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第十六話 初めての値段

 見張りの合図は、いつもより少し早かった。


「……来る」


 短い声だったが、それだけで十分だった。


 カインがすぐに反応する。壁に立てかけてあった槍を取り、そのまま村の入口へ向かった。以前より動きに迷いはない。だが、完全に慣れているわけでもなかった。肩にはまだ少しだけ力が入っている。


 クロノも後を追う。


 ミリアは板を抱えたまま立ち上がり、加工小屋を振り返った。


「毛皮、出せる分だけ前に。牙は分けておいて」


 声を飛ばすと、村人たちがすぐに動き始める。


 以前のような慌ただしさではない。決められた流れの中で、それぞれが自分の役割を動かしていた。


 ルナは少し遅れて歩き出した。視線は村の外へ向いている。


 森の先。道の先。


 やがて、人影が見えた。


 荷車を引いた男が一人。見覚えのある顔だった。


「……お久しぶりでございます」


 トマスは荷車を止め、周囲を見回した。


 前に来た時とは明らかに違う。干し台は整理され、水路も崩れていない。作業している村人たちも、こちらを見て固まることなく動き続けていた。


 そして、視線が止まる。


 ルナ。


 少し離れた場所に立っているだけなのに、空気が違う。


 トマスは一瞬だけ目を細めた。


「……これは、驚きましたな」


「少しね」


 クロノが穏やかに答える。


 距離を詰める。だが、お互い不用意には近づかない。


 カインが半歩前へ出た。完全に前へ出るわけではない。クロノより少し前。その立ち位置が、今の役割だった。


「本日は、どのような品を?」


 トマスが言う。声は丁寧だが、値踏みするような視線は隠していない。


 ミリアが前に出た。


「毛皮と、魔物素材です」


 簡潔な返答。


 トマスは荷車の横で腕を組んだ。


「前回お持ち込み頂いた状態であれば、この価格かと存じます」


 提示された額は低かった。


 あえてだ。反応を見ている。


 カインの眉がぴくりと動く。


「……随分安く見てるな」


 低い声だった。


 トマスは軽く肩をすくめる。


「前回の状態では、正直商品として扱うのが難しゅうございましたので」


 事実だった。


 前の毛皮は売り物としては質が低い。血が残り、脂が浮き、乾燥も甘かった。


 ミリアは何も言わず、そのまま毛皮を差し出した。


 トマスが受け取り、広げる。


 その手が止まった。


「……軽いですね」


 指で撫でる。油のぬめりが、ほとんど残っていない。鼻を近づけても、嫌な臭いが薄い。


「……処理を変えられましたか」


「はい」


 ミリアは短く答える。


 トマスはもう一枚確認した。


 状態が揃っている。ばらつきが少ない。前回とは明らかに違っていた。


「前回は正直、商品とは言えませんでした」


 言葉を選びながら続ける。


「ですが、今回は話が別でございます」


 もう一度、毛皮を撫でた。


「十分に商品として成立しております」


 カインが小さく息を吐く。


「……こんな変わるもんかよ」


 思わず漏れた声だった。


 ミリアは表情を変えない。


「確認して、直して、繰り返したので」


 淡々とした口調だったが、自信はあった。


 トマスは少しだけ苦笑する。


「品質向上は素晴らしいことでございます。ですが、価格となりますと別問題でして」


 ミリアが板を見せた。


「この量、この品質なら成立します」


 数字で押す。


 感情ではなく、条件で詰める。


 トマスは黙り込んだ。


 運搬費。売値。利益。そして継続性。


 頭の中で計算している。


 そこでクロノが口を開いた。


「今回は、その価格でいいよ」


 ミリアが一瞬だけ視線を向ける。カインも眉をひそめた。


「ただし」


 クロノは続ける。


「次も来てもらう」


 トマスの目が細くなる。


「……継続取引、でございますか」


「うん。こっちも安定するし、そっちも仕入れが楽になる」


 少しの沈黙の後、トマスは小さく息を吐いた。


「……承知致しました」


 成立だった。


 空気がわずかに緩む。だが完全ではない。


 カインがぼそりと言う。


「……安くねえか?」


 クロノは小さく笑った。


「そうだね」


 少しだけ間を置く。


「でも、繋がった」


 カインは何も言わなかった。


 荷の受け渡しが始まる。村人たちが素材を運び、トマスが状態を確認していく。


 その間、ルナは少し離れた場所でトマスを見ていた。観察するように。


「……外から来たのか」


 ぽつりと言う。


 トマスが振り向いた。


「ええ。この村より南側から参りました」


 少しだけ言葉を選んで答える。


「どれくらい広い」


 一瞬、トマスが言葉に詰まった。


 想定していない質問だった。


「……広うございますな。この辺りとは比べ物になりません」


 ルナは黙る。


 視線が、道の先へ向いた。


「……知らない」


 小さな声だった。


 クロノが横に立つ。


「気になる?」


 少しの間。


「分からない。でも、気になる」


 トマスは、そのやり取りを静かに見ていた。


 そして、ぽつりと漏らす。


「……龍人、でございますか」


 ほんのわずかに空気が変わる。


 嫌悪ではない。だが、距離を測るような目だった。


 ルナは何も言わない。ただ静かに見返す。


 慣れている。


 そういう目を向けられることに。


 クロノが自然に口を開いた。


「他にも持っていけるものがあるよ」


 流れを切り替える。空気を止めない。


 トマスも、それ以上は触れなかった。


「次回は、もう少し数量を揃えて頂けますと、こちらとしても動きやすくなります」


「準備するよ」


 クロノが答える。


 荷車が動き出す。道を引き返していく車輪の音が、少しずつ遠ざかっていった。


 やがて村に静けさが戻る。


 カインが腕を組み、大きく息を吐く。


「……なんか、変な感じだな」


「何が?」


 クロノが聞く。


「戦ってねえのに、疲れた」


 ミリアも小さく息を吐く。


「同じ」


 クロノは少し笑った。


「それも戦いだよ」


 ルナが、その言葉に反応する。


「……外ともか」


「そうだね」


 クロノは頷いた。


 道の先には、人がいる。価値がある。

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