19.ザーランド侯爵家の紋章旗(後編)
「王妃、彼らはなぜ降伏したのだ……!?」
ウルバンはコリーナの馬の手綱を引き、自分の方へと引き寄せた。
「アイケが本当の身分を明かしたのよ」
コリーナは満足げにほほ笑んだ。
「本当の身分だと……!? 半獣半人にどんな身分があると言うのだ! あのアイケが一軍馬公の愛人だとでも言うつもりか!?」
「あなたほどの方でも、そんな発想をするのね」
コリーナは笑みを苦笑に変えた。
「王妃、俺は彼らが本当に降伏したのか知りたいのだ! 彼らはあの大群だ。負ける要素はなにもない。降伏する理由などないはずだ! あれは俺たちを捕らえる策ではないのか!?」
ウルバンはコリーナの肩を片手で揺すった。
「あー……、大丈夫っすよ。アイケは本当はヨストさんの護衛隊長なんっすよ」
マッツが横から説明した。
「ヨストの護衛隊長!? 半獣半人に護衛隊がいることが、あの大群が降伏する理由になると言うのか!?」
「ヨストはただの半獣半人ではないわ」
ウルバンは目を見開いてヨストを見た。
「いやいや、殿下、さすがにこんなおっさんに向かって、『一軍馬公の愛人か?』なんてことは言わねぇでくださいよ?」
ヨストはどこか申し訳なさそうに半笑いになっていた。
「では……、お前はなんなのだ!?」
「ヨスト様は一軍馬公閣下の父であり兄であるお方なんすよ。俺も本当はヨスト様の侍衛をやらせてもらってるっす」
「侍衛……」
ウルバンが繰り返した。
「いやー……、殿下がフォルカーたちを兄弟だと言い出した時は、閣下とオレの関係を知ってて言ってるのかと勘繰りましたわ」
「まったく知らなかった」
ウルバンは即答した。
「そうでしょうとも。そうでなきゃ、普通はこのヨスト様に蹴りを入れたり、斬りかかったりできるわけがねぇんですわ」
話をしているうちに、ザーランド侯爵の私兵の先頭集団がコリーナたちを発見した。
「ヨスト殿! ヨスト殿はおられますか!」
「ヨスト殿! そこにおられるのはヨスト殿ですか!」
先頭にいる騎士たちが叫んでいた。
「ヨストはオレだ!」
ヨストが返事をしてやると、騎士たちが一斉に馬を降りた。
ひときわ豪華な騎士服の者を先頭に、彼らはヨストをめがけて必死の形相で走ってきた。
「ヨスト殿がお越しになっているとは知らず! ご無礼をいたしました! お許しを!」
「主からも、ヨスト殿に会ったら、くれぐれも失礼のないようにと言われておりましたのに! まったく気づかず! このようなことにっ!」
「不覚! 不覚であります!」
騎士たちは馬上のヨストに向かってひざまずいた。
「それ以上はヨスト様に近づくな!」
マッツが騎士たちとヨストの間に入った。
「もちろんです! お姿を拝見して、こうしてお詫びできただけで、我らは満足です!」
「どうか一軍馬公閣下におとりなしを! 我らは騎士です! ヨスト殿を害するなどありえません!」
必死でヨストに詫びている騎士たちを、ウルバンが信じられないと言いたげな顔で見ていた。
「軍馬三公は、ヨストを害する者に馬を売らないのよ。騎士は馬に騎乗しているからこそ騎士。彼らと彼らの主にとって、良い馬が手に入るかどうかは死活問題だわ」
コリーナがウルバンに説明した。
軍馬三公以外にも、馬を育てて売っている者たちは、当然ながら数多くいた。しかし、軍馬三公の育てた馬は、他の者たちが育てた馬とは、まず餌からしてまるで違った。
この国の馬は、普通は料理をした時に出た野菜くず、悪い場合は人間の残飯を餌として育てられていた。その食べ物が馬にとって安全か、そうでないかなどはまったく考慮されていない。それゆえ、体調を崩しやすかったり、身体の弱い個体も多かった。
軍馬三公はというと、彼らの所有する広大な土地で、馬が食べても安全な草を育てていた。その草を主食とし、その草だけでは足りない栄養を補う馬用固形栄養食をおやつとして与えて馬を育てることにより、体調の安定した、強くて扱いやすい馬を量産しているのだ。
「三人とも売らないとはどういうことだ? 彼らは仲が悪いと聞いているが」
「それは表向きよ。彼らは皇帝陛下の意向に沿うよう、仲が悪いふりをして身を守っているのよ」
「では、本当に三人全員が馬を売らないというのか!? 自分の家の半獣半人を傷つけたからといって、騎士団が相手の大きな商いを放棄する主人など、ありえないと思うのだが」
ウルバンは騎士たちとヨストを見比べた。
「売らないわ。以前、ザロモンはソアホ公爵令嬢と婚約したことがあったの。事前にヨストについて説明があったのに、ソアホ公爵令嬢はヨストを排除しようとして婚約を破棄され、ソアホ公爵家は軍馬三公に馬を売ってもらえなくなったのよ」
「どう排除しようとしたのだ?」
ウルバンはザーランド侯爵の騎士たちを気にしつつ訊ねた。
「ザロモンは最初、愛らしいソアホ公爵令嬢を気に入っていたの。ソアホ公爵令嬢と婚約したザロモンは、領地でヨストとソアホ公爵令嬢を会せたわ。ソアホ公爵令嬢は婚約して安心していたのね。ヨストを見て、わざと『ああ、恐ろしい』と言って倒れてみせたの」
「女主人となる者にそのようなことをされたら、普通であれば、ヨストは主人に処分されてしまうだろうな。殺されるか、他に売られるか……。罰を与えられるだけでは済まないだろう」
ウルバンが苦々し気に言った。
「ええ、ソアホ公爵令嬢はそうなることを狙ったのよ。一緒にいた執事のゲルハルトがすぐにヨストを捕まえて牢に入れたわ。ソアホ公爵令嬢は、『勝った』とでも思ったのではないかしら?」
コリーナは眉根を寄せた。
「なるほどな。牢に入れたのは、堅固でヨストを守りやすく、ヨストが自ら姿を消すのも防げるからか」
ウルバンは瞬時にゲルハルトの行動の意図を察した。
「そうよ。ザロモンの怒りは凄まじく、すぐに婚約破棄して、ソアホ公爵家に自分の育てた馬を売らないよう通達を出したの。ザロモンは二軍馬公を兄貴、三軍馬公をじいさんと呼んでいるの。ヨストのことは親父よ。通達を知った二軍馬公と三軍馬公は、ザロモンの親父なら自分の親父、自分の息子だと言って、すぐに同じ通達を出したのよ」
コリーナはザロモンのことを思った。
(これまで気づかなかったけれど、わたくしとザロモンはとても良く似ていたのね)
ザロモンが一軍馬公として、この国の馬を牛耳るまでに上り詰めたのは、ヨストを守るため。
公爵令息でありながら牧場主のような真似をして、領地で朝から晩まで遊び暮らしていると誹られようとも、ザロモンは一切気にしなかった。
ザロモンは己が手にすることが可能な権力を自ら考え出し、何年もかけて現実のものとしたのだ。
「そんなヨストを、一軍馬公はよく王妃に譲ったな」
「わたくしは皇太子殿下との婚約を破棄したでしょう。ザロモンとヨストは、わたくしになにかよほどのことが起きたと思ったのよ」
たしかに、コリーナの身には『よほどのこと』が起きた。一度死んで、時をさかのぼり生き返るなど、普通では考えられないことだ。
「あまりヨスト様を困らせるな! 去れ!」
マッツが怒鳴り、ザーランド侯爵の騎士たちが立ち上がって自分の馬のところへと戻って行った。
ザーランド侯爵の私兵たちは、ヨストにひざまずいていた騎士たちを先頭にして、三の尾根を抜け出る道へと進んでいった。
ヨストとマッツがコリーナとウルバンの元に戻ってきた。
「いやぁ、お見苦しいところを見せちまって」
ヨストが申し訳なさそうにコリーナとウルバンを見た。
「事情は王妃から聞いた。彼らが退いてくれて助かった」
「そう言っていただけると、オレも気が楽になるってもんです……」
ヨストはウルバンに力なく笑ってみせた。
白けた空気が彼らを包んでいた。
それも当然だろう。
最初からヨストを先頭に押し立てて、ザーランド侯爵の私兵と対峙していたら、戦うことなく退けられたのだから。
私兵は主人に命じられるままに戦う駒だ。
特に半獣半人の私兵は、主人の命令を拒むことは難しい。
それがたとえ、無意味な戦闘であっても、命を賭けて戦うよりない。
それでも、彼らにだって心はある。
なぜこのような戦いをしなければならなかったのかと、皆が不満を抱くのは、仕方のないことだった。




