20.天上の結婚式(前編)
ザーランド侯爵の私兵が撤退していくのにあわせて、辺境王とコリーナの配下約五百人も野営地へと戻った。
野営地に着いたウルバンは、ドレスを縫う部隊と彼らを護衛する部隊がどこにもいないことに気がついた。
さらに、豪華な幕舎があった場所が空き地になっていた。
「どういうことだ!? 彼らはどこに消えたのだ!?」
ウルバンは大股でコリーナに近づいてきた。
「これから案内いたしますわ」
コリーナは華やかな笑みを浮かべた。
「彼らは無事なのか!? ザーランド侯爵に売り払ったりはしていないな!?」
「心配しすぎです。わたくしがそんなことをする理由がありませんわ」
「なにを企んでいるのだ!? なにをするにも、私に相談してからにするよう言ったではないか!」
「それは戦でのお話でしたわよね。わたくしは戦をしているのではありませんわ」
コリーナはいまだ顔を覆っていたアイマスクを外した。
「ウルバン!」
フォルカーが呼んだ。
「フォルカー、なにをしている!?」
フォルカーは自分の首元にサーベルを当てていた。
フォルカーの前には、ヨストとマッツが武器を構えて立っていた。アイケもフォルカーと背中合わせで立ち、同じく武器を構えて後ろからの襲撃に備えていた。
「ウルバン、そこでおとなしくしていてほしい」
フォルカーはたどたどしく言った。
「フォルカー、危ないからそのサーベルを下すんだ!」
「みんな動くな! 変な動きをすると、フォルカーさんが自害するぞ!」
アイケが怒鳴った。
「自害!? 王妃、フォルカーになにを言ったのだ!?」
「そのうちわかるわ」
「コリーナ嬢、あまり俺を怒らせるな」
ウルバンの声色が変わった。
コリーナは見下すような笑みを浮かべてみせた。
ウルバンが動き、次の瞬間にはコリーナを背後から拘束した。コリーナの首筋には、ウルバンのサーベルが当てられていた。
「エゴン、今よ!」
コリーナが指示すると、エゴンが少し離れた場所で様子を伺っていた伏兵部隊の元に走っていった。
「イグナーツさんはおみえですか?」
エゴンが出身地の方言で問うと、イグナーツが進み出てきた。
「クラヴァットの巻き方ってわかりますか?」
エゴンが訊ねると、イグナーツはうなずいた。
「軍服の下ってなにか着てます?」
イグナーツが軍服の襟元をくつろげた。
「ああ、クラヴァット巻けそうですね」
エゴンはほっとしたようにほほ笑んだ。
「ウルバン、悪いようにはしないから、そのままちょっとおとなしくしててくれ」
フォルカーがまた言った。
「そうそう。どうせ殿下にゃ、お妃様を殺すなんてできねぇんだから」
「ヨストさん、余計なこと言わないでくださいよ! いつも一言多いんすよ! 殿下がお妃様を放り出して、こっちに向かって来たらどうするんすか!?」
「おおっと、いけねぇ! 殿下、そのままお妃様を拘束し続けててくださいよ!」
ウルバンは腕の中にいるコリーナと、ヨストとマッツを見比べた。
「フォルカーを人質にして、随分と楽しそうではないか」
ウルバンはサーベルを鞘に戻すと、コリーナのあごに手を添えた。
「そんなに俺にこの女の首をへし折ってもらいたいのか」
「ウルバン、そんなこと言うと、俺、緊張で手が滑るよ……」
「フォルカー! しっかりするんだ! まずサーベルを下せ!」
ウルバンの声には、本気の焦りがあった。フォルカーなら手を滑らせて、うっかり死にかねないとでも思っているようだった。
「ごめん、ウルバン。それはちょっと……無理かも……」
フォルカーの顔色が段々と悪くなっていった。
「それじゃ、このクラヴァットを巻いてください」
イグナーツはエゴンに渡されたクラヴァットを巻こうとして、あまり上手くいかず、エゴンがクラヴァットを巻いてやった。
「そろそろ偵察に出ていたオットマールが戦利品と共に戻るはずですので、イグナーツさんはこちらで待機していてください」
エゴンは辺境軍の兵士たちへと視線を移した。彼らは動きを止めて、事の成り行きを見守っていた。
「辺境軍の兵士の皆さんは、このまま山頂に移動です。逆らうと、辺境王妃殿下の私兵三百人が襲いかかります。時間もないので、無駄な抵抗はしないで、どんどん行っちゃいましょう!」
エゴンが明るく元気に命じると、辺境軍の兵士たちは顔を見あわせつつ、山頂へと歩いていった。
移動していく辺境軍の兵士たちを監督しているエゴンの元に、オットマールが「戻りましたよー!」と手を振りながら駆けてきた。
「イグナーツさんはどうですか?」
「クラヴァットを巻いてもらったところです」
「辺境王殿下は……」
「だいぶシャーシャー言ってます」
エゴンは猫好きなようで、ウルバンの怒りを、気が立っている猫のように表現した。
エゴンとオットマールは苦笑しあった。
「オットマールが戻ったので、我々もこのまま山頂に向かいます」
エゴンが言い、オットマールがうなずいた。
エゴンとオットマールは、イグナーツを真ん中にして、「いやー、なんだか、すみませんね」などと話ながら山頂へと向かった。
「それじゃ、殿下たちも移動しねぇとなぁ! 日が暮れちまうわ!」
ヨストがフォルカーをふり返った。
「ウルバン、おとなしく山頂に行こう」
フォルカーが引きつった笑いを浮かべた。
「フォルカー、お前がうっかり死んだら、俺は本当にコリーナ嬢を殺してしまう。いいのか!?」
「よくないけど……」
「さすがにうっかり死ぬことはねぇだろ……」
ヨストがウルバンに視線を戻した。
「……フォルカーさんなら、なんだかやりそうで怖いっすよ」
今度はマッツがフォルカーをふり返った。
「わかるか!? やりそうだろう!」
ウルバンの声には必死さが滲んでいた。
「俺もそこまで間抜けじゃないよ……」
フォルカーは本格的に元気がなくなってきた。
「殿下は本当にご兄弟が大事なんですね」
ウルバンの背中に、大剣が押しつけられた。
「ツァハリアス護衛兵長か!」
「僕は最近よく、『僕はなにをやっているんだろう』って思いますよ……」
ツァハリアスは大きなため息を吐いた。
「まあ、そうだろうな……」
「コリーナを抱えたままでいいから、とにかく山頂に行っていただきます。僕もどうして僕がこんなことをさせられているのか、よくわからない……」
ツァハリアスもフォルカーに負けず劣らず、元気がなかった。
「断ったらどうなんだ!?」
「まあ、そうなんですけど……」
ツァハリアスがまたしても大きなため息を吐いた。
「ツァハリアス護衛兵長、あまり無理をするな。理由はわからないが、山頂に行けばいいのだろう」
ウルバンはコリーナを放した。
「よかった……。死ぬところだったよ!」
フォルカーがサーベルを鞘に戻した。
「殿下、三人で行きましょう」
コリーナが声をかけると、ウルバンは怒りのこもった目でコリーナを見つめた。
「そうだよ、一緒に行こうよ!」
フォルカーがコリーナの横に並んで、申し訳なさそうに笑った。
ウルバンは返事をすることなく、山頂へと歩き出した。
「おとなしく行ってくれるんですもの、充分だわ」
コリーナはフォルカーに笑いかけた。
「うん、行く気になってくれてよかったよ」
「フォルカー、助かったわ。ありがとう」
礼を言ったコリーナの足の下で、小枝の折れる音がした。よろけたコリーナの腕を、フォルカーがつかんだ。
「気をつけて」
フォルカーがコリーナの腕を放し、片腕を差し出した。
「ありがとう」
コリーナはフォルカーの腕につかまった。
「フォルカー、お前が辺境王として、その女を娶ったらどうだ」
ウルバンが二人に向き直り、さらに機嫌の悪そうな顔をしていた。
「ウルバン、そんな冗談はいいから、早く行かないと」
「そうよ。日が暮れてしまうわ!」
フォルカーとコリーナが口々に言った。
「なんか……、辺境王殿下もちょっとお気の毒っすよね」
「『お嬢様のお好きなウルバン』ってのは、まあ、殿下じゃねぇわな」
「あれを見る限り別人ですね。殿下の方は妬いてるのに」
ヨストたち三人は、先行するウルバンと、仲良くおしゃべりしながらウルバンの後ろを歩いていくコリーナとフォルカーを見送った。




