21.ウルバン・レミッシュ(中編)
ウルバンは足を止めると、右手の中指から指輪を外した。
それは、レアイヒロ峠でコリーナが自分と共に辺境王アロイスに届けるよう依頼したものだった。
「それは……! 待って!」
コリーナは指輪に手を伸ばしたが、ウルバンはその手を避けて、ランタンを取り返した。
ウルバンはランタンの火に指輪をかざし、指輪に刻まれた文字を読んだ。
『支配』
ウルバンの表情が消え、コリーナを凝視した。
「やっとわかった。貴女がなにをしようとしていたのか、やっと俺にもわかった」
「いいえ! いいえ……! 殿下は誤解しているわ!」
コリーナは両手で指輪を取り返そうとしたが、ウルバンはコリーナの手が届かないよう指輪を高く掲げた。
「誤解などしようもない。今日ここに至るまで、俺は貴女と共に旅をして来たのだ」
「それは……! それは……っ! カーマレッキスに着いてから、辺境王アロイス殿下に渡す物だったのよ!」
「その辺境王アロイスは俺だ。俺は貴女との約束を果たし、『辺境王アロイスが貴女と指輪を受け取った』のだ。カーマレッキスに着いてからでなくとも、なんの問題もないだろう」
ウルバンは少し困った様な顔をした。
(ああ、なぜこんなことになってしまったの! カーマレッキスに着いてからならば、わたくしの意図も正しく伝わったはずなのに! まだ準備が整っていないわ! なぜ彼が辺境王アロイス殿下なの……!)
ウルバンが辺境王アロイスだったとしても、カーマレッキスに着くまでの間に準備を整え、意図が伝わるようになってから指輪の文字を見られたならば、コリーナもこれほど慌てたりはしなかっただろう。
コリーナは顔色を失い、その場に立ち尽くした。
ウルバンは元の指に指輪をはめ直すと、ひざまずいてコリーナの手をとった。
「なぜひざまずくの!? わたくしが望んでいるのは、そんなことではないわ!」
コリーナはウルバンの手をふり払った。
「女性はこうするとおとなしくなると、ディートマーが言っていたのだが……。あいつの言うことは、どうも当てにならないな」
ウルバンは立ち上がった。
「ただわたくしを落ち着かせようと思って、ひざまずいたと言うの!?」
「ああ。まったく効果がなかったようだが」
コリーナは呆然としてウルバンを見つめた。
「貴女は俺がなにか誤解したと思っているようだが、貴女が俺を支配したいと思っていたなら、指輪に文字を刻むなどという回りくどいことをする必要はないだろう。それこそ女主人気取りで、なんでも命じて従わせ、楽しんだらよかったのだ」
コリーナの目から一筋、涙がこぼれた。
ウルバンは指でそっと、コリーナの涙をぬぐった。
「俺は貴女がずっと皇帝に挑んでいたのだと思ったのだが……。俺の考え違いだろうか」
「なんですって……」
「俺の考えは間違っているか?」
「あっているわ……」
コリーナの目から涙が次々とあふれた。
ウルバンがランタンを素早く地面に置いて、コリーナを抱きしめた。
「皇都からここまで、共に旅をしてきたではないか」
「それだけでわかるはずないわ」
コリーナはウルバンの腕の中で首をふった。
「俺はどうやら他の者より、少し賢いようなのだ」
ウルバンはコリーナの背中を、なだめるように撫でた。
「無駄に賢くても他の者の厄介事を解決する役に立つばかりで、俺自身にとってはたいして良いことなどないと、ずっと思っていたのだが……。こうして貴女を理解できたのだから、賢いのもそう悪くないな」
ウルバンは冗談めかして言い、コリーナの髪に口づけた。
「……なぜ……わかってくれたの……?」
「貴女は俺を半獣半人だと信じていた。半獣半人の俺に『支配』と書かれた指輪をはめさせ、それを辺境王アロイスの前で外して渡させようとした。貴女は自分が皇帝から結婚祝いとして貰い受けた『半獣半人に対する統治権』を、自分ごと辺境王アロイスに譲ろうとしていた。違うか?」
「あっている……、みんなあっているわ……」
コリーナがウルバンの腕の中で顔を上げると、ウルバンはまたコリーナの涙を拭った。
「貴女が戦う必要のない者とまで戦う姿勢を見せていたのは、皇帝に対してこの愛らしい手を振り上げてみせていたのだろう?」
ウルバンはコリーナの片手をとり、薄く微笑んで指先に口づけた。
「そうよ……」
「皇帝は貴女の思惑通り、貴女の内に簒奪皇帝の血が流れているのを見ただろう」
「ええ……。天馬騎兵を送ってきたくらいですもの」
コリーナはウルバンの手を握り返した。
「俺のまわりには困った奴ばかりだな。ディートマーがどうやって俺の代わりに軍法会議に出たのかと訊いたな。あいつは軍法会議の前の晩、スープの大鍋に眠り薬を大量に入れて、自分とイグナーツ以外を眠らせたのだ。起きてみたら、イグナーツが一人でサーベル片手に野営地を守っていて、ディートマーは『皇太子の許嫁が婚約破棄して、アロイス・ホーランと結婚するそうだ!』と大笑いしていた! わけがわからなかった」
ウルバンは笑い出した。
コリーナもつられて笑った。
「あなたもそんな手にひっかかるのね」
「ありえないだろう! 俺は辺境総大将として軍法会議に出頭する予定だったのだ。半獣半人の兄が人間の俺の身代わりになるために、前の晩から部隊の全員を眠らせにかかってくるとはさすがに思わないさ」
コリーナは声を出して笑った。ウルバンの話し方は、前世のウルバンとまったく同じだった。
「そうだったの……。そうだったのね……」
コリーナの目から、新たな涙が流れた。
コリーナがすべてを捨てて助けた、あの美しい男こそ、ずっと会ってみたいと思っていたウルバンの『小さいお兄ちゃん』、ディートマーだったのだ。
「泣きながら笑うのか」
「うれしいのよ……」
ウルバンはコリーナの額にそっと口づけた。
「もう一人で戦う必要はない。これからの貴女には俺がいる」
コリーナは握られていない方の手で、そっとウルバンの厚い胸を押し退けようとした。
「そろそろ話してくれないか。貴女になにがあったのか」
ウルバンがコリーナの手を放し、抱きしめていた腕を緩めた。




