22.わたくしのウルバン(中編)
ボドと入れ替わるように、イグナーツがヨストとマッツを連れて駆けてきた。
「おいおい、様子がおかしいってのは、着る服がねぇってことかよ!? マッツ、アイケから余ってるオレらの私兵服で、殿下にあいそうなのをもらって来い」
「俺はヨストさんの侍衛なんだから、本当ならお側を離れられないってのに!」
マッツは文句を言いつつ、辺境王妃の私兵の幕舎がある方へと走って行った。
「殿下、馬だって不潔にしてたら病気になるってもんです。さっさとそいつを脱いでください。オレが川で洗ってきます。血もちゃんと抜いてやりますよ」
ヨストはウルバンの軍服の襟元に手をかけて、服を脱がしにかかった。
「よせ! これは王妃の好みに寄せるために着ているのだ。そんなにすぐに洗われては意味がない」
ウルバンはヨストの両手首をつかんで止めた。
「妃殿下の好み……!?」
ヨストはウルバンの薄汚れた軍服とコリーナを見比べた。
「王妃はこのような姿の俺が好きだろう? このままでは、この軍服はすぐにでもすっかり綺麗に洗われてしまうが」
コリーナは改めてウルバンの姿を見た。同一人物であるだけに、髪型も軍服も、牢で出会ったウルバンにかなり似ている。
コリーナは頬を赤らめてうつむいた。
「まあ……、妃殿下はどうやら、こういうのがお好きなようですが……。不潔にしてるってのは本当に危険なんですよ」
ヨストは遠慮がちにコリーナに言った。
「病気にはなりたくないが、王妃には好かれたい。どうしろと言うのだ」
ヨストはウルバンに顔を近づけ、匂いを嗅いだ。
「うっ、くせぇ……! オレはこれで貴族のご令嬢に好かれるとは、とても思えねぇ……!」
「実はな、ヨスト殿……。俺も自分がかなり臭うと思っているのだ……」
ウルバンも自分の服の匂いを嗅いだ。
「それじゃあ、とっとと脱いでくださいよ。オレがしっかり洗ってやりますって!」
ヨストがウルバンに手首をつかまれたまま、またウルバンの軍服の襟元に手を伸ばした。
「ヨスト殿はなんでウルバンを脱がそうとするんだよ!? ウルバンにそいういう趣味はない! そういうのは自分の閣下とすればいいだろ!?」
フォルカーがヨストの腕をつかんだ。
ウルバンはヨストの手首を放した。
「フォルカーさんこそなに言ってるんだ? 貴族の服は従僕が脱がせるだろ? オレは従僕の代わりをしてやってるんじゃねぇか」
ヨストは本気でわからないという顔をした。
「ヨスト殿は一軍馬公閣下の従僕なのかよ!? ずっと私兵だって言ってたじゃないか!」
「閣下はオレに従僕になってほしいとずっと言ってるが、オレはこの顔だからな」
ヨストは親指で自分の顔にある『獣の名残』を示した。
「公爵令息にこんな安っぽい従僕を連れて歩かせるわけにはいかねぇだろ。だから、断ってお側仕えの私兵をやってたんだ」
「前もウルバンに『お側仕えの私兵』とか言ってたけど、そんな仕事ないだろ! お側仕えなら従僕だし、護衛をするなら侍衛だろ!」
フォルカーはウルバンからヨストを引き離そうとした。
「オレがずっと従僕になるのを断ってたら、閣下が私兵ならやってくれるなら、『お側仕えの私兵』として自分の面倒を見てくれって言ったんだ。閣下がオレが原因で婚約破棄したことがあって、お側仕えしねぇただの私兵に変えてもらったがな」
「そんな新しい仕事まで作ってもらったなら、自分の閣下の面倒だけ見てろよ! ウルバンは自分のことはなんだって自分でできる! 面倒を見るというなら、ウルバンがむしろ俺とディートマーの『お側仕えの私兵』だよ!」
ウルバンが言い争う二人を交互に見て、大きなため息をついた。
「フォルカー、ヨスト殿……。俺の服を脱がせるために争わないでくれ」
フォルカーとヨストは顔を見あわせてから、それぞれが後ろに飛び退った。
「オレは男色もいけると思われるわけにはいかねぇんだ! オレとの関係を疑われたら、いよいよ坊ちゃんの結婚が遠のいちまうだろうが!」
「そんなに『坊ちゃん』が大事なら、もう帰れよ!」
「オレは坊ちゃんがお嬢様を心配してるから来たんだ! 殿下の様子までこうもおかしくっちゃ帰れねぇ!」
ヨストはウルバンの薄汚れた軍服を目で示した。
ウルバンはコリーナの前まで歩いて行くと、改めて自分の匂いを嗅いだ。
「王妃、夢では匂いなどなかっただろうが……。現実ならばこのようにひどいものなのだ」
ウルバンはコリーナを気遣うように笑った。
「その匂いがそんなにお嫌いなら、軍服をお脱ぎになって、わたくしに譲ってくださいませ。お願いいたします」
コリーナは怒りに満ちた目でウルバンを見上げ、丁寧にお辞儀をしてみせた。他の者にとっては耐え難いひどい匂いなのかもしれないが、コリーナにとっては牢で出会った前世のウルバンの香りだった。
「これは国から辺境軍の兵士に対して支給された品なのだ。王妃に喜んでもらえるなら譲りたいところだが、そうもいかなくてな……。その代わり、今日一日、俺がこの姿で王妃と過ごそうと思っている」
「嫌々そんなことをしていただかなくて結構ですわ。今日一日、その服を貸していただけたら、殿下にご満足いただけるまで喜んでみせます」
「貸すのは構わんが……。俺は嫌々やっているわけではないのだが……」
ウルバンは複雑そうな顔をして軍服の襟元に手をかけた。
「妃殿下」
ヨストがひざまずいた。
「ヨスト、急にどうしたの?」
「いつまで結婚詐欺師の野郎を忘れないおつもりですか? 妃殿下がお忍びで街へ出た時に、結婚詐欺師の野郎が小汚い軍服を着て、『無敵の戦神』ホーラン男爵のウルバンだって名乗ったんでしょう? 軍の横流し品の小汚い軍服一枚でご令嬢をたぶらかそうなんざ、よく思いつくもんだ」
「結婚詐欺師……? 急になんの話なの?」
コリーナはヨストからウルバンへと目をやった。ウルバンは腕を組み、軽く首をふった。
「妃殿下は結婚詐欺にあわれたんでしょう? どこの誰の差し金かわからねぇが、そいつの思惑通り、妃殿下は皇太子殿下との婚約を破棄しちまった。妃殿下のまわりの者はなにをしていたのやら」
ヨストはギーゼラとシシーをにらんだ。
「妃殿下は皇太子殿下の許嫁であられたのですよ! お忍びで街に出るなどという、品位に欠けることはなさいませんよ!」
ギーゼラがヨストをにらみ返した。
「それじゃ、シシーが街に連れて行ってさしあげたのか? 妃殿下の言うことなら、なんでも聞いてやればいいってもんじゃあねぇだろ」
「そんなことしませんし、一軍馬公閣下の言いなりの方から言われたくありません」
シシーが呆れたように言った。
「オレは従僕も侍衛も断った! 言いなりじゃねぇわ!」
「そうだったんですか? 一軍馬公閣下から妃殿下に届いた喜びのお手紙では、『ヨストがついに正式に側で仕えてくれることになった!』と書かれておりましたので、まったくわかりませんでした」
シシーとヨストはにらみ合い、どちらからともなく視線を外した。
「そんなことより、妃殿下。こちらの辺境王殿下は、結婚詐欺師の『わたくしのウルバン』野郎なんかより、よっぽど立派な良い男じゃあねぇですか」
コリーナは無表情で固まっていた。
ヨストの推測は、『皇都の路地裏で花咲く、偽りから始まる恋物語』としては良くできていた。最後に詐欺師と令嬢が結ばれる幸せな結末となるならば、シシーやギーゼラのような読者に喜ばれる一冊となるだろう。
「殿下もしっかりお嬢様を捕まえておいてくれねぇと、オレが困るんです!」
「ヨスト殿がなぜ困るのだ?」
ウルバンが眉根を寄せた。
「坊ちゃんが良い笑顔で『姉上とヨストが結婚したら、ヨストは本物の義兄上だな!』とか言いながら、オレとお嬢様を結婚させようとしてくるんですわ! 半獣半人がこんなこと思っちゃいけねぇんだろうが、オレはお嬢様を本当の娘だと思ってるんだ! 娘と結婚なんかできるわけねぇだろ!」
ヨストは立ち上がって力説した。
「ザロモンの考えそうなことだわ……」
「半獣半人と人間は婚姻できないから大丈夫だろ」
呆れ顔のフォルカーを、ヨストがにらみつけた。
「坊ちゃんを甘く考えてるようだが、あのお方は一軍馬公閣下だ。お嬢様が婚約破棄したと知った坊ちゃんに『いよいよ法改正の時だ!』と叫ばれた日には、こりゃあ、オレがお嬢様と結婚させられちまう日も近いんじゃねぇかと……」
ヨストは段々と力を失い、ついにはうつむいた。
「あなた、もしかして、それでザロモンを言いくるめて、わたくしのところに逃げてきたの!?」
「来たのは本当に坊ちゃんの言いつけでですが、坊ちゃんはオレとお嬢様の挙式用の、坊ちゃん曰く『とにかく高い塔』まで、領地に建設しようとなさってたんですよ……。あのまま領地に留まってたら、どうなっていたことやら……」
「『坊ちゃん』が自分と婚姻させようとしてくるよりは、まだいいだろ」
フォルカーが口を挟んだ。
「オレにとっちゃ、どちらもそう変わらねぇ……。娘が息子になるだけじゃねぇか。どちらにしたって無理だろうが」
ヨストが力なくため息をつき、首をふった。
「わたくしが婚約破棄したせいで、あなたにまで迷惑をかけてしまったのね。申し訳なく思っているわ」
コリーナは丁寧にお辞儀をして詫びた。
「あー……、いや、オレが上手いこと立ち回れないせいでして……。もういっそオレにお嬢様を狙っていくくらいの気概でもあったら、まわりももうちょっとやりやすかったかもしれねぇが……」
ヨストが上手いこと立ち回ってみたり、コリーナを狙っていくような男だったら、ザロモンも姉と結婚させようなどとは思わなかっただろうし、そもそも懐きもしなかっただろう。
「好きな相手と結婚するのが一番だ」
唐突にイグナーツが言った。
「ちょっと、突然なにノロケてるのよ!」
グリゼルダが慌ててたしなめた。
「二人とももういいから、山頂の幕舎でゆっくりしててよ」
フォルカーが指示を出すと、イグナーツとグリゼルダは「自分が『殿下がおかしい』って助けを求めてきたのに!」などと言いながら、新婚の二人のために山頂に移された豪華な幕舎へと戻って行った。




