20 川岸
「おまえはもういいよ」
評議会の建物から出たリードはついてきた元副官に告げた。
「今までいろいろとありがとう。もう手を煩わせることはないと思う」
ラルフは怒ったように頬を膨らませた。
「何を言っているのですか、リード様。私は、ヴィオラ公から直接リード様をお守りするように命じられた家臣ですよ。きちんと安全な場所にご同行する義務があります」
彼は足早にリードの手を引いて歩きだす。
「え? でも評議会の仕事は?」
「あんなもの、私でなくても十分こなせます」
ラルフはあたりに気を配りながら、足を速めた。
「それよりも、今の若様の状況が心配です」
小さいころに、こうして手を引いて歩いてもらったことを不意に思い出す。あの頃はまだ小さくて、見上げるようにしてラルフの背を眺めていた。今や、彼のほうが背は高くなっている。
「すぐにでもこの町を離れるべきです。ヴィオラ領に向かいましょう。あそこならば親衛隊もいない」
ラルフは主張した。
「待ってくれ。そんなに早急に行動しなくても」
ラルフが向き直った。
「だめです。今がよい機会です。結婚式の準備に手を取られて、評議会軍も親衛隊もリード様にかかわっている暇がありません。今ならば楽に街を出ることができます」
「でも、部屋には荷物が……武器も何もかもおいてきている」
それに、話をしなければならない人たちがいる。
「わかりました。荷物は取りに行きます。リード様はすぐに御前の館に向かってください。今はまだ、安全だと思います。いいですか、すぐに、ですよ」
ラルフが強情なリードに譲歩した。
「わかった。なるべく早く向かう」
リードはうなずく。
リードはラルフと別れてからすぐに、ノヴァのいるはずの教会跡に向かった。彼女にはきちんと話しておかなければならない。
すっかりなじみになった道をたどっていく。ノヴァに教わった、敵の追跡をかわす呪とやらを使ってみたが効いているのだろうか? 誰かがつけているにしてもリードには感じることはできなかった。
またしても、あたりは薄暗くなりかけていた。このところあまりにもいろいろなことが起こりすぎていた。特に夕暮れ時にはろくなことが起こらないと経験が告げている。
だから、前方の道が封鎖されていてもそこまで動揺はしなかった。
「何が起こっているんだ?」
リードはやじ馬に尋ねる。
「なんでも、お尋ね者がこの先にいるらしくて、兵隊たちが道をふさいだんだ」
道を封鎖している兵隊はどうやら評議会軍のようだ。リードはいったん引き返すふりをして、横道から療養院へと向かう。ノヴァの使っていたややこしい道だから、追手がいたとしてもついてこられないはずだ。
「リード」
小声で呼び止められた。
「ノヴァ、何かあったのか?」
「“集会所”が襲われたの」
ノヴァの小柄な体が陰からするりと現れた。
「なぜ?」
「彼らはコリンさんのことを嗅ぎつけたらしいの。結婚式前の掃除とかいって、療養院に現れたのよ」
「アンナは?」
「彼女は、今は、大丈夫。でも、移動させないと危険。コリンさんはまだ、あんな状態だから」
コリンはようやく歩けるようになったばかりだった。体の調子は戻っても、魂はまだどこかにさまよっている状態だ。あの状態で襲われたら、されるがままだ。
「手を貸す。ほかの人たちはどうしている?」
「老師様たちは、けが人はいるけれど逃げのびたわ。彼ら、逃げることには慣れているから」
くすりとノヴァは笑う。
「護衛もついているからな」
彼がリード・ヴィオラであることを知らないふりをしてくれた人たちだ。無事であると聞いてほっとする。
「ノルヴァ、こんなところにいたのか」
そこへ屋根から一人の少女が飛んできた。黒ずくめのつなぎを着て顔半分を覆面で隠している。それでも女性とわかるくらいの抜群のスタイルだ。
「急げ。奴らの数が多い…、おっと、彼氏と会っていたのか」
女がにやりと笑う気配がした。
「こんな時に冗談はやめて」
ノヴァが目を怒らせる。
「リード、急いだほうがいいみたい」
ノヴァは走り始めた。相変わらず彼女の選ぶ道は障害物が多い。本当に忍者みたいだ。吉川だった部分がそう思う。
人目につかない場所を走ってきたからだろう。最後の最後まで評議会の兵隊に行き会うことはなかった。前方に彼らの影がちらつくとノヴァは道を変え、正面切って出会うことはなかった。
「ノヴァさん」
窓から侵入してきたノヴァの姿にアンナは驚いて立ち上がる。
「評議会軍が来るわ。急いで」
ノヴァはアンナをせかした。
リードが窓枠をまだ超えないうちに、アンナは持ち物をまとめ、袋に詰め込んでいた。
「コリンさん」
コリンは寝台に座って宙を見つめていた。
リードはコリンに手を貸して立ち上がらせた。
「行きましょう」
ノヴァが促す。
おぼつかない足取りで言われたとおりにのろのろと歩くコリンと移動するのは大変なことだった。焦る気持ちを抑えてようやく裏口に回ったところで、先を行くノヴァが下がるように手で合図した。
ノヴァの姿が消える。しばらくして何かが倒れる音がして、ノヴァが戻ってきた。
何をしてきたのかなどと聞くほど野暮なことはしない。
リードは倒れている人をアンナに見せないようにして、道を横切った。
「どこへ行けばいい?」
「しばらく隠れていられる場所に行きましょう。安全な場所に移るのはそれからよ」
確かに歩くのもおぼつかないコリンを連れてこの混乱した場から逃げるのは無理だ。ノヴァの案内した隠れ家は川のそばにある倉庫だった。
「それで、あれから何があったの?」
アンナがコリンの世話を焼いているのを横目で見ながらノヴァがきいてきた。
「ポーションはなかった。記録まで含めてすべて消された」
リードは重い口をひらく。
「ポーション自体なかったことにされたわけ?」
「いや、それは無理だ。多くの人たちがそこにポーションがあったことを知っている。彼らは、僕に責任を押し付けるつもりらしい」
「どういうこと?」
ノヴァが一泊呼吸を置いてから尋ねる。
「評議会の中で悪いうわさが流れている。僕が、評議会の物資の裏流しをしていたという噂だ。親衛隊の連中がそのことを調査しているらしい」
リードはあらましを話した。
「それって、具合の悪いことをあなたに押し付けようとしているということ?」
「ああ。今は結婚式前だから、公にはしていないけれど、おそらく……」
「逃げたほうがいいわ」
ノヴァがきっぱりと言い切った。
「それが本当なら、今が逃げるチャンスじゃない」
「それはそうなんだが……」
ノヴァの言うことは正しい。それはわかっていた。だが、リードには踏み切れない思いがある。逃亡すれば、命は救われるだろう。命だけは……
だけど、そのあとはどうなる。小さな声がささやきかける。今までリード・ヴィオラは守られてきた。“仲間”の絆の中で守られていると思っていた。逃げるということは、今までのすべてを捨て去るということだ。当然、“仲間”も……その保護の外にでたら、自分はどうなる。
今のリード・ヴィオラはゲームの世界のキャラクターの延長だ。ゲームがなければ、リードは表舞台に祭り上げられることもなく、“英雄”と呼ばれる存在になることもなかった。ただの貴族の三男坊だ。
その貴族という肩書すらなくなってしまったら? ただのリードは何者なのだろう?
リードのためらいをよそに、ノヴァは立ち上がる。
「リード、逃げることも考えておいて。わたしはコリンさんたちを逃がす準備をしてくる。あなたはここで彼らを守っておいてくれない?」
「ああ」
わかっているのだ。今やっていることは矛盾していると。彼が評議員であるならば、逆に評議会軍に協力するべきだ。今の行動は背信行為だ。リード・ヴィオラというキャラクターからは逸脱している。
でも、だからといってコリンを評議会軍に引き渡すことは彼にはできなかった。コリンは頭を薬でやられた病人だ。病人を執拗に追い回すなんて、おかしい。
そう、おかしいのだ。
リードは立ち上がった。
「リード様?」
アンナが彼を見上げる。
「リード様、あの、ごめんなさい。私たちのせいで迷惑をかけてしまって。私が“遺産”のことを口に出さなければ、リード様が巻き込まれることはなかったのに」
「それは関係ない。こうなるはずだったんだ」
評議会は彼をはめようとしている。コリンのことがなくても、いずれは追われていた可能性が高い。
「いいんです。私たちのことはほっておいてください。それよりも……」
「違うんだ」
リードはアンナとコリンを見た。
「彼らが追っているのは君たちじゃない。僕だ」
言葉に出して初めて実感した。評議会が追っているのはリードだ。表向きはコリンかもしれない。
でも、本当の標的は、リードだ。
見てはいけないものを見てしまったから。
評議会のどこまでが、あの工場のことを知っていたかはわからない。あれを運営していたのは、おそらく評議会内の一部の勢力だろう。評議会の中心メンバーのうちで知っていたものがいたかどうか。今も知らないもののほうが多いかもしれない。
だからといってあれは表に出てはいけないものだ。秩序を担う側である評議会が危ない薬の販売を作っていたということがばれたら、これまで積み上げてきたすべてが崩れてしまう。
見られたくないもの、知られたくないものをリードは暴いてしまった。だから、リードは追われている。
「むしろ、僕と一緒にいたら、君たちのほうが……」
ぐは、という人の声がしてリードもアンナも飛び上がった。
「誰だ」
あわてて、リードは窓の外をのぞく。
そこには壊れた窓枠と格闘している男の影があった。
「リード、おまえ、そこにいるのか」
男は壊れた燈明をいまいましそうに投げ捨てた。
「……兄上、そこで何をしているんですか」
「なにをって、お前を探していたに決まっているだろう」
クロードはどうにか苦労しながら、窓枠を乗り越えようとする。
「おまえ、いったい何を……お? お前はコリンだな。どこにいやがった。お前のせいで、俺は……」
アンヌがコリンをかばうように立ち上がった。リードはクロードを押しとどめようと立ち上がり……
その時、表の扉が遠慮がちにたたかれた。リードたちはびくりとして動きを止める。
ノヴァからの合図ではない。リードはアンナに隠れるように合図をした。
もう一度、扉がたたかれる。リードは兄と目を合わせた。クロードは、俺は知らないと首を振る。
リードはコリンたちが物陰に身を隠したのを確認してから、ゆっくりと扉に近づいて開けた。
扉の向こうにはジムがカンテラを掲げて立っていた。
無意識のうちに聖句を唱えていた。ノヴァに教わった隠蔽の呪を頭に思い浮かべる。空気の色が変わったような気がした。
ジムが初めての人を見るようにまじまじとリードを見つめている。
「リード、リードだよな」
ジムはいささか自信なさそうに声をかけてきた。
「ジム、どうしてここに来たんだ?」
そうリードが言うと、ジムはほっとしたような顔を見せた。
「いや、君が大変なことに巻き込まれていると聞いてね。探していたんだ。それにしても、いったいどうしたんだ? その恰好は?」
制服を着ていないから、変なのだろうか? リードは自分の格好を見直した。別に変なところはない。
「眼鏡はどうした? それに、その髪の色は?」
「眼鏡? ああ、あれは壊れた。髪の色? 何もしていないぞ」
リードはちらりと自分の前髪を確認した。いつもの、見慣れた焦げ茶色の髪だ。
「いや、光の加減かな? ずいぶんと印象が変わって見えた。それはともかく、見つかってよかった。ずっと探していたんだよ」
普段と変わらない明るい口調だった。リードはゆっくりと後ろに下がった。
「ジム、どうしてここに来たんだ?」
人探しのスキルを使ったのか。ジムのスキルを使えば、簡単にできたことだろう。特に、標的が決まっているときには。リードは消えた自分のスキルを思い出す。
「なぜ、ここにきた?」
「なぜって、心配だろ。ロンからおまえが厄介ごとに巻き込まれたという話を聞いたんだ。それで、このあたりにきたら、暴動だろう。びっくりしたよ」
「暴動、ね」
「リード、本当に見つけられてよかった。この辺りは混乱していて、君の軌跡が見つけにくくて。なぁ、ロンのところへ行こう。あそこなら、安全だ」
「ロンが、ロナルド王子が僕を探せと君に命じたのか?」
「そうだよ。リードと話がしたいといっていたんだ。もっと早く伝えようと思っていたのだけれど、君は昨日からどこかへ出かけていただろう? なかなか捕まえられなくてさ」
リードはその場を動かなかった。
「どうしたんだ? だれか、他にいるのか?」
ジムはスキルを使ったのだろうか、目が一瞬宙をさまよう。
「ああ。俺だよ、ジム」
奥からクロードがのそりと姿を現す。
「誰? クロード隊長? どうしたのです? なぜ、こんなところへ……」
「なぜって、こいつは俺の弟だからな」
クロードはリードの肩を押して下がらせる。
「いや、しかし、あなたは別の命令を受けていたのではありませんか? あなたがここにいるわけがない」
「評議会からの命令は何も来ていないぞ。少なくとも、直接の命令はな」クロードは鼻で笑った。「それよりも、お前は誰の命令でリードを探していたんだ? 親衛隊員としての任務なのか? 第二王子の尻穴をなめている連中の?」
「……ロナルド様を侮辱するつもりなのか? クロード隊長。あなたも評議会に忠誠を誓って、司令官になったのでしょう。それなのに、その主をののしるとは……」
「どの口をさげて、第二王子を主なんて言うんだ?」
クロードはリードのほうを振り返った。
「リード、こいつは嘘つきだ。こいつはなんといって俺に近づいたと思う? こいつはお前の部下だといって、俺のところに来たんだぞ。リード様の忠実な部下とか何とかいっていたな。俺が、お前のことをただの鼻たれにしか思っていないとわかると、評議会の任務とか何とかいって、俺にいろいろ吹き込んできやがった。欠勤しているコリンのことを探すように持ち掛けてきたのもこいつだぞ」
「確かに、評議会からの任務は伝えましたよ。でも、それを受けたのはあなただ。それも対価を要求してきた」
「ああ、小金になったからな。稼がせてもらったさ。でもな、家名に泥を塗るような行為を俺はやっていない。たとえそれが評議会の任務でも、な。それは、そこにいるチビも同じだろう」
ジムは相変わらず親衛隊の記章を身に着けていた。派手やかな親衛隊の外套も羽織った彼はどこからどうみても立派な指揮官だった。
「リード、クロード隊長は誤解している。彼は“仲間”じゃない。だから、僕らの話が理解できないんだ。ロンが君と話し合いたがっている。僕らは“仲間”だろう」
“仲間”だ。乙女ゲームのキャラクターに“転生”した“仲間”だった。楽しかった。“仲間”として行動することは。いままでの自分ではない自分として、注目されて中心にたって。舞い上がっていた。周りがどう思っているのか考えもせずに。
クロードは正しい。リードは世間知らずの阿呆だ。
「ジム」
言葉が続かなかった。
ジムのスキルはどこまで見えているのだろうか? アンヌとコリンのことを感知しているのか。リードはジムが彼らのことに気づいていないことを強く願う。
「刃物を突き付けておいて、話し合いか? それがお前たちの“仲間”のやり方なのか?
おまえらの薄っぺらな“仲間意識”なんぞ、血の絆に勝てるもんか。まぁ、もっとも、家なしのお前には一族の絆などわからないだろう」
ジムの表情が硬くなった。
「なんで、こいつに近づいたんだ? 馬鹿なこいつだとうまく利用できると思ったのか?自分にはヴィオラの家の後ろ盾があるとでも言いたかったのか? それとも、お人よしを踏み台にして地位が欲しかったのか?」
クロードはちらりとリードを見た。
「確かにこいつは生意気で小賢しくて、そのくせどうしようもなく世間知らずのあほだけどな、お前とつるむような奴じゃない」
奇妙な賛辞だった。
クロードの言葉は事実ではない。リードは実際につるんでいたし、それはクロードも知っていたはずだ。それがわかるから、リードの胸が痛い。ただクロードの言葉には全く皮肉な調子がなかった。どこか深いところで兄は弟のことを信頼している。
「ジム」リードは呼び掛けた。「どうしてだ」
ジムの青い目がリードの青い目と絡み合う。
ジムの背後でカンテラの炎が揺れている。人の気配を感じ取るのにスキルの力など必要なかった。
ジムがかすかに笑った。
彼はすべるような動きでリードに近づいてくる。
その場に及んでも、リードは動けなかった。まだ、どこかで絆を信じている部分があったのかもしれない。
「チビ、よけろ」
クロードがリードを突き飛ばすようにして割って入った。金属をはじく音がする。
「早くいけ。こいつらの標的はお前だ」
誰かが後ろからリードの腕をつかんだ。
「こちらに」
聞いたこともない声だった。目の前の扉からあふれるように青い外套を羽織った集団が押し入ってくる。
「兄上」
リードは引きずられるようにして、クロードが入ってきた窓枠から下に飛び降りた。窓の外は小さな波止場のようになっていた。明かりを消した小舟が横付けされており、半ば無理やりリードはその船に乗せられる。
「ちょっと、まだ、兄上が……コリンさんとアンナが……」
「人のことよりも、自分のことを心配したらどうだ」
あきれたような別の声がかけられる。
「船を出せ」
船頭が一かきすると小船は岸を離れて暗い川の流れにのった。
「コリンとその妹君は保護した。安心しなさい」
剣劇の音が聞こえないくらいの距離に来たことを確認してから、男は手にしていた灯りをともした。明かりに照らされた顔を見てリードは目を見張る。
「義兄上?」
姉の夫であるクレメンス伯はいつもの無表情な顔でリードの驚きを見つめていた。




