第十四話 牙を研ぐ村
スパインボアを倒した翌日、ローデン村には昨日までとは違う匂いが残っていた。
水の匂いでも、干し肉の匂いでもない。血と、皮と、焼けた骨の匂い。それは、自分たちが倒したものの匂いだった。
加工小屋の前には素材が並べられている。
牙。骨。厚い皮。棘。
昨日までは、ただ処理するだけのものだった。それが今は別の意味を持っている。
カインはしゃがみ込み、牙を一本手に取った。
重い。思っていたよりも、ずっと重い。
「……これで戦うのか」
呟きは、誰に聞かせるでもなかった。
昨日、確かに倒した。だがそれは、“やれた”というより、“やれてしまった”に近い。
もう一度同じことをやれるかと問われれば、答えは出ない。
「そのままじゃ無理だね」
隣でクロノが言った。牙の根元を見ながら、淡々と続ける。
「削って形を整えて、柄に固定する。問題は固定だね」
「……刺さっても、抜けたら意味ねえな」
「うん。それと、折れないことの方が大事」
カインは牙を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
「……こんなんで、守れんのかよ」
本音だった。
クロノは少し考えてから答える。
「守れないね」
否定しない。
「だから、守れる形にする」
穏やかな言い方だったが、逃げはなかった。
少し離れた場所では、ミリアが板を持っていた。
牙、骨、皮。それぞれの使い道を書き出している。
だが、手が一瞬だけ止まった。
あの時のことが頭をよぎる。
手順は守っていた。数字も合っていた。それでも――腐った。
「……また、同じことになるかもしれない」
思わず口に出ていた。
クロノは少し間を置いてから言う。
「なるかもしれないね」
ミリアの視線が揺れる。
「でも、分かるようになる。どこで崩れたか、何が足りなかったか」
短い言葉だった。だが、逃げではない。
ミリアはゆっくり息を吐く。
板を持つ手に、わずかに力が入った。
「……今回は、見落とさない」
小さく言って、書き込みを再開する。
作業は静かに始まった。
牙を削る音。火で炙る音。皮を裂く音。
どれもぎこちない。慣れていない手つき、分からない力加減。
「あっ……」
小さな声。
牙の先が割れた。
空気が少し重くなる。
「……駄目だ」
作業していた男が肩を落とした。
昨日の成功が、少し遠のく。
クロノは牙を受け取り、割れ目を確認する。
「先端には使えないね」
男の表情が曇る。
だが、クロノは続けた。
「でも短くすれば使える。無駄にはならない」
「……本当か」
「うん。用途を変えるだけ」
ミリアがすぐに書く。
――牙:短刃に転用。
男は完全には納得していなかったが、それでも頷いた。
失敗しても終わりではないと分かり、手は止まらなかった。
「全部を一気に作らない」
クロノが言う。
「一本作って、試して、直す。それから増やす」
「また確認か」
カインが言った。
「また確認だね」
クロノは軽く笑う。
「武器も、腐るから」
ミリアの手がほんの一瞬だけ止まる。
だが、そのまま書き続けた。
昼前、最初の一本が完成した。
不格好な槍だった。だが、確かに昨日とは違う。
カインがそれを受け取る。
「……重いな」
「先端が重いからね。振ると崩れる」
「突くだけ、か」
「うん」
丸太が立てられる。
全員が見ていた。
カインは槍を構え、息を吸い、踏み込む。
突く。
鈍い音。
牙が深く食い込んだ。
「……入った」
思わず声が漏れる。
「入ったぞ……!」
振り返ると、何人かが同じ顔をしていた。
だが、槍は抜けない。
「……くそっ」
力を込めて引く。ようやく抜けた時には、腕に余計な力が入っていた。
「問題もあるね」
クロノが静かに言う。
「抜けにくい。これだと次が遅れる」
喜びが、少しだけ引いた。
カインは槍を見下ろす。
「……楽じゃねえな」
「楽じゃないね。でも、昨日よりはいい」
少しの沈黙。
やがてカインは小さく笑った。
「……それでいいか」
試作は続く。
棘は短い杭に加工され、罠としての案が出る。クロノは地面に図を描いた。
「全部止めない。動ける場所を減らす」
「誘導するのか」
「そう」
ルナが、そのやり取りを見ていた。
少しだけ眉を寄せる。
「……なぜ、前に出ない」
純粋な疑問だった。
クロノは少し考えて答える。
「前に出ると、崩れるからだね」
「強いなら押せばいい」
「ルナはね。でも、全員がルナじゃない」
ルナは黙って村人たちを見る。
遅い動き。揃わない足。震える手。
「……面倒だ」
「うん。でも、その面倒で死ななくなる」
夕方。
試作品は三本に増えていた。
ルナが一本を手に取る。
軽く振る。
眉をひそめた。
「遅い」
「うん。ルナには合わない」
「別のものを作る」
「……別?」
「籠手だね」
ルナが自分の手を見る。
「私は素手でいい」
クロノは静かに言った。
「壊れなければね」
ルナの動きが止まる。
「君は、壊れたら終わりなんだ」
少しの沈黙。
やがて、ルナはゆっくり頷いた。
「……なら、作れ」
「作るよ」
カインが苦笑する。
「最強でも装備いるのかよ」
「いる」
即答だった。
「壊れたら、殴れない」
「発想が怖えよ」
小さく笑いが起きる。
クロノは板に書く。
――武器改良、継続
――籠手、設計
――素材、追加必要
「また森か」
カインが言った。
「たぶんね」
クロノは素材を見ながら続ける。
「今度は、欲しいものを決めてから行く」
ミリアが頷く。
「無駄にしない」
日が沈む。
加工小屋の前に、不格好な槍が並んでいた。
まだ弱い。まだ足りない。
「……昨日よりは強いな」
カインが言う。
クロノは頷いた。
「うん。それでいい」
ローデン村は、牙を研ぎ始めていた。




