30.時と距離を越えて(2)
コリーナとウルバンの結婚式が行われたのは、それから半年後のことだった。
軍幹部宿舎の最上階にある大ホールに、コリーナとウルバンを祝福するために、関係者らが集まっていた。
ハンドベルが奏でる『妖精の祝福』というこの国の結婚式の曲が流れ始めた。奏者はレアイヒロ峠で『白い魔女』を演じ、イグナーツとベーベルの結婚式でもハンドベルを演奏した、五人の半獣半人の女たちだった。
グリゼルダの歌声がハンドベルの音色に重ねられると、観客たちから歓声が上がった。
ウェディングドレス姿のコリーナは、軍服姿のウルバンの腕につかまって、大ホールの床に敷かれた緋色の絨毯の上を歩いていった。
コリーナのウェディングドレスは、グリゼルダが着たものにビーズやレースや布を足し、貴族の令嬢が着るにふさわしい華やかなものに仕上げられていた。緩い三つ編みで一つにまとめられた髪の上には、小ぶりな白い王冠が載せられていた。パンデアージェン男爵が領地から取り寄せた『ナバ海の真珠』で作られた美しい王冠は、その凄まじい価値の高さを知る者たちを、大いに驚嘆させていた。
ウルバンの軍服は、伸縮性のある生地でできたベーベル特製のもので、しっぽを出す穴もあり、『お洋服』としての機能が備えられていた。辺境王の紋章入りのサッシュを肩から斜めにつけ、腰には愛用のサーベルが下げられていた。
左右に並んだ者たちが、並んで歩く二人に向かって薔薇の花びらを舞い降らせた。
二人は大ホールの一番奥に着くと、向かい合った。ウルバンが礼儀正しくコリーナをダンスに誘い、コリーナはその手をとった。二人は見つめあい、この国の舞踏会で踊られるダンスの中で、最も簡単なダンスを踊った。
二人はほほ笑みを交わしてから、参列者たちに向き直った。
「無事にこの佳き日を迎えられた。ここに集っている者、そうでない者、すべての者に感謝する」
ウルバンが挨拶すると、参列者たちから歓声が上がった。
「姉上、本当にヨストじゃなくていいんですか!? 俺ならヨストを選びますよ!」
「やめてくださいよ、坊ちゃん!」
「俺はヨストを義兄上と呼びたいのだ!」
ザロモンはヨストに腕をつかまれて、大ホールの隅へと連れて行かれた。マッツとアイケも二人の後をついて行った。
「コリーナ、ツァハリアスじゃなくていいのかい?」
「真似して余計なことを言わないでください! 皇帝陛下なんですから! 下手なことを言うと大変なことになります!」
「甥や姪と好きなようにしゃべることもできないとは! 早く帝位を譲りたい……。もうすでに十日以上、皇帝をやっているではないか……!」
「おい、おっさん、俺の主を困らせると、この荒ぶる大剣騎士グントラム・リダホワが黙ってねえぞ!」
エクベルトを威嚇しているグントラムは、万能薬であるユニコーンの角で死の淵から生還した。本人曰く『最高に騎士っぽい死』には至れなかったし、探しに探してやっと見つけ、ゴリラの天馬騎兵まで倒して主君としたツァハリアスも、金杯王派の劇で見たような『酒と女が大好きな気の合いそうな荒くれ男』ではなかった。彼の心は今、最高に荒ぶっていた。
開け放たれている大ホールの出入り口に、銀色の毛並みの猟犬を引き連れた、彫像のように麗しい男が立った。
乗馬服に旅装用マントを羽織り、革の荷物袋を背負った美男は、大股で緋色の絨毯を歩き、まっすぐにコリーナたちの元へ来ようとしていた。
「イェンス殿下!」
コリーナは元婚約者の名を呼んだ。
「コリーナ、誰と婚姻しようとしているのだ!?」
コリーナはイェンスから、隣に立つウルバンへと視線を移した。
ウルバンは橇引き神狼の獣人の姿となって、唸り声を上げていた。
「君もそろそろ、自分の間違いに気づいた頃だと思ったが」
「なにが間違いだと言うの!?」
イェンスは苦笑しながら、新郎の親族としてウルバンの近くに立っていたディートマーのところに行った。
「このお嬢さんと結婚できなかったからといって、犬と結婚しようとはな」
「お嬢さん……?」
イェンスに肩を抱かれたディートマーが訊き返した。
「軍法会議では呆れかえったよ! この国には愚か者しかいないのか? 『辺境総大将で男爵の位を買った者』ということに惑わされて、男女の区別もつかないとは!」
コリーナの脳裏に、兵法書で知った『ミスリード』という言葉が浮かんだ。どうやらイェンスが言っているのは、『雄々しい肩書に惑わされて、女性のアロイスを男性と勘違いしている』ということらしかった。
「そういえば軍法会議でも、『その男』などと連呼しておられましたわね……」
「この私が、礼を失してまで伝えようとしたことが、今ようやくわかったのか。見ればわかりそうなものだが……。このお嬢さんは『鋼鉄の白百合』などよりも、ずっと華奢で可憐な乙女ではないか」
イェンスはコリーナを気の毒そうな目で見た。皇后の護衛女官である『鋼鉄の白百合』は、この国の武芸自慢の女戦士たちが集められていた。元からの体格の良さに加え、日々の激しい鍛練が、彼女たちをディートマーよりもはるかに厳つく仕上げていた。
「え、ええ……、今やっと……」
コリーナもまたイェンスを気の毒に思いながら見つめた。婚約していた頃から、イェンスにはどうも的外れなところがあった。
「君は知らないかもしれないが、アロイスという名前は男性にも女性にも付けられるのだ」
「ああ……。まあ……、そうさな……」
近くに立っていたレネーのつぶやきを聞いたイェンスが、勝ち誇ったような顔をした。
「コリーナ、君を正妻に迎えることはできなくなったが、このお嬢さんと二人まとめて、この私が娶ってやろう」
「正妻はどなたですの? ザーランド侯爵の姪御さんかしら?」
「あのレオポルディーネとかいう性悪女ならば、すでに婚約破棄したよ。我が友を見て『ああ、恐ろしい』と言って卒倒したのでな。今ならばこの私も、一軍馬公の怒りが理解できる」
コリーナには、それほど深い絆で結ばれているイェンスの友に心当たりがなかった。自分との婚約を破棄した後に、そのような友ができたのだろうかと、コリーナは訝しく思った。
イェンスはディートマーを放すと、ウルバンの前までやってきた。
「コリーナ、私の記憶違いでなければ、君は婚姻したがるほどの犬好きではなかったと思うが?」
「ええ……、そう……ですわね……」
コリーナは隣で呆然としている橇引き神狼の姿のウルバンを見た。
イェンスはウルバンのもっふもふな頬を両手で包んだ。
「やさしい目をしている……。これは女の子の目だ……」
ウルバンはやさしい。たしかにやさしい目をしている。
だが、女の子ではなかった。
ディートマーが吹き出して、慌てて口を押えた。
「犬、犬などと君を呼んだが、それは他の者たちにわかりやすいようにだよ。私には君が橇引き神狼だとわかっている。礼を失したと怒らないでくれるかい?」
「クーン」
ウルバンはコリーナに助けを求めた。橇引き神狼の姿では、まだしゃべることができないのだ。
「おとなしいね」
イェンスはやさしい笑みを浮かべて、ウルバンの頬の毛をふわふわと撫でた。
「イェンス殿下……。殿下は犬がお好きなの……?」
コリーナはイェンスが連れてきて、今は結婚式の参列者に撫でられたりしている猟犬たちを見た。
「ああ、そうさ。あの冷たい皇宮で、唯一温かかったのはあの子たちだ。あの子たちは純粋だ。裏切りも陰謀も、あの子たちとは無縁のものだ」
イェンスはウルバンのもこもこの身体を抱きしめた。
ウルバンはもはや、どうしたらいいのかわからなくなっているようだった。




