星に願い……たかったけど(以下略)
遠い未来か、近い未来か、はたまたパラレルか。
いつだかよくわからないある日のこと。
七夕小話。
雨期。文字通り長雨が続く時期で、日本の梅雨によく似ている。
一年を通してからりと晴れた日が多いこっちの世界で、深刻な水不足が蔓延していないのはこの雨期が大いに貢献しているらしい。
けれど、水害をもたらすことも多くて、ディナートさんは領地内の視察に忙しい。
私は毎朝、降り続く雨の中に彼を送り出し、館の中でただ彼の帰りを待っている。
窓の外を眺めながら「寒くないかな?」「危ない目に遭ってないかな?」日が暮れるまでそんな心配を続けるのは、けっこう憂鬱な気分になるもので、一日に一回ぐらいは
「ああああ、外に出たい、走り回りたい、ディナートさんに稽古つけてもらいたい、一緒に視察行きたいぃぃぃぃいいいいーー!!」
と、大声を上げたくなるわけです。さすがに恥ずかしいから、人がいない時にコッソリ小声で独り言を言う程度にとどめてるけど!
そう言うわけで、今日もひとり置いてきぼりの私は暇です。家のみんなは忙しく働いてるのに、私だけが暇です。
手伝うって言ったらことごとく却下されるし、じゃあ自分の部屋の片づけでもするかと思ったけど、毎日、清掃係の人が掃除してくれるからやるとこない!
「ヒマだよーう……」
机に頬を乗せて呟いたら、背後からくすくすと笑う声が聞こえた。
「雨期が終わればすぐに夏祭です。暇だなどと口に出来ないくらい忙しくなりますから、今のうちに英気を養っておいてください」
「へっ!? うわ、ディ、ディナートさん!」
飛び上って声のした方を振り返れば、そこにはマントをつけたままのディナートさんが立っていた。
「お帰りなさい! 今日は早かったんですね!」
「ただいま。私がいない間、良い子にしていましたか?」
「ちゃんと大人しくしてました! もー、また子ども扱いして!」
「暇だとむくれていたようですが? ──大人の女性、ねぇ?」
う、うるさいっ!
痛いところを突かれて言い返せないから、代わりに唇を尖らせつつそっぽを向いた。
いいもん、意地悪なディナートさんとはもう話さないんだから! と言うわけで、そそくさと彼の傍から離れようとしたけど、一歩遅かった。逞しい腕が腰に巻きついている。いつの間に、この腕は、こんなところに、来たのでしょーかっ!? 外そうとしても全然外れない。悔しいくらいびくともしない。
「そんなに怒らないで、ヤエカ」
「お、怒ってなんかいないです。ただ離してほしいだけで」
「嫌です」
えー! なに、その即答。
「今朝別れたきりだったから、貴女不足なんですよ。哀れな私を少しは労わってください」
いや、不足するほど時間経ってないでしょ! 二日も三日も会えなかったわけじゃないのに!?
ちょっと呆れそうになった私を軽々と抱き上げたディナートさんは、そのまま部屋を突っ切ってソファに腰を下ろした。──膝の上に私を乗せたまま。
膝から降りて隣に座ろうとしても、腰に巻きついた腕が解けない。
じたばたじたばたもがく私をよそに、彼は涼しい顔で控えていた侍女のメイディアにお茶の用意を頼んでいる。そしてメイディアまで『いつものこと』と言わんばかりに涼しい顔なのが、やけに悔しい。
私付きの侍女なのに、なんでそんなに冷たいの!? 助けてくれたっていいじゃない!! という目線を送っても、冷静沈着が服を着て歩いているようなメイディアは私の救難信号に気づかないふりをして部屋を出て行った。
後に残されたのは必死に足掻く私と、その抵抗を露ほども気にしないで、上機嫌に私の頬や髪をなでなでしてくるディナートさんの二人だけだ。
「ディナートさーん」
「はい? 何でしょうか?」
にこにこにこ。屈託のない笑顔であっけらかんと言われちゃうと、何もかもがどうでも良くなっちゃうから危険だ。
「下ろしてください~」
「良いですよ。ただし、私が満足してから、ね?」
それはいつですか。聞いてもきっとはぐらかされちゃうんだろうな。いつもの事だし。
と言うわけで、しぶしぶ今の状況を受け入れた。これもいつもの事で、なんだかんだ言いつつディナートさんのペースなんだよなぁと苦笑いが浮かぶ。で、それが実は全然嫌じゃない自分にも『惚れた欲目だよねぇ』と呆れ半分、嬉しさ半分で思う。
良い匂いのする温かいお茶を楽しみながら、ディナートさんに今日一日の出来事を話したり、逆にディナートさんから今日の視察の話を聞いたり、そう言う他愛のない話をするのが、ここのところ毎日の日課になっている。
過保護過ぎるぐらい過保護な彼は、私が雨期の視察に同行するのを許してくれない。長雨にぬかるんだ道、増水した河川や地滑りの危険──足手まといになるのが分かってるから、私も行きたいとは言わないけど、でもやっぱり留守番は寂しい。
「早く雨期、終わらないかなぁ」
雨期が終われば、話を聞くだけじゃなくて一緒について行けるのに。
「もう間もなく明けますよ」
「あとどのくらい?」
「そうですね。例年であれば、長くてもあと七日程度でしょうか。今日の川の様子を見る限り、上流のほうはもう雨期が終わり始めたようです。増水が止まっていましたからね。おそらく、いま降っている雨が上がれば、雨期も終わりでしょうね」
ディナートさんは遠くを見るような目で窓の外を眺めた。つられて私も窓の外を見る。曇天から静かに落ちてくる雨に終わりは見えなかったけど、この土地を良く知る彼には私と違うものが見えてるんだろう。いつか、同じものが見えるようになったらいいな。
湿気を含んで気怠く過ぎていく午後はいつも憂鬱でしかなかったけれど、こうして二人で過ごすなら悪くないかも。
体に感じる彼の体温も、耳にかすかに届いてくる鼓動も心地よくて、ずっとこのままでいられたらいいのに、なんて考える。
「雨期が終わったらお祭りなんですよね?」
雨期に雨が降った事への感謝と、無事に雨期が終わった事を祝うお祭りなんだって。今、館のみんなが大忙しなのはその準備があるから。
「貴女も忙しくなりますから覚悟しておいてくださいね」
「はい!」
と、元気に返事してみたものの、すぐその元気は緊張にとって代わった。
今までの私にとってお祭りは純粋に楽しむものだったけど、この夏祭りはちょっと違う。ディナートさんに比べたら全然少ないけど、それでも公務があるんだよね……。領民の前で挨拶とか、近隣から集まってくる貴族たちの接待とか、とか、とか!!!
「どうしました?」
「緊張してきました」
「大丈夫。私がついていますよ。貴女は私の隣で笑ってくれていれば良い」
笑いながら彼は私の髪のひと房にキスをした。艶を帯びた目で見つめられて、胸が痛いくらいどきんと跳ねた。ディナートさんはいつもそうだ。いつも穏やかに笑っているのに、今みたいに瞬間で豹変する。そのたびにドキドキして、振り回されて、苦しい。
彼の手が私の顎を掴んで、少しだけ上を向かせる。そうされると真正面から見つめ合う角度になって、胸が苦しい。このままじゃ危険だ。頭の奥で警鐘が鳴る。
いつも通り、流されてトンデモナイ事態に陥っちゃうよ!! まだ日が高いのに!!
「あ、っと。ディナートさん?」
「ん? なに?」
囁くような声。蜜みたいに甘く響くから、一気に体温が上がった。金の瞳が少しの憂いと暗い艶を纏って、私を見下ろしている。恥ずかしくて顔を背けたくても、顎が固定されていては無理です。無理なんです。
流されちゃダメ。今日こそは思いとどまって貰わないと! 心の中で呪文のように繰り返すけど、彼をとどめるための効果的な言葉が思い浮かばない。
「手を、離して貰えませんか?」
「どうして?」
「どうしてって……恥ずかしい、です」
「ここには貴女と私しかいませんよ? 恥ずかしいことなんてないでしょう?」
目を泳がせながら、ささやかな抵抗を試みている私にお構いなしのディナートさんは、顎を掴んでいる右手の親指で、私の唇をゆるゆるとなぞっている。そこから甘い痺れが湧き起って、ゾクリ、と何かが背筋を駆けあがってくる。
やだ。どうしよう。もう逆らえないかも……。
横目でちらりと見た窓の向こうは相変わらず雨降りで、だけどどう見ても真昼の明るさだ。それを考えると泣きたい気持ちになってくる。ああ、何かこの雰囲気をぶち破る話題はない?
ディナートさんの興味を引きやすい話題で、私が提供できるものはなに?
──日本の事、かな!?
雨、雨期、雨期の終わり。日本の梅雨、梅雨の終わり、祭り……あ、七夕! 七夕があった!!
ここの夏祭りとは感じが違うし、こじつけっぽい気がするけど、とりあえず言うだけ言ってみる。
「ね、ねぇ、ディナートさん。昔、日本にも梅雨と言う雨期があるって話をしたでしょう? 梅雨の終わりごろ、『七夕』っていうお祭があるんです。ここの夏祭りとは全然性質が違うんですけど」
「タナバタ……? それはどのようなお祭りなのです?」
やった! 彼の興味を引くことに成功したみたい。私の唇をなぞっていた指の動きが止まった。
私は意気込んで織姫と彦星の話をした。
「その二人は一年に一度、それも晴れた日にしか会えないんですか……」
「そうなんです」
「では、その二人が会えるように祈る祭りなのですか?」
「うーん。どうなんでしょう? 確かに会えるといいなって思ったりもしますけど、短冊に自分のお願いを書いたりするし……ごめんなさい、よくわからないです」
「祭りと言うのは長く行われているうちに変化したり、複数の祭りが併合されたりと、形を変えることがありますからね。そう言うたぐいのものなんでしょう」
ディナートさんはそう締めくくって納得したけど、私は自分の知識の浅さが恥ずかしくて、耳まで熱くなった。
「ごめんなさい。私から話を振ったのに、よくわかってなくて」
「いいえ。面白い伝説を聞けて楽しかった」
そう言っていただけると話をした側としては救われます。ハイ。
「しかし、ヒコボシという男は大人しい男ですね。愛しい人と引き裂かれても唯々諾々と従うなど」
「ディナートさんだったら……?」
怖い答えが返ってきそうだなとは思ったけど、好奇心に負けて聞いてしまった。
「私だったら? そうですねぇ。とりあえずそんな命令には従いません。貴女を攫って地の果てまで逃げるか、命令をした者を弑すか。そんなところでしょう。まぁ、そもそも私は仕事を怠けたりしませんけどね」
やっぱり物騒な答えが来た。
怖いと思うより先にディナートさんらしいと思っちゃうのは、私も彼に感化されているから?
「ディナートさんらしいですね」
「そう?」
ふざけ半分で笑ったら、悪戯っぽい笑顔を返されて、私たちは同時に噴き出した。
「こっちの夏祭りではお願い事を書いたり、そう言うことはしないんですか?」
「しますよ。願い事を書いた木片を川に流すんです。もともとは豊穣を願う祭りですから、そう言った願いが多いですが」
わ! 面白そう。私も参加する暇あるかな? あるならやってみたい!
「ねぇ、ねぇ、ディナートさん! それ私も参加できますか? やってみたい!」
「ダメです」
一言で却下された。
そんなに忙しいのかな。それとももしかして、主催側の人間はやっちゃいけないしきたりだとか?
「そう、ですか……」
ちょっと残念だけど、ダメなら仕方ないよね。
「天になど、願わないでください」
「え?」
ディナートさんが不思議な事を言うので、私は不思議に思って彼を仰ぎ見た。
途端に、怖いくらい甘い目と視線が絡んで、目が眩んだ。
「貴女の願いは全て私が叶えます。だから、私以外のものに縋ったりしないでください」
「ディナートさん?」
「それがたとえ天でも神でも。貴女がそんなものに気を取られていると思うだけで、嫉妬で胸が焦げる」
ディナートさんは私の手を取って甲に軽く口づけると、軽く歯を立てて噛んだ。
「っ!?」
戦慄に似た何かが体の奥からせり上がって、肌が泡立つ。
「ねぇ、ヤエカ。貴女は、何を願おうとしたんですか? 私に言えないこと?」
「そういうわけでは……」
「じゃあ、言って。私が叶えるから」
待って。待って? 待って!
そんな強く願ってる事なんてない。
単に、そういう行事があるならちょっと参加してみたいなぁっていう軽い気持ちで言っただけだよ!?
黙っている私に焦れたのか、彼はもう一度私の手を甘噛みする。
「ヤエカ。言いなさい。 言えないなら、それでも構いません。素直になるまで離さないから」
壮絶に色気漂う顔で微笑まれて、私は訳が分からないうちに窮地に立たされたことを知った。
ああ、次はこの状況から逃れるために、当たり障りのない願い事を考えなくちゃ。
下手な事を言ったら、藪蛇になるから慎重に。慎重に、ね!
「だんまりですか? 良いでしょう」
金の瞳に暗い炎が灯って、いつもより濃い色に煌めく。
彼は私を抱いたまま、ソファから立ち上がった。急にバランスが崩れそうになって、慌てて彼の首に腕を回して抱きついた。
途端、クッと息だけで忍び笑う気配がして蠱惑的な声が私の耳元で囁いた。
「貴女が素直になりやすい場所へ移動しましょう」
悪魔の囁きに似たそれに、私の全身から血の気が引いた。
喉の奥で絡まった悲鳴に気が付いたらしいディナートさんは、私の耳たぶを軽く噛んだ。
「今日はたっぷり時間もありますから。楽しみですね?」
──そのあとの事は、どうか聞かないでください。