表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/110

19、エルフと奴隷の龍退治

 生まれついての奴隷だった。


 学習された無気力という言葉がある。過去の有名な実験から、無意味に罰を与えられ続けた人間が持つ独特の無気力を、学習された無気力と呼ぶようになった。その実験の内容とは、縛りつけた犬に電気ショックを与え続けるとどうなるかという内容なのだが、ここでは省略する。


 では、ユノ・ステファニエの周囲に対する態度が、学習された無気力であるかというと、それは異なる。


 ユノに奴隷商館に来る前までの記憶はない。

 きっと脳の記憶部位には刻まれているのだろうが、無意識にも意識にも、その影響は一切ない。


 秘められた過去はない。実はどこそこの王族の娘とか貴族の娘とかいうこともない。

 書類上は「かの貴族の妾の子」ということになっていたが、これは一人目の奴隷商人のついた嘘である。

 ユノの父親は普通の人族であり、ユノの母親は普通のフェアリーだ。二人が普通に街で出会い、普通に生殖行為をした。ただ一つ残念だったことがある。二人とも貧困層の人間だったのだ。


 奴隷商館の前には、時折子供が捨てられる。迷惑かといえばそうではなく、奴隷商人にとっては、レアな個体はそのまま育てるし、ゴミはさくっと殺せばいいので全く問題がない。


 ユノは、死ぬほど手のかかる時期や、殴っても言うことを聞かない時期を既に終わらせた子供だった。見た目と魔力の量も悪くない。即決でというわけではなかったが、考えて商人は、捨てられていたユノを商品とした。


 正当な元貴族だとか、魔力の量が尋常じゃないとか、そういった特別な価値を持たない人間にとって、生まれつき奴隷であるということがどういうことか。

 反抗の気力を削ぎ取られる、なんて贅沢なやりとりはない。

 主人に対する絶対服従を美徳とされ、それを骨の髄まで哲学として、

 目の前にある現実が覆されてはならず、

 考えず、逆らわず、できることしかせず、

 自分は、存在しない。


 もっとも、多少特別な価値を持っているくらいなら、引き取る主人次第で、属性を名札にしてペニスをしゃぶるか、死ぬまで魔物と戦うかしかなくなるのは確かだ。


 むしろユノには隣の奴隷との会話という、貴重な勉強の機会が与えられただけ、幸運だったのかもしれない。


「友達は大切にしなくちゃいけないものなんですよ」 友達とはどういうものかとか、


「こんなところに押し込められてしまってはのう。儂がいなくなっても、お嬢ちゃんは、元気でやりなさい」 他人を思う心とか、


 そして、竜の鳴き声。



 加藤の父親は某超有名大学を卒業し、そのまま同じ大学の院に入り、その後医薬系の企業で雇われ研究者をやるようになった人間だ。加藤の母親は、優しい人で、息子の目から正確に見るのは難しいが、そこそこの綺麗どころだったはず。

 この幸せな二人には、五体満足の子供に囲まれた、幸せな家庭が用意されているはずだった。


 なぜ二人目を作らないのだろう。加藤は何度も疑問に思った。

 加藤の父親の年収が、少ないようには思われなかった。業界のことなどさっぱりわからないが、断片的な情報だけ聞いても、簡単なことをやっているようには思えない。それでは、夫婦仲が悪かったのだろうか。でも、ニコニコしながら弁当を渡す母親の姿を、どう見間違えることができようか。


 聞くところによると、幼いころは、「加藤の持病は成長とともに落ち着くのではないか」といわれていたらしい。母親がぽろっと漏らしたことだ。完全に沈静化するかどうかはともかく、多少は軽快するのではないか、とも。

 そうお医者さんに言われたこともあったなあ、と回想する彼女の苦笑いは、今でも覚えている。


 二人目を作るにあたってお前が邪魔だ、と言われたことは一度もない。

 けれど、たった一回だけ漏れ出た、彼女の不満(加藤にはそう聞こえた)。

 加藤一拠がひとまずの答えを出すには充分だった。


 俺は邪魔だったのだ。


 邪魔なはずの自分が愛されているという自覚はあった。

 そもそも子供に関しては、別に問題はない。それでも子供を作ろう、とすれば作れたわけで、それをしなかったのは彼女たちの選択だ。

 こちらの状況に関わらず、母親も父親も優しくて、たまに厳しくて、健全な愛情を渡してくれて、それはきっと何か返しきれないものだったのだろう。


「……そんな体に産んでしまってごめんね」


 では、何かを返さなくちゃいけなかったはずのこの言葉には、何を返せばよかったのか。



「方針を三つ、再確認する」


 朝食を終えた宿の部屋で、ルトナはユノに向かい合った。

 ユノは一言で相槌を打つ。


 魔力大龍の気配はより色濃くなっていた。

 この様子だと、おそらく今日の遅めの昼に発現すると思われる。日が落ちてから、ということはなさそうだ。

 引き続き注視をする必要はあろうが、「存在しつつある」感覚がわかるにも関わらず、「存在する」ようになったときの感覚がわからないとは思えず、多少予定が変わっても、その後合わせれば問題がない。


「一つ目、勝てそうなら殺す。その際途中でやられそうになったら逃げる。

二つ目、勝てなさそうだが攻撃が通用しそうなら一撃強めなものを入れて逃げる。その際は、それがヤバイのがいることの合図になるようにする。街まで届くような魔法で。意味あるか知らないけどね。

三つ目、勝てそうになく攻撃が通用しそうにないなら手を出さずに逃げる」


「はい。承知しております」


「復唱してみて」


「いち、勝てそうなら殺す。に、勝てなさそうだが攻撃が効きそうならご主人様が派手なものを一つ入れて逃げる。さん、全く勝てなさそうなら手を出さずに逃げる」


 問題はない。ルトナはユノの頭を撫でた。



 誰かに応援を頼むという選択肢はない。

 ルトナにはそのための伝手も信用も一切ないためだ。

 ルトナを気に入る領主も、意味不明なタイミングで魔物に襲われていたところを助けた商人も、何故か出張ってくるギルドマスターもいない。

 ピコとイザニやアコルテとは仲良くやっているつもりであるが、だったらどうだというのか。


 魔力大龍が出る!!!!! 皆逃げろ!!!!!!

 誰が従うのか。


 それは流石にやらないとしても、精一杯努力してうまく動いて、うまくやれるところにうまく頼み込んで……。無理だ。

 十三日は短い。本格的に今の状態から誰かに協力を取り付けるように動くには、あと五倍はよこしてほしい。あのアナウンスを見た瞬間に電撃的な速度で、倒すことしか考えないように思考を切り替えた。


(問題はねーはずだ。獣型魔力大龍は、俺一人に加えて、もう一人誰か、一線級の冒険者がいたら完勝できてたと思う。それが少し「怨念」で強くなったところで、この街全部を壊滅させるようなものにはならないはずだ)


 仮にこの街が滅んでも、それはルトナに二週間しか与えなかった「アナウンス」が悪い。


(とりあえず派手な攻撃をぶちかませばヤベエのが出たって気付く奴もいるだろう。それを見たら避難くらいはできるはず。それで義理は果たしてる)


 ルトナがこの場でこの魔力大龍に勝つことより、優先されるべきは神から託された黒幕の撃破だ。

 後は、守りたいものを自分の手で守りたいという程度で、しかもルトナが死ねばそれもできなくなる。



 二人は、毎日行っている鍛錬を、双子星の宿の中庭で行った。


 ルトナは両手の五本の指から、ともしびのような炎を連続して出す。炎は空気に触れるとすぐに消える。まあまあ魔力を使う行為で、集中力も鍛えられている感じがある。火属性魔法使いの王道的な練習法らしい。半日で魔力が回復する程度に抑えつつ、行う。


(言うまでもないことだけど、俺が死んだら代わりが投入されるんだろうな)


 追加で、精神統一をするみたいに、空気を高温にする魔法攻撃(ヴァインシュタインに試みたもの)を練習しながら、ルトナは思った。


 ルトナ一人しかこの世界に神による転生者がいない(とのことな)のは、神のリソースを一定以上この世界につぎ込む行為が危険であるからだ(とのこと)。ルトナが死ねばそれを回収して、優先度が一つずれた別の人間に任せるだけだろう。


(でも、もう死ぬのは嫌だ)


 ユノが、鍛錬が終わった後治療所への用事を済ませたいと言うので、急ぐように言った。

 最初に襲撃した冒険者がつけていた防具を、ユノと一緒に買いに行く必要があるためだ。


 そして、二人の二つの用事が済めばあとは、待機する。



 最も濃密に魔力が集まっている場所は、街から、徒歩で数十分といったところか。

 ルトナがユノを腕に抱いて走ると、十分程度で到着した。


 街は地平線からこちら側に少しだけ小さくなって見える。小さくなってと言いつつ、これだけ離れてもまだまだ大きい。この世界の地平線がどれだけの距離かはわからないが、ルトナが知らないだけで、あの街は、巨大な街……あるいは都市なのだろう。


(そういや、俺、あの街のこともよく知らないな。名前さえ知らねえ)


 ここは草原だ。ただ、アースイーターと戦った場所――ルトナの背丈くらいの木(というか多年草植物?)が点在していた場所――と違って、ここで点在しているのは、巨大な樹木だ。

 そういう植生なのか、街の誰かが植えたのか、かつて森だった場所がちょっとずつ移動しつつあるのか。


(脈動してるな……)


 ルトナには見える。黒い魔力、煤のような色をした魔力残滓が、夕焼けで赤くなりつつある空を、覆い尽くしている。

 それが、ちょっとずつ集まっている。集まった集合体が、鼓動のようにというよりはむしろ、呼吸をするようなペースで脈打っている。


「ユノ。そろそろだ」


 新しく購入した魔力耐性のある防具をつけたユノは、小さく返事をした。防具はローブというかポンチョというかマントというかコートのようなもので、動きを阻害しない、前衛士と魔法使い兼用のものだ。服の上につけた、体の部位を部分的を覆う防具の上に、魔法耐性の防具を羽織らせた。

 肩が小さく震えている。武者震いなのか、怯えているのかは、付き合いがまだ短いルトナには判別がつかない。うまく隠しているようにも見えた。

 防具はそれなりの値段がした。多少妥協したにも関わらず、貯金が全て吹き飛んだ。

 今の状況で金のことなんて気にする意味はゼロなので、全く問題はないが。


(……)


 ルトナは二秒だけ思い悩んだ。


 信用もなく、交渉のカードもない。その上、誰が味方で誰が敵かもわからない。そんな状態であと13日と言われたために、自分達は自分達だけを強化する選択肢を選んだ。

 だが、この選択肢は、合っていたのだろうか。

 本当は、泣き叫んででも、誰かに助けを求めて回らなければいけなかったのではないか。


 チェリネの話に出てきた教会、アコルテ経由で冒険者ギルド、ピコやイザニ経由で商人、……数えればキリがない。


(考えるのは無駄だ。こうして、もう目の前だ)


 ルトナは、目を閉じて考えを振り払い、前を向いた。

 モヤのような魔力……「魔力残滓」が、臨界点を超えたかのように、一気に集合していく。



 ルトナの眼球には、「アナウンス」が映る。

 視界に文字など見えず、特に魔法感応力がずば抜けて高いわけでもないユノでさえ、その存在感に身を震わせる。


 全く飾り気のない書体で、「アナウンス」は叫ぶ。


 魔力大龍発生

 まで

 残り、


 3、


 2、


 1。



 冥府魚 型

 魔 力 大 龍



 太陽が消えた。

 大きな影によって覆い尽くされたのだ。地面に、夕暮れもあいまって、おぞましい色彩の歪んだ巨大な影が映し出される。大きさは、ちょっとした建物をゆうに超えるくらいのスケールだ。魔力のオーラなど見るまでもない。濃厚なものが、空を雲のように覆っているはずだ。


 影からは触手が伸びている。頭部のようなものから伸びている。

 冥府の魚……前の世界に、悪魔の魚と呼称されていた生物がいた。こちらでも、場所は変わっても同じような呼ばれ方をしているのだろうか。頭部のようなものから伸びる無数の足。目前の魔力大龍は、「悪魔の魚」、蛸を象っている。


 蛸は映像で見れば可愛らしい。だが、超巨大になったなら、怪物以外の何物でもありえない。一本一本の触手が、クレーン車のクレーンより太く長い。頭はその影からしか見えない。空を回遊するように泳ぎ、体から吹き上がる黒い煙が外気に触れるとびしゃびしゃと魔力の水に変換されて、通り道には、河のような水たまりが生まれる。


 獣型魔力大龍はまだ魔物の範疇だったが、これは――


「なるほど……二体目からはこうなるのか……」


 強い魔物では済まない。言わば、生まれたばかりの災害だ。

 力のスケールで考えればきっと、「芋虫の魔力大龍」も「二体目」だったのだろう。


炎魔弾ファイアボルト!」


 呆けている場合ではない。

 完全に姿を構成し切るより先手を打って、ルトナは攻撃魔法を叩き込んだ。

 ユノも、ルトナからつかず離れずの位置に待機し、発生しうる事態に応じて支援の準備をする。


 宣戦布告の攻撃を触手を重ねて受け止めた魔力大龍が、金切り声のような吠え声を轟かせる。

 戦いが始まった。



 ――産んでしまってごめんねという声が、脳に取り憑いて離れない。



 炎魔弾はルトナの牽制技だ。スキル化されていない状況におけるただの火球を、より密度が高い形で高速回転する砲弾として練り上げ、弾速や威力を増やしている。火力も上がっている。

 だが、魔力大龍は初撃以降を許さなかった。


「ご主人様!」


 ヴァインシュタインと同じだ。魔力大龍は、水の魔力の障壁で、ルトナの攻撃を全て撃ち落とす。

 自分で作ったスキルである炎魔弾は、生半可なものであれば貫通できるだけの熱量を持つつもりだったが、やはり水との相性は悪いのだろうか、それとも計測できずにわからないだけで、大した火力になっていないのかもしれない。


「見りゃわかる! ……対応するぞ」


 チェリネの言葉を思い出す。先日、魔力大龍対策について知恵を買い取った時の言葉だ。



「水魔力の障壁対策ですか? 専門じゃなくてもよければ。……まず、火に質量をもたせることですね。溶岩を射出する魔法があります。スキルにはなってないんですが、高速で大火力をぶつけて突破するのが一番簡単だと思いますよ」


「それは試したけど無理だった」


「はぁ? と言ってやりたいところですが、イメージ力ばっかりは仕方ないです。では次善の策。こっちはスキルになっている。ご存知とは思いますが、スキルになっている魔法は、スキル名を口に出すことで、より簡単に発動することができます。ダリチェやカグロみたいにね。別に難しい技能じゃないので、火属性魔法の最低限の素養があれば、言葉にするだけで問題ありません」


「ふんふん」


「要は、水の障壁には対策用の火の魔法があって、名前を口に出せば発動できます」


 魔法の名前は――



「“グラ・ガニエル”」


 呟くように唱えると、ルトナが掲げる手から、バーナーのような火が吹き上がる。距離にして一キロはあるはずの魔力大龍まで、火の形をした殺意は食らいつく。

 アースイーターを屠った時の火炎放射と似ているが、あの時と違うのは火の火力と勢いだ。放射されるというよりは、噴出するような炎。風圧があり、純粋に高温な、水魔法対策のために、いつか誰かが作った魔法。


 目論見通り、ルトナの魔法は、魔力大龍が半端に発動した水の障壁を、一瞬拮抗した後に、溶かすように突破した。風圧で退けたのか、火力が上回ったのかはわからないが、障壁をぶち破った。

 だが、向こうもただで食らうつもりはないようだ。突破されたと同時に、空を泳ぐように攻撃から逃れる。どちゃどちゃどちゃ、と、龍の体から滴る魔力の水が音を立てて着地した。


 うまく当てる方法が必要だ。


(あちらもこっちを殺す気でいてくれているらしいのが救いだな)


 逃げる様子はない。そして、反撃の水の弾丸も飛んでくる。それは非常に助かることだ。一つ一つを丁寧にかわして、時にユノをかばう。


(後は当てりゃあいいんだ、が……)


 グラ・ガニエルは、魔力の消費が多くはないが少なくもなく、ただの火球と違って、無制限に打てるものではない。


 ルトナは黄昏色に染まった空を睨みつけながら、どう布石を配置し本命を当てるか考えだした。



 かつての世界に置いてきたものはそう多くない。


 ましてや、念願の、エルフと仲良くなれる世界に来れたのだ。


 多少世話になったとはいえ数度話したくらいのクラスの連中とか、これは少し残念だが今さら愛読していた異世界小説の続きとか、エロ画像だらけだがきっと父親が中を見ずに処分してくれるハードディスクの行く末とか、なんで気にする必要がある?


 けれど、置いてきたものはある。

 こうして一度なくなった命を削る中で、一つだけ気がかりなことが確かにある。



 カバーしきれず、ユノが一撃を貰った。

 不意に打たれたものではないため、しっかり防御していたようだが、十メートルほど吹っ飛ぶ。取れるのか取れてないのかよくわからない素人の受け身で、軽い体がごろごろと転がった。


 ……忘れていた。というか、作戦立案の際の指示の出し方が悪かった。治療魔法のための魔力を温存するため、基本は魔法を使うなと指示したのはルトナだ。だが、魔法を使わずに攻撃を食らって、怪我を回復するための魔力を消費しては意味がない。


「キュレア以下の消費で魔法を防げそうなら防いで!」


 言うだけ言って、また正面に向き直る。

 魔力大龍の魔法攻撃は勢いづいてきて、水の弾丸の弾幕のようなものが前面に展開されていた。

 何の皮肉か、獣型魔力大龍にルトナが行った飽和攻撃を、今度は冥府魚型魔力大龍がルトナに対して行っている。

 ルトナはそれに対して、火球で応戦する。


 対処は難しい。一つ一つはなんとかなっているが、単純に物量が多すぎる。

 明らかに量が異常だ。個人でどうにかなるレベルじゃない。魔力大龍の魔力も尽きる様子はないし、こんなものにまともに対処していては、五分もあればルトナの集中力と魔力は蒸発するだろう。


(……生まれたばかりの魔力大龍だから……ひょっとして強くなってんのか? もっともっと、強くなるのか? 自分の魔力の使い方を、ひょっとして、学習してんのか?)


 獣型魔力大龍は、「発生まで」のアナウンスがなかった。

 生まれてからずいぶん経つ魔力大龍だった可能性がある。

 そして、この魔力大龍が、生まれたばかりゆえに、これからどんどんと強くなるのなら。


 ユノの魔力を真後ろに感じる。

 後ろに回した片手でユノに合図をして、「了解です」という返事を受け取る(水が蒸発する音でほとんど聞こえないが)。


 一呼吸おいたあと、初老の冒険者がやっていたように、純粋な魔力で水の弾丸の軌道を纏めてそらし、少しだけ余裕を作り、ユノを掻き抱いて飛び退いた。



 結局、加藤の両親は加藤の死をどう思ったのだろうか。

 やっぱり邪魔な人間が死んでせいせいしただろうか。これで新しい代わりを仕込める、と。

 でも、これから生まれるかもしれない弟か妹は、加藤の血を継いでしまわないだろうか。


 そもそも、「神」の話しぶりだと肉体が残っていたような話し方だったが、本当にちゃんと残っているのだろうか。自分の母親は、ふと買い物のため目を離した子供が行方不明になってしまったまま、宙ぶらりんになったりしていないだろうか。


 すぐに立ち直って欲しいとは思う。けれど、悲しみなんて微塵も感じず、次の人生に足を踏み出されるのも嫌だった。そんな自分の幼稚さがどうしようもない。なぜ、死んだ後からも迷惑をかけようなんて思わなくちゃいけない。クソッタレすぎる。


 こうして異世界に来てしまった以上、両親の、自分の死に対する反応は、見ないほうがいいに決まっていて、だから見なかったけれど、見ないぶんだけ気になって、だからきっと見ないほうがよかったのだろう。



 なんでもない一歩で十メートルは飛んでいる。朝の基礎トレーニングで、ルトナの体のスペックは春の植物のようにすくすくと育った。

 ユノを自分の背中にしがみつかせたまま、足をうまく使って、魔力大龍の猛攻撃に捕まらないように努力する。


 魔法だけだとただかわされるだけだと理解したのか、魔力大龍は、触手による打撃と触手から出す水魔法の弾丸を、織り交ぜるようにして攻撃してくるようになった。

 だが、常に動けていれば問題がない範囲だ。戦場にいるみたいに、地形が衝撃と水で次々に変わっていくが、常に動けていれば問題がない。少なくとも、今は。


 そして、グラ・ガニエルの直撃を狙う。


「……! 貰った!!! “グラ・ガニエル”!」


 魔力が一瞬途切れた。魔力大龍でも息切れを起こすようだ。

 その瞬間にルトナは、クラウチングスタートのように身を沈めてから、一呼吸で魔力大龍の至近に潜り込んで、攻撃した。


「うぁっ、ご主人様、はやいですっ」


 ユノが遅れて苦痛を表明する。振り落とされないように必死だ。


 ユノのことはともかく、グラ・ガニエルは確かに魔力大龍の巨体を致命的に焼いた。目視できる。すぐに漆黒に飲まれていて見づらいが、たしかに魔力大龍には風穴が開いている。


 だが、


(こんなんでトドメになるはずがねえ。追撃を……!! せめて墜ちてくれたら助かるんだが……!)


 ルトナのグラ・ガニエルは、対人ならレーザー砲のような強烈な攻撃であろうものの、空高く浮かぶ魔力大龍の巨大な体に対して、一撃必殺にはなりえない。

 だから、二撃目を――――


「ッ――――!?!?!?!?!?!?」


 ドクン、という強大な悪寒。鼓動を自分の心臓の音と錯覚するほどの、莫大な魔力の胎動。


 ルトナはほとんど四つん這いになって這い出すようにして必死に間合いを取った。距離を、稼いだ。


 恐怖で荒くなった息を整えながら、ルトナは後悔した。


(……本当はインファイトを続けなくちゃいけなかったんだろうが、体が勝手にやっちまった……)


 今さら遅い。

 魔力大龍は、蠢き、形を変えつつある。


 変形中に攻撃をしたら効いたりしないだろうか。……不用意に近づいて死ぬ未来しか見えない。


「ずいぶんと速いね。追い詰めてるようには見えないのに……」


 おそらく、足元からのグラ・ガニエルは確かな攻撃力があったのだろう。それが、一撃で致命的になるものではなく、かえって魔力大龍を本気にさせるだけのものだったのが、ルトナにとっての不幸だ。


「あれは、……いったいなんですか、ご主人様」


 おぞましいものを見たように、苦い声をあげるユノ。


 ぎちぎちと音を立てて、頭部分の上半分が割れ、中から、下から生える脚と同量の触手が這い出てくる。

 くわえて、細長い触手が二本ずつ、上と下から合計四本出現した。……細長いのではない。距離が遠いから細いように見えるだけで、実際は……。

 シルエットは、猛毒のクラゲ、カツオノエボシを上下に鏡合わせにしたようなものだ。魔力の目で見ると、その先から空間中の魔力を吸収している。獣型魔力大龍が持っていたものと同じ、魔力のアンテナだ。

 全身が、魔力を受け取って、断続的にドクンドクンと胎動する。霧のような魔力が時折オーラのように蒸発している。


(なんですかっていわれても困る。ヤベエな、正気が削れそうだ。明らかに蛸じゃねえ。ひょっとしてこっちの世界の蛸はこうなるのか? クリオネかよ。一言でいえば、SFなんかに出てくる、生体コンピューターとかっぽいか?)


 形の変化だけにとどまらない。滝のように流れ落ちる雨のような霧のような波のような魔力の水が、周囲に河のような水たまりを形成している。あの水はどこまでもたらされるものだろうか。この辺り一体が水没するのか。森は自然のダムだ、などというが、自然の排水能力は、魔法の洪水を適切に処理できるのか。

 ルトナ自身への影響もどうなるかわからない。戦況は確実に不利になる。泥に足を取られるようになってからでは、まともな戦いにならないはずだ。


 ユノの言葉には、悩んだ末に答えを返した。


「第二形態って奴」


 魔力大龍は、じゅぷじゅぷと湿った水の音と金属音に似た不快な音が、合わさった、二度目の生誕の産声を盛大に挙げた。

 轟音だ。音が音だけで水面に波紋を作る。


「……ご主人様」


 ユノが、自分の肩をぎゅっと掴んでいる。

 ルトナは、自分の脚が硬直しているのを感じた。

 ヴァインシュタインと相対したときと同じ感覚だ。圧倒的な力の差を、たしかに感じる。


 それでも、――それでも。



 力関係の差(人間関係における)は、負い目とも言い換えられる。


 サラリーマンと専業主婦、キャリアウーマンとヒモ、金持ち中年と援交少女、企業と転職不可能な従業員、友達がたくさんいる人と孤独な人の間の友情、健康な人間とそうでない人間の間の友情。


 こういった力の差がある関係が、すべて健全ではありえないのと同じ話で――負い目のある関係も、健全な関係ではありえない。

 命を救ってあげた相手とか、命を救ってもらった相手とか、……いや、こういうのはいい。恩による負い目はまだいいのだ。返そうとすれば返せる。


 罪としての負い目は、絶対に返せない。奴隷生活からすくい上げたとか、殺しかけたとか、実際に殺したとか、友達を殺しかけたとか、友達を殺したとか……。


 どちらかがどちらかに返しきれない借りがあって、どちらかがどちらかに返しきれない貸しがあって。その状況は健全じゃない。間違っている。


 でも、だったら。


 借りなんて、いらなかった。

 負い目なんて、いらなかった。


 あんな体、いらなかった。


 生まれつき望んだわけじゃなく、遺伝子の配列とか運とかめぐり合わせが、加藤一拠に、どうしようもない関係性を強要した。

 父親と母親に、無限の迷惑をかけた。そして、加藤は、父親と母親から、無限の迷惑を被った。


 そして、あげくのはてに、その相手から与えられた言葉はこれだ。

 「そんな体に産んでしまってごめんね」。

 気にしないでくれなんて言ってやる根性はなかった。事実として、加藤をこの体に産んだのは母親(と父親)だ。生んでくれてありがとうなんて言う元気もなかった。加藤の人生は、ファンタジーの物語のみを除けば、ほとんど、生きているだけの人生だ。


 這うように学校に出席し、消耗してくたばりかけながら帰宅して飯を食べて。唯一取れる人生の戦略だったから、日々の学校の勉強だけはなんとかこなして。他に何か取り柄があるわけでもない。なんだよそれ。自分で笑ってしまう。何の取り柄もなく、学校の勉強しかできない。それは、文字だけ追えばいかにもどうしようもない奴だ。でも、自分は自分なりに努力していて、家族だって望んで加藤の体をこうしたわけなんてあるわけなくて、だから責める相手が……責める相手が。


 けれど、加藤にはこうして機会が与えられた。

 今の加藤はルトナであって、肉体的な枷は特にない。


 戦う手段がある人間が、戦わないことが許されるのか。

 戦えるのなら、戦う。


「戦う」


「戦う!」


「俺は、戦うぞ!!」


 戦って、戦って、戦って、……。


「そうやって、二度と誰にも悲しい顔なんてさせねーんだよ!!」


 高校の卒業式を見せてやれなかった。大学の入学式を見せてやれなかった。恋人の一人も連れてこれなかった。社会人としてのスーツ姿を見せてやれなかった。そのための努力だってできなかった。

 挙げ句の果てに、あんなにも申し訳無さそうな顔をさせてしまった。

 それは悪いことではない。戦えない人間が戦えないことを、誰が責められようか。

 でも、今は戦える。

 世界に対して抵抗を振りかざせる。

 戦う手段を得た人間が、戦わないことが許されるのか。


「走っても死ななくなった俺に、ちょっと手がたくさんあるくらいで勝てると思うな! 私は戦うんだよ! 最後まで!!」


 今こそ、戦いを。

 やれることは全てやる、血をすべて吐き出すような闘争を!


「俺の周りの人間は、一人残らず、俺が守る!! 誰にも寂しい顔だって悲しい顔だってさせねえんだよおおおッ――――!!」


 叫んで、一つ踏み込んだ。



 激化した魔力大龍の攻撃を、ルトナは対処する。

 一歩一歩地面を踏み砕いて、一つ一つの攻撃を捌き、懐に入っていく。


 追いかける向こうにある空の色は、赤色から宵闇の色に変わりつつある。星が出る時間だ。


 迫りくる触手は、火球では撃ち落とせなかったのでわからなかったが、炎魔弾ファイアボルトなら撃ち落とせる。そしてその撃ち落としは相手の体に対するダメージになる。魔力を使いすぎるわけにはいかないが、それでも水魔法と物理攻撃の入り混じった攻撃と、やりあえている。

 その合間を縫って、グラ・ガニエルを何発か直撃させた。

 戦況は五分だ。あるいは……こちらの有利だ。


 今は。


「ご主人様、まだ、まだ強くなるのですか、攻撃は!?」


 黙って頷いた。背負っているユノとの意思疎通は容易に行える。


 少しずつ、魔力大龍の魔法攻撃が力強くなっているのを感じる。弾幕は波となり、波は潮流となって、徐々に魔力大龍の攻撃が強くなっている。

 魔力大龍は遅まきながら学習したようで、現在浮上の高度を高めに保っている。ルトナの攻撃は熱であり、高空に位置を取られると距離で減衰してしまう。そして、魔力大龍の攻撃は液体の質量だ。向こうは、高所ならむしろ攻撃の威力が加速する。

 これ以上高く上がらないのには何か理由があるのだと考えられるが、さらに高く上がられるとどうなるか、あるいはこの高度のまま逃避行動をとられるとどうなるのか。


 決着をつけよう。その単語が、ルトナの脳裏をよぎった。

 この状況では、それしかない。


 奇しくも獣型魔力大龍と同じような結末への流れになりそうだ。ルトナは思った。

 ユノという仲間は、状況を変えるのだろうか。あの時と違った結末に到れるだろうか。


 ……知ったことかよ。


 迷いはもう捨てている。

 それしかないのなら、それをやるだけだ。

 次の一撃で消し飛ばす。


 炎魔弾をいくつかばら撒くようにぶち当てて、牽制とする。そして、それを布石として打つ次弾は、


 新しく習得した属性の魔法。


 魔力を束ねて、縄のように練り上げる。魔力の縄は、自在に動くしなやかな樹木の枝として姿を表した。

 不意を打たれたのか、それとも対応手段がないのか。いくつかの急ごしらえの水の障壁をぶち破って、爆発的に成長した木々が冥府魚型魔力大龍の姿を捉える。縛り上げる。


 チェリネに教わったはずの地属性無詠唱魔法を習得したつもりが、習得できたのは植物を操る魔法だった。

 木属性魔法か、じゅ属性魔法とでも言うのだろうか。

 これでルトナも二重属性デュアルスペリングとやらの仲間入りだ。


 木々が、魔力大龍の動きを物理的に、完全に封じ込む。


「ユノ、頼む!」


「はい!!」


 三歩踏み込んで、ルトナは全力で跳躍した。


 高度がまだはるかに足りない。これでは一撃でトドメになるかはわからない。ルトナの身体能力の現時点での限界だった。

 けれど――


 ユノが、フェアリーの羽を発動させる。背中に抱きつくユノの、その体が急激に軽くなり、浮力を伴った。

 巨大な、光にきらめく羽が、足りない分の高度ぶん、ルトナを押し上げる。強い浮力とその慣性によって二人は一回転、その回転の勢いのまま、ユノがルトナを放り投げて、高度は必要なぶんまで完成する。


 魔力大龍の、至近に。

 そしてゼロ距離からほぼ全ての魔力を込め、スキルを発動させた。


大魔力炎嵐ファイアストーム過剰疾走オーバードライブ――!!!!!!」


 瞬間、スキルとして完成したルトナの火炎放射が、地平線の向こうまで、炎の嵐で埋め尽くした。



(微かに残って、浮かんでるあの魔力大龍の残骸は、「次」にまた、別の魔力大龍に合流して、俺達を襲う……)


(つまり、「今回」は、俺達の勝ちだ)


 空から落ちながら、ルトナは、散開していく魔力と、「アナウンス」を見た。


 冥府魚型魔力大龍 撃破

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ