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22 聖女

「本当にお前はあの人にそっくり」

 母親にそう評されて、リードはイラつきを押し殺した。


 この人はリードのことをとことん嫌っている。


 リードもこの人と顔を合わせる気もなかった。特にこんな華やかな席でエスコートするなんて最悪だ。


「本当に、あの人と会うの?」

 姉が何度も確認してきた。

「会う人物を間違っているんじゃない?」


「今の僕にはあの人の力が必要だ。兄上を救うためだ。少しくらい嫌なことは我慢するさ」


 実際には、少しくらいなんてものではなかった。こんな化け物と一緒にいるくらいなら、豚を連れにしたほうがましだ。


 母親は昔から美しい人だった。同じように花とたたえられている姉ほどの華麗さはなかったが、年を取った今でも周りの男が振り返るほどのあでやかな雰囲気を振りまいている。リードも実年齢を知らなければ十は若いと思っていただろう。


 そして、彼女はその美貌と狡猾さを武器にしてこの王国の奥の世界を渡り歩いてきた。数々の浮名を流し、何人もの男たちを破滅させてきた。現王妃の信頼も厚い。リードの父親が持つ権力の陰で、好き勝手にふるまってきた毒婦。

 まさに毒の花という名前にふさわしい。


 派手に遊んでいるように見えて実は堅実だとわかった姉とはそのあたりが違う。


 母のことをよくわかっているから、姉のフローラは母と連絡をつけたいというリードの頼みを引き受けるときに渋った。生まれてこのかた、母親がリードの願いは一度たりともかなえたことがなかったことを知っていたからだ。


 だが、それでも。

 リードは彼女が母親としての情をかけらでも持ち合わせていることにかけた。クロードは彼女のお気に入りの息子だった。祖母に育てられた長兄や、乳母に押し付けていたリードとは違って、クロードは母にかわいがられていた。さすがに愛息子の命がかかっているとわかれば協力してくれるのではないか。


「こんな素晴らしい席なのに、お前のエスコートというのは最悪だわ」

 母はリードの差し出した腕に触るのも嫌だったらしく、磨き抜かれた爪の先を服にひっかけていた。


「お前のせいで、私はあのお方の不興を買ってしまったのよ」

 周りの人には笑顔を向けつつ、母親は小声で毒づいた。

「本当に使えない厄介ものね」


 それはよかったと言い返してやろうかと思ったが、リードはぐっと我慢する。今は、耐えるしかない。


 第二王子と聖女の結婚式の前夜祭は、とても明るい雰囲気に包まれていた。誰もかれもが明るく談笑をかわし、これからの明るい未来を楽しみにしているようだ。


 まさに物語は大団円に向かっていた。

 王子様はお姫様と結婚して、いつまでも幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。

 リードの先ほどまでいた暗い先の見えない世界とは別世界だ。


 明るい無数の灯りの下で、母親に合わせて愛想笑いをしながら、リードはあたりに気を配る。

 知り合いに出会って、リードがここにいることがばれたら一巻の終わりだ。


 幸いにも、眼鏡をはずして髪を今風に整えたリードは、“リード・ヴィオラ”には見えないらしい。

「あなたの特徴といえば、眼鏡と髪の色だったでしょう。両方を変えてしまえばよほど親しい人でない限りわからないわ」

 髪粉をはたかれてせき込んでいるリードに姉はそういった。


「知り合いに会ったらうまくごまかしなさい。幸いにもあなたに捕縛命令が出ているのを知っているのは親衛隊の一部だけ。ほかの人はそのことを知らない。お母さまもご存じないはずだわ。でも、気を付けて」

 姉は小さい子供にするようにリードの顔を覗き込んだ。

「あなたを、殺そうとしている人もいるのよ。危なくなったら躊躇なく逃げるのよ」


 今のところはうまくいっていた。母親は人目につかずに王宮の奥へ抜けられる道をよく知っていた。彼女にしても落ち目の息子と一緒にいるところを他人に見られたくなかったのだろう。誰に呼び止められることもなく、二人は宴もたけなわの宮廷の奥深く、王族の私室の並ぶ区画へと入り込むことができた。


「先客がいるようね」

 ひときわ豪奢な部屋に入ると、母はさっさと笑顔を引っ込める。


「本当に、あのお方のご不興を帳消しにできるのでしょうね」


「それはもちろん」

 下手をしたらその場で八つ裂きにされるかもしれないということはおくびにも出さなかった。


 しばらくすると、音もなく奥の扉が開いてお仕着せを着た侍女があらわれた。

 母が女に何事かささやいて、何かを渡すと、侍女は一礼して奥に消えた。


 深い赤と金で彩られた部屋にリードは母とともに取り残される。母親とこんなに長く一緒の時間を過ごしたのは初めてかもしれない。リードにとってこの女は母というただの記号だった。そして、この女にとっては産んだことすらなかったことにしたい子供なのだろう。


「リード」


「はい、なんでしょう」


「今回のことが片付いたら、クロードにはもう近づかないで頂戴」

 顔も見ずに投げかける言葉にリードはどきりとした。ここの来る間、兄のことを一言たりとも口にしなかった母親が初めて彼のことに触れたのだ。

「お前の愚かな行動であの子の未来をつぶしたくないの。もし、あの子に何かがあれば、その時はお前を一生呪ってやる」


 敵意と嫌悪を隠そうともしない母親の顔を久しぶりに見た。この人はいつも取り繕ったようなすました顔しか見せていなかった。公式の場所では。

 彼女の生の感情に触れるのは久しぶりだった。そしてそれはいつもリードを深く切りつける。

 焦りや、不安、恐怖……化粧の後ろの素顔はどんなものだろう。


 最後通牒ともいえる言葉を投げかけた後、母親はリードの存在などないもののように、壁を見つめていた。


 奥に続く扉の内側からは音が漏れてこなかった。ソファに慣れた様子で腰を下ろした母親の後ろに立ってリードは待った。窓のない、暖炉の火だけが動いているような部屋だった。おそらく護衛がどこかから見張っているのだろうが、その気配を察することすらできない。じりじりとする時間だけが流れていった。


 ふいに扉が中から開いて扉をおさえる侍女が現れた。扉の向こうからは生気に満ちた空気が流れだしてくる。


「ありがとう。送っていただかなくて結構よ」

 明るい快活な声にリードの心臓がはねた。

 母親が立ち上がって深々頭を下げる横で、彼も動揺を殺すようにして頭を下げる。


「あら、お待たせしてしまったかしら。紫夫人。ごめんなさいね」


「いえいえ、聖女様。わざわざのお声がけありがとうございます」

 母が丁重に挨拶を述べるのを聞きながら、部屋の灯りがもっと暗ければよかったのに、とリードは思う。


「お義母さまへのご挨拶が長くなってしまったの。申し訳ないわ」


 聖女リーサは、はきはきと母に話しかけ、それから、そばにいるリードに目を止めた。


 そして、リードの祈りもむなしく、ぱっと顔をほころばせる。


「あら、リード君。リード君でしょ。どうしたの、こんなところで。あっ、そうか。お母さまを案内していたのね。どうしちゃったの? 眼鏡は? 髪は?」


「リーサ様……」

 リードは引きつるような笑みを浮かべる。


「もう、だから、他人行儀な言い方はやめてって。一緒に冒険した仲じゃない。ねぇ、ねぇ、その眼鏡と髪、どうしたのよ」


 リサはどこまで行ってもリサだった。


「眼鏡は、壊してしまいまして。髪は、まぁ、こういう改まった席だから……」


「うん、いいんじゃない。ちょっと印象が違うけど。眼鏡がなくてもいけるかも」

 リサはリードの肩についた糸くずをそっと摘み上げた。


 彼女は全く依然と変わっていなかった。そのことにほっとすると同時に鈍い悲しみが心を満たす。彼女は何も知らないのだ。リードが犯したとされる罪も、今追われていることを。


 もう、二度と会うことはないかもしれない。そんな予感を振り払って彼は笑みを浮かべた。


「リサも、一段ときれいだ。そのドレスがよく似合っている」


「ふふ。かわいいでしょ。今日の舞踏会のために仕立てた衣装なの。馬子にも衣裳、とかいう?」


「いつもの神官服もいいけど、こっちもいいよ。よく似合っている。」

 本当に夜会服を着た彼女はきれいだった。愛する人と結ばれてハッピーエンドを迎えるヒロインにふさわしいいでたちだ。

「結婚おめでとう。式は明日なんだろう?」


「どうしちゃったの? リード君。イメチェンして中身まで変わっちゃった? いままで、そんな社交辞令をいう人じゃないと思ってたのに。ちょっと、ギャップ萌え?」

 リサは冗談めかして、リードに笑いかけた。

「明日の結婚式の衣装も期待しててね。本当にきれいなんだから。あ、もちろん、リード君、出席するよね。書類の整理が、とかいって、いつもみたいに逃げないでよ」


「書類の整理が終わったら、ね、出席するよ」

「絶対だよ。パレードにもちゃんと参加するんだよ。いい? 恥ずかしいからって逃げるのはなし」

「わかったよ。ちゃんと出る。わかったから」

「ロンのブーケ、リード君に投げるように話しておくから、ちゃんと受け取ってね」

 リサはブーケトスもあるのよ、と予定を披露する。

「リード君も、早く彼女を作らなきゃ。今のリード君なら、次の結婚式はリード君のになるかもよ」


 明るい未来。理想の仲間。みんなが幸福な結末。


 もう彼女の顔を見て話すことはできなかった。自分の表情を隠すためにとっさに彼女の肩に腕を回す。


「うん。リサ。おめでとう。幸せにね」


 そういってからうつむいたまま膝を落として床を見つめた。

「聖女様のご結婚を心よりお祝い申し上げます。幾久しい幸せを。精霊の導きが貴女とあなたの伴侶にあらんことを」

 彼女の手を両手で捧げ持ち額に軽くつける。高貴な女性に対する正式な礼だった。


 気が静まってから、顔を上げる。リサは戸惑った何とも言えない表情をして彼を見下ろしていた。


「リード君、そんなことしなくてもいいのに。そうしていると、リード君、なんだか、本当に」

 ためらいがちに手を抜いた彼女は取り繕うように手を後ろに回した。


「また明日ね」

「ああ、また明日」


 リードは振り返って小さく手を振る聖女を見送った。


「お前が今くらい積極的にあの聖女を落としていたら、よかったのに」

 黙ってみていた母親が不穏な発言をする。リードはその言葉に交じる毒で感傷を振り落とす。


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