」
ちら、と視線が向けられる。
『あ、うん。ごめんね、うるさかった?』
男性の第一声を思い出し、なんとなく謝ってしまった。
「いや。助かった」
『それはよかった。ね、怪我してる。大丈夫なの?』
「大丈夫か大丈夫じゃないかでいえば、大丈夫じゃねーな」
『ですよね』
思わず同意してしまうほど、男性は満身創痍だった。
うつ伏せではわからなかったが、わき腹だと思っていた傷は肩から脇にかけて走っていて、顔や腕にも細かい切り傷が無数にある。
そして先ほどの太ももへの一撃。切られたほうの足がガクガクと震えていた。
『…ね、大丈夫?』
私は再び同じ言葉を、今度は違った意味で聞いた。
「…大丈夫か大丈夫じゃないかでいえば、大丈夫じゃねーな」
男性は同じように同じことばで、先ほどより切羽詰まった答えを返してきた。
そんな会話をかわしている間にも、男たちは再び男性に詰め寄ろうとしていた。
男性の意識があるぶん、先程より慎重になっているようだが、確実に。
「無駄な抵抗はやめろ、シュダの。お前に最早勝機はない」
降伏勧告、というのだろうか。男たちの一人、先ほどからリーダーっぽい言動の男が言う。
『…聞いていい?』
この状況で口を開く私に、男性は面白そうに口許を歪めた。
「なんだ」
『さっきっつーか結構前から思ってるんだけど、これどういう状況?』
今、この場で聞くことではないのは重々承知だ。
けど気になってしまったものは仕方ない。
気になって、疑問が口をついてしまったから致し方ない。
男性は、今度こそはっきりと笑った。
「…答えてやるよ。俺が、生きてたらな!」
言うと同時に、男たちが一斉に、男性に向かってきた。