「十二万円の嘘」
写真付きの社員証を首からぶら下げ、ジャケットの懐から出して広げた白い用紙には、大きな文字で委任状という題があり、次に小さな文字で、内閣総理大臣直属の災害救助隊が動いている内容の文章が記され、最後には現職である内閣総理大臣のサインと判子が押印されている。
白髪に染まった小谷京子、七十八歳がどこまで読めたのか定かではないけれど、 すべて嘘っぱちな文書であることは確か。
「それとですね、ブルーシート代、作業代、すべて税込みで十二万円になりますが、こちらの返金手続きの用紙をですね、手続きが可能になる三か月後に市役所まで持っていくと、十万円戻ってきます。ですので、実質二万円で作業させていただくことになります」
社員証をぶら下げた、目つきの優しい男は、返金手続き用の用紙だけを七十八歳の小谷京子に手渡した。そこにも内閣総理大臣のサインと判子が見せつけるように押印されている。
明日の予報は雨。崩れている所から雨漏りしても困ると思っていた。返って来るなら。という内容の話を京子は男に告げ、タンスから現金十二万円を取り出し、菊池広大と名乗る男に手渡した。
数日後、一人暮らしだった京子は地元の消防団による巡回で、騙されたことに気づいた。地震直後、遠くに住む息子、小谷洋平五十一歳と連絡がついたけれど、京子は息子にも心配かけぬよう大丈夫だと諭し、来るのはもう少し落ち着いてからでいいと告げていた。
自治会長から母が騙されたことを知らされた洋平は怒りが収まらず、月一で街の情報を伝えるタウン誌に広告として載っていた、「悩み事救急センター」という素知らぬ法人に電話をかけた……。
さらに数日後。
どんっ。
地震で倒壊し、瓦礫となってしまった家々が並ぶ道の交差点で、タイト目なスーツを着た人間と、土建で働く人のような恰好をしている人間が、出会い頭に肩と肩がぶつかると、ぶつかった二人は衝撃で地面に倒れた。
「いってえ」
肩がぶつかって倒れた、土建で働く人のような恰好をしている菊池は、顔を顰めている。 岩のようにガタイがよく、サイドをきちっと刈り上げた短髪で、いかにも柄が悪そう。
「すいません大丈夫ですか」
タイトなスーツを着ている厳島は、ゴボウのようにひょろひょろな体型のせいか、衝撃で若干跳ね飛ばされはしたけれど、菊池よりも先に起き上がり、顔を顰めている菊池に手を差し出した。
ガタイのいい菊池は、華奢な厳島の手を借りることなく、肩を押さえながら立ち上がり、自分よりも背の高い厳島を、下からこれでもかと睨んだ。あの時の優しい目つきはどこにいったのというくらい。
「そんな睨まないでください」
鳥の巣のような髪のせいで厳島の目は隠れ、視線がどこに向いているのかわからない。
「うまくいったから、また次の物件でも探していたんですか?」
「ア?」
下から鋭く睨む、菊池の片眉が上がった。
「被災して心が痛んでいる人間に対し、追い討ちをかけるように詐欺を吹っ掛けるとは、随分悲惨なことをするんですね」
「なにいってんだお前」
菊池のごつごつした岩のような手で、厳島の華奢な胸ぐらを掴み揺さぶった。
「無理もありません」厳島は脅しに屈することなく、「あなたのお腹に、巫子の落書きが施されているので」と正直に話した。
「は?」
今にも殴りそうだった勢いが薄れ、厳島の胸ぐらを掴む手もやや緩み、鋭かった目も若干うわついた。
厳島は真上に首を傾け、これでもかと口を開けると、細かった首が一瞬だけ太くなり、これでもかと開けた口の中から、ニョキッとスマホが顔を出した。
菊池はギョッと仰天するように仰け反り、厳島を放して一歩二歩と後退した。
厳島が手にしたスマホが涎でべちょべちょなのを見て、さらに菊池は後退した。顔がやや引き攣っている。
厳島の口から出てきたスマホには涎だけじゃなく、ちゃんとしたスマホのケースがついていて、ケースの上部には、立体的な骸骨の頭がついている。
厳島は骸骨の頭の目を菊池に向け、カシャっと全身写真を撮った。
「……菊池広大さん。現在無職、以前はゴールデンルーフという屋根修理会社で働いていました」厳島はスマホの画面に出た菊池の「過去の書」を読み上げた。「といっても2日間だけですが」この骸骨の頭は、閻魔が持つ人頭幢と同じような効力を発揮する。「その前は派遣に登録して交通整理の職をして転々。その前は新聞配達、その前は左官屋、その前は庭師の道を一生懸命突き進んでいたのに……」
まだ、厳島は菊池の過去を見きれてはいないけれど、この頃に巫子の落書きに遭い、庭師の道から外れたと推察できる。
「なにか言いたげだな」
「別に」
スマホの画面には、菊池は落書きされる時、巫子の姿を見ていないと出ている。霊感はないよう。
「深く言っても意味不明だと思うだけでしょうから、やめておきます」
霊感があろうともなかろうとも、巫子による落書きを人間が自覚することはない。自覚はなくとも、落書きが因果となって人間の運気を下げ、悪性が上がり、次第に人の道から外れていくことになる。やはり、巫子に会ったのは庭師をやめる前だった。
「今ある借金は4,856,241円。現在無職の菊池さんが返していくにはかなり難しい額となりますね」
「うっせえな」
「そこを補うために詐欺なんてしてるんですか」
「詐欺なんてしてるかよ」
「じゃあこれはなんですか?」
厳島は紋所でも見せるようにして、スマホに流れる、詐欺を働いた時の映像と音声を菊池に見せた。
菊池は近づきたくないものに近づく感じでスマホに寄って、じっと画面を見た。
「……誰だこれ? 俺に似てる奴もいるもんだな」
「ちょっとすいません」 厳島は人間界のアプリを起動させ、カシャッ、と菊池の岩のようにごつい顔写真を撮り、「はい出ました」とまた見せた。「ここに映っている映像とあなたの顔が99.99999%一致とあります。このアプリは警視庁が使っている顔認証と同等の性能を持っているので、紛れもなく同一人物と言いきることができます」
罰が悪そうな顔をした菊池は、厳島の華奢な手の中にあるスマホを奪おうとする。けど、 涎でべちょべちょのスマホの所為か、寸前でやめた。
「詐欺で儲けた金をなんに使うんですか?」
菊池はまた後退って距離を取り、「だから詐欺ってなんだよ」と答えた。
「ちゃんと答えてくれたら見逃してあげてもいいですよ。僕に関係のない犯罪は」
厳島はまた人頭幢のような機能に戻し、スマホについている骸骨の頭の目を菊池にかざした。
菊池は悩む表情をした後、「詐欺なんてしてねえけど、稼いで、病気で入院しているばあちゃんの医療費に使うんだよ」と答えた。
厳島のスマホに、「嘘」と出た。でも、おばあさんは実際にいるようだ。
「残念ですね。現在二十七歳であるあなたは、六歳の時に両親が離婚して以降、おばあさんに会っていません。
離婚するまでは父方のおばあさんとはよく会い、あなたの面倒を見てくれていた。ちなみに、あなたの面倒をよく見てくれていたおばあさん、三宅悦子さんは今、 埼玉県尾田市にある公民館で週に一度、2時間のフラダンスを楽しんでらっしゃいます」
厳島の骸骨の頭は菊池の過去だけじゃなく、閻魔の子の効力も加わり、菊池が携わった者(思入れがある者だけ)の現況もわかるようになっている。
「今なんて言った? フラダンス?」
菊池は食いついた。
「写真ありますよ。見たいですか?」
菊池は見たそうな顔をしている。
「はいどうぞ」
厳島は華奢な手を動かし、また紋所でも見せるかのように画面を見せた。
骸骨の頭がついているスマホに今日一番近づいて、目を細めてよーく見る菊池。
波をゆらゆらさせるようなポーズをとって、とても生き生きとしているおばあさんの姿が写っている。とても八十二歳には見えない。
「はい、見ましたね、居所も教えたので、合計十二万円頂きます」
「ア? なんだそれ」
「興味あるおばあさんの姿と情報を得られたんですよ。調査会社などに頼んだらもっと取られるでしょう。充分安い金額だと僕は思いますが。一括で無理なら現金ローンも大歓迎です」
「バカじゃねえの。一人でやってろ」
菊池は吐き捨て、厳島を睨んでも、距離を取りながら通り過ぎた。
厳島は案山子のように腕を広げ、ふわっと飛び、体を伸ばしたまま空中で後方宙返りを一回転してから、通り過ぎた菊池のギリギリ前に立ちはだかった。
菊池は、ゴボウのような体型の厳島が上から突然来たことにビクッと驚き、反射的に後ろへとよろけた。
「その態度は、払う気ないってことですか?」
菊池は驚きを隠すように、刈り上げた短い髪をサッと触り、「あるわけないだろ、この詐欺野郎が」と暴言を吐いた。
「ですと強制的に今、菊池さんには稼ぎに行ってもらうことになります。あなたの得意戦法で。それができないなら、僕はあなたがしたことを警察にチクります。証拠も一緒に。あなたのお仲間も自然と捕まるでしょうね」
菊池のゴツッとした頬がピクピクッとなった。
「仲間の三人に連絡してどうするか、相談してもらっても構いません」
菊池はゴボウのような体型をしている厳島に殴りかかりそうな勢いで距離を詰めたが、 涎でべちょべちょなスマホに目が行き、「勝手に言ってろ」と勢いそのまま走り過ぎる。
厳島は口を大きく開けてスマホをしまい、またふわっと飛び、空中で伸身の二回宙返りをしてから、菊池のギリギリ前に着地した。
当然ドンと厳島と菊池は衝突し、厳島は吹っ飛んで着地してコロコロと後ろ回りした。
岩のようにガタイがいい菊池は痛がりながらも、なんなんだこいつはという目で、やや先で倒れている厳島を見ている。
「やっぱそうなりますよね」厳島は特に痛がる素振りも見せずに立ち上がった。「しょうがないです。巫子の落書きがあると、大抵良いことは起きません。ですから先に、僕があなたのお腹にある落書きを消させていただきます」
……きょとんとしている菊池。
厳島が右腕をピンと横に伸ばすと、右肩から真っ黒な真菰が無数に生え、ぐるりと伸びて注連縄となり、厳島の細い手首までをぶっとく覆った。黒々としていて、霊感ある人間には肌寒い霊気を醸し出す。
菊池は霊感ゼロだからか、厳島の右腕にはなにも感じていない様子。
「では、『閉門』します」
霊気漂う注連縄が、厳島の右腕をギュッと締め付けた。手首より先は閻魔の領域。スッと瞬時に菊池の懐に入った厳島は、右の手の平で菊池の腹をドンと突いた。
腹を突かれた菊池は「く」の字型になって宙を舞い、積み上げられた瓦礫に背中から突っ込んだ。
菊池に霊感がなくても、冷たいなにかに触れられた感触はあるはず。
「どうですか、気分のほどは」
……しばらくして、菊池は自ら瓦礫を押しのけ出てきた。
瓦礫で皮膚を切ったのか、顔や所々の作業着から血が滲んできている。
「これから先は、あなた次第になりました」
厳島は、ゆっくり菊池との距離を詰めていく。
近づいてくる厳島を見た菊池は、ブルブルっと武者震いした。「閉門」された人間は、閻魔の印が徐々に体に浸透していくことで、暗い穴の底から出てきた冷たい手が、いくつも自分の体に貼り付いてくるような感覚に捉われるという。
菊池は凍えるような表情をして、「来ないでくれ!」と叫んで後退り、瓦礫に座るようにくずおれた。
菊池は予想よりもはるかに怯えている。
「大丈夫です。あなたが今感じているだろう怖気や寒気は、閻魔の印が巫子の落書きを消していっている証なんです、一気に消してしまうとあなたの体のどこかになにかの後遺症が残ってしまう虞があるので、ゆっくりと消える仕組みになっているんです。 次第に、晴れやかな気持ちになっていくはずですから」
「やめてくれ」
厳島の声が菊池に届いていないのか、立ち上がって逃げようとしても、腰が抜けたように立つことができず、赤ちゃんのようにハイハイして逃げるのをやめない。瓦礫沿いを進んでは振り返り、進んでは振り返りを繰り返している。
「お願いだ。来ないでくれ」
菊池は恐怖の底から振り絞ったように懇願した。
「わかりました」厳島は逃げる菊池を追うのはやめ、菊池と目は合う距離で立ち止まった。「もう近づきません。でも、僕に支払う額はすべて支払っていただきたいんです。できますか」
ピタッと止まって、「もちろんです」と頷いた自分に驚く様子の菊池。「でもローンにしてください」と頭だけ向け、厳島を見た。
「はい構いません。お支払いありがとうございます」 厳島は深くお辞儀した。「回数は何回にしますか?」
「十、二回でお願いします」
普通に答えている自分に、菊池は自分の口を塞ぐ。閻魔の印が効いている証。
「十二回ですね。そうなりますと、総額で三百六十万円のお支払いになります」
菊池は動きだけじゃなく、時間もピタッと止まったような感じになった。
「……な、なんでそんな高いんですか、ぼったくりもいい所ですよ」
やや優しい自分の口調にも驚いている様子。
「そうです。なんでもありのぼったくりです。よくわかってますね。しかしあなたにとってみれば安いものかと、ざっと年に三十六回、月にして三回ほど得意戦法を繰り出せば済む話なんですから」
「やっぱかえます。ローンやめます。今払います」
「そうですか。こっちはどっちでも構いませんが、そうなりますと、二十四万円頂戴いたします。
「ちょっと待ってください。十二万のはずじゃ」
厳島にお尻を向けていた菊池は、四つん這いのまま方向転換して、厳島に全身を向けた。
「言ったでしょ。なんでもありのぼったくりですと。持ち合わせはないのですか。あれば充分お安くすむと思うんですが」
「十二万ならともかく、二十四万なんてないですよ。スマホでとかなら今払えますけど」
「あー。お察しの通り、現金のほうがいいんですよね。ないですか、あと十二万」
「ないですよ」
「わかりました。もう特別ですよ。普段ならこんなことは提案しません。今日あなたが得意戦法で十二万稼いでくるというのはどうでしょうか」
……は? というように、ガタイのいい菊池は眉間にしわを寄せた。そこに睨みはない。
「得意戦法?」
「はい。あなたは今十二万円お持ちなんですよね? それプラス、今からあなたの得意戦法で十二万円稼いできてくれれば、二十四万円で手を打ちましょうということです。ちょうど今し方、やろうとしてたんじゃないんですか」
「……は、はあ。得意戦法で……。わかりました。待っててください。できるかわかりませんが」
「いえ、逃げられても困るので、僕が指定したお家であなたに得意戦法を行ってもらいます」
「……指定したお家、……ですか」
「……なにか思うことでも?」
「いえありません」
「では早速行きましょう。僕の車、すぐそこなんで。あ、その前に傷の手当と服を着替えないとですね。こちらで同じ服用意するんで、車の陰とかで着替えてもらう感じでもいいですか? あ、大丈夫ですよ、手当の薬は口から出しますが、作業着は車から出すんで」と歩き始めた厳島のあとを追うように、菊池は起き上がって、なんとも言えない顔で、ふらつきながらついていった。
「着きました。ここです」
厳島は車を降りた。
すでに傷は治り、服も着替えている菊池は、やっぱりという顔をしながら車から降り、二階建ての一軒家を見上げた。
屋根に被せられたブルーシートの何ヵ所かが外れ、旗のようにひらひら風に舞っている。
「どうしました? 菊池さん?」
鳥の巣のようなもさっとした髪が風に押されている厳島は、降りて一歩も動かない菊池に話しかけた。
「風ですか? 確かにけっこう強いですけど、菊池さんなら大丈夫ですよきっと」
「……いえ、違うんです」菊池は首を振った。「ここ、僕がさっきした所です」
岩のようにガタイのよかった菊池の外見は変わらないけれど、どこか刺々しかった感じは薄れてきている。
「さっきした? 何をですか?」
「ブルーシートをかけました」
「大丈夫です。あなたの得意戦法は、きっとまた通用します」
白状した菊池の言葉はどうでもいいかのように、ファイト! と厳島は華奢な拳を握った。
「そう、ですかね」
「はい」厳島は助手席側に立つ菊池の傍に行き、「自信持ってください」と華奢な手で菊池の大きな背中をポンポンとたたいた。「僕はここで見守っていますから」
刈り上がった短い髪をくちゃくちゃっと掻き毟った菊池は、どうにでもなれという感じで、おじいさんの住む家に向かっていった。
帰ってきた岩のようにガタイのいい男、菊池は、開口一番「すいません」と厳島に謝った。
「ブルーシート、ちゃんと取り付けられなかったから、さっき騙し取った十二万、おじいちゃんに返してきました」どこか言葉遣いも表情も、さらに優しい感じになっている。
「そうですか。よかったです」
厳島の細身の顔から生まれた横長の笑みに、菊池は少々驚いている。
「これで僕への支払いはゼロ円になりました」
……菊池は、きょとんとしている様子。
「でも稼いでもらうことはまだ終わっていません。さあ、この地域から出ましょう。出たら今度は、あなたの好きな所で得意戦法を繰り出してもらっても構いません。その後はまた、私が指定した場所に行ってもらいますけどね」
「……ど、どういうことですか」
「大丈夫です。以前あなたが騙し取ったお金をおばあさんに返すだけです。そのおばあさん、 警察でもない僕たちがお金を取り戻すと知った時、わざわざ僕たちの所に電話してきて、『警察に捕まる以上のひどい罰は与えないで欲しい』って、加害者であるあなたのことを心配していたんですよ。やさしいですよね。被害者なのに、加害者であるあなたのことを案ずるなんて」
菊池は、血のつながりのあるおばあちゃんの姿を思い起こしているかもしれない。
「さぁ。十二万。さっさと稼いでしまいましょう」厳島は車に乗ろうとして、「あ、そうそう、初めてなのでうっかりする所でした」と助手席に乗り込もうとして、車の前にいる菊池を呼び止めた。「これ、なんに見えます?」厳島は左手の指でキツネを作った。
車の前に立っている菊池は、厳島の左手を見て、「犬ですか」と首を捻りながら言った。
「ワンワンコンコンワンコンコーン!」と厳島はキツネの手を左右交互に上げながら、ラップを得意とする歌手のように言い放った。
これで、厳島との記憶は嘘か真か、ぼんやりとした夢のような記憶に変わっていく。
これもまた心身へのダメージを防ぐため、すぐにではなく、徐々に厳島との記憶は夢のような記憶へと変わっていく。
「あーすいません。ちょっと歌いたかったもので。あーあと、これからは正直に生きてくださいね。もしさっきみたいなつまらない嘘を一度でも吐いたら、菊池さんの場合、死ぬ時に、 閻魔の使いによって舌を抜かれてしまいますから」
さらりと言って車に乗った厳島に習うようにして、菊池も助手席に乗り込んだ。
「嘘を吐いたら、閻魔の使いによって舌を抜かれる。嘘を吐いたら、閻魔の使いによって舌を抜かれる……」
ぶつぶつと復唱していた菊池は、運転し始めた厳島に、「閻魔に舌を抜かれるって、有名な話なんで知ってはいますけど、どういうことですか?」と尋ねた。
「言葉の意味そのままです。物凄ーく痛いらしいですよ。気絶もさせてもらえないみたいです。でも大丈夫、正直に生きればいいだけですから」
細い腕でハンドルを回す厳島は、横長ににっこりと笑った。
「ここにします」
「ここにします」
と言っては寸前でやめていた菊池は、意を決したかのように頭を下げ、「すいません厳島さん、僕のおばあさんの所へ行ってくれませんか」とお願いをした。
数時間後、埼玉県尾田市にある三宅家に着くと、菊池広大は二十一年振りに実のおばあさんと再会した。
インターホン越しに菊池を見たおばあさんは、一目で孫の広大だとわかった。
独り暮らしのおばあさんはうれしそうに菊池を家に上げ、夕食時ということもあって、一緒にご飯を食べながら、思い出話に花が咲いた。
菊池はまだ小さかったからか、覚えていないこともけっこうあったけれど、トランプやボール遊びなどをしたことは覚えていて、あの時は楽しかったよと今までにない笑顔をおばあさんに見せた。
そして、おばあさんと菊池が街へ遊びに行った時、盆栽のガチャガチャがしたいとよくおねだりされた話になると、ああ覚えてると菊池は、大人になってからもそういうのが好きで、造園業に携わっていたことを話した。
「それはよかった。少しは役に立ててたんだね。あまりにも欲しがるから、好きを嫌いにさせちゃいけないかと思ってさせてたんだけど、あんまり買い与え過ぎてもよくないかななんて、ばあちゃん心配してたんだよ」と、おばあさんは椅子から立ち、リビングを出て少ししてまたリビングに戻ってくると、おばあさんの手の平の上に、小さな盆栽のおもちゃが乗っていた。
菊池は目を丸くして驚き、これ覚えてると手に取り、まだ持っててくれてたんだと感激すると、急に椅子から立って床に正座し、「ごめんばあちゃん、十二万円貸してください」と土下座した。
孫の突然の行動に驚いたおばあさんは、「どうしたんだい? なんかあった?」とやさしい口調で菊池に尋ねると、土下座する菊池の傍で膝をつき、「ん?」と菊池の背中に手を当てた。
ブルブルと震える菊池は顔を上げ、涙ながらに、自分がしてきた詐欺のことを全ておばあさんに話した……。
次の日、厳島と菊池が待ち合わせた場所に、菊池はちょっと皺の入ったスーツ姿で立っていた。
菊池は、自分がちゃんと待ち合わせ場所に来ると信じてもらえたことが、終始うれしそうだった。
今、「行ってきます」と車から降りた菊池は、十二万円騙し取った、小谷京子宅へ向かっていく。もう刺々しさはどこにもなく、岩のようなガタイの良さから感じられる雰囲気は、 角の取れた、ツルツルした丸い岩のような感じ。
厳島は車から降りただけで、菊池の丸い背中を見守っている。
玄関に着いた菊池は、スーツの懐から茶封筒を出して、中身をちらっと確認した。厳島と車で移動中も、何回も確認していた。旧一万円札が十二枚、しっかりと封筒に入っている。
実のおばあさんから借りた、十二万円。
大事そうにまた懐に戻した菊池は、車の傍で立っている厳島を見た。
厳島は、じっと菊池を見ているだけ。
厳島に向かって深く長いお辞儀をしたあと、姿勢を正し、自分の身なりをスマホのカメラで確認してから、唾をゴクリと飲み込んで、小谷京子宅のインターホンを押す。
菊池の指は、震えていた……。
しばらくして、──ガチャ、と玄関のドアが開いた。




