9.博愛騎士の受難(前編)
コリーナの婚礼行列という名の、ほとんどが兵士や武人で構成されている一団は、翌日から峠越えを始めた。
勝利で士気が上がっているうちの方が良いのではないか、というコリーナの言葉に、ウルバンとツァハリアスが同意したのだ。
怪我人はいたが、馬に乗れる者は乗せた。馬に乗れない者は、婚礼馬車の燃え残りで作った荷車で運ぶことになった。
誰一人として見捨てないというのがコリーナの方針で、反対する者はいなかった。
敵方の者たちは『白い魔女』がよほど怖かったのだろう。コリーナたちを追ってくる者はいなかった。
数日かけて峠を越え、再び現れた田園地帯を抜けて、ザイクタイルの町に着いた。
町に入る前、護衛兵の一人からの提案により、一行は金杯軍のふりをすることになった。
元は金杯王の麾下だった護衛兵たちは、出発前に金杯王から「城内にある『旅に役立ちそうな物』は、なんでも持って行くように」との指示を受けていた。
今回の提案をした護衛兵は、金杯王の信奉者の献上品である『金杯軍のマント』を持ってきていた。そのマントを羽織るだけで、一行は訓練中の金杯軍に変身できた。
ツァハリアスはきらびやかな騎士服を着込み、一行の先頭に立った。
「僕さえ我慢したら、これできっとなんとかなる……」
ツァハリアスは悲壮感を漂わせながら、愛馬を進めていた。
その後ろにウルバンと乗馬服姿のコリーナが騎乗して並び、金杯軍のマントを羽織った辺境軍の兵士とザーランド公爵家の護衛兵が続いた。
「妃殿下、ツァハリアス護衛兵長はどうなさったのでしょうか……?」
ウルバンが訊ねた。
「彼もいろいろ大変なのよ……。どう説明したらいいのかしら……」
コリーナは考え込んだ。ウルバンは困っているコリーナをしばらく見ていて、説明してもらうのは諦めたようだった。
町に入ると、護衛兵たちの何人かが宿屋を探しに行った。
婚礼行列は二百人の大所帯である。宿が足りず泊まれない者たちは、町の近くで野営することになっていた。
馬に乗っている者たちは、町の中央広場に行って、噴水から馬に水を飲ませることになった。
コリーナは馬を下りて、自ら水を飲ませた。近くでは、ウルバンとツァハリアスも、馬に水を飲ませていた。
コリーナの背後に、一人の金髪の男が立った。鍛えられた浅黒い身体に薄汚れた服を着て、荷物袋を担いでいるところを見るに、旅人のようだった。
「金杯王のところの寵愛騎士様ってのは、お嬢さんのことだよな?」
男はコリーナの耳元に口を近づけ、息を吹きかけた。
コリーナの首筋に鳥肌が立った。
男はコリーナの前にまわると、コリーナのあごをつかんだ。
「女の騎士なんて、あんた半獣半人だろ? これだけのお綺麗な半獣半人を買えるほど金を持ってるのは、金杯王しかいねえよなぁ! 皇都にゃあ、こんな半獣半人を売ってるのか! こりゃあ、早く見物に行ってみたいぜ!」
男は値踏みするようにコリーナに顔を近づけた。
コリーナは恐怖で口もきけなかった。いくら気丈にふるまっていても、生まれながらの深窓の令嬢である。このような危ない目にあったことなどなかった。
「やめろ! 金杯王殿下の騎士は僕だ! だいたい寵愛騎士じゃない! 博愛騎士だ!」
ツァハリアスが駆け寄って、男の肩をつかんだ。
「はぁん?」
男は小ばかにしたように言ってから、コリーナから手を離し、ツァハリアスに向き直った。ツァハリアスを上から下まで値踏みした。
「あんたが寵愛騎士だってのか? そんなわけないだろうが! 男の騎士ってのは、強そうな騎士名をもらうもんだぜ!」
「そんな決まりはないし、寵愛騎士じゃなくて博愛騎士だよ!」
「大剣を背負ってる金髪っていったら荒ぶる大剣騎士だろ?」
「えっ、誰だい……?」
ツァハリアスは訊き返した。
「金髪に大剣と言えば、荒ぶる大剣騎士だぜ!」
「人違いだよ! 僕が金杯王殿下の博愛騎士だ!」
「それじゃあ、男のお前が金杯王の愛人だってのか? 男が男の愛人になるなんて、そんなわけあるか! こいつ、頭がおかしいんじゃねえの? この女をかばうにしたって、言うことがイカれてらぁ!」
男は笑い出した。
「彼女も僕も、金杯王殿下の愛人じゃない!」
ツァハリアスは根気よく訂正し続けた。
この男の言っていることは、いろいろすべて間違っていた。
「誤魔化しようもねえだろ! こっちの半獣半人の女が、金杯王の愛人の寵愛騎士だろうがよ! 騎士の服を着てるじゃねえか!」
男にはコリーナの乗馬服が、騎士服に見えているようだった。腰に金のレイピアを下げているのも、コリーナを騎士だと誤解させた一因だろう。
「彼女が着ているのは、騎士の服じゃなく乗馬用の服だ! 貴族を半獣半人だと侮辱することは重罪だ! 彼女が訴え出たら、君は死刑にだってなりかねない! わかっているのかい!?」
「うるせえ男だなぁ! お嬢さん、金杯王と離れてさみしいだろ? 人間サマの肌が恋しいだろ? この俺様が相手してやろうってんだ! 喜んでみせろ」
男はコリーナの腕をつかんで引いた。
「触るんじゃない!」
ツァハリアスは男の手首をつかんだ。
「離しやがれ! さっきから半獣半人が人間サマに向かって、なにを偉そうに言ってるんだ!」
男はコリーナを離すと、ツァハリアスの手をふり払った。
「半獣半人って、僕のことかい!?」
「とぼけても無駄だぜ? みんな知ってらぁ! お綺麗な顔をして高そうな服を着てるヤツは、金持ちに飼われてる半獣半人だってことくらいな! こっちが下手に出てやってるからって、『卑しい半獣半人』が調子に乗りやがって」
男はツァハリアスの胸倉をつかんだ。
「おい、半獣半人のくせに、主人の女が好きなのか? この女だって、富も権力もある金杯王の方がいいだろうぜ! 惨めだな!」
男はツァハリアスを突き放すと、再びコリーナの腕をつかんで引き寄せた。
「なにをしているのです! お嬢様から離れなさい!」
少し離れた場所から、ギーゼラが叫びながら走ってきた。
「あのババア、半獣半人に向かって、なにがお嬢様だ!」
男が叫んだ、次の瞬間だった。
ウルバンが男の首を手刀で打った。意識を失った男が倒れるより前に、ウルバンは男の両脇を支えてやると、男を路地まで引きずっていった。
男を路地に横たわらせると、ウルバンは懐から鉄製の水筒を出し、中身を男の髪や胸元にふりかけた。
ウルバンはコリーナの元に戻ってくるとひざまずき、「お助けするのが遅れて申し訳ありません」と詫びた。
「詫びる必要なんてありませんよ!」
返事をしたのはギーゼラだった。
「そうね」
コリーナも同意した。
「すごい手並みですよ!」
ギーゼラは興奮気味に言った。
「助かったわ。ありがとう」
コリーナはウルバンの腕に触れた。ウルバンは促されるままに立ち上がった。
「あの男にふりかけていた、あの水筒の中身はなんです?」
ギーゼラが訊いた。
「酒です。酒臭ければ、酔って寝ているように見えるはずです」
「まあまあ、なんて手際が良いんでしょう! ああ、惜しい! 半獣半人でなければ、お嬢様の護衛騎士に任命したいくらいですよ!」
ギーゼラはウルバンの手をとった。
「お褒めいただき光栄です」
「辺境王殿下にお会いしたら、お礼を言わなければ! こんなしっかりした護衛を付けてくださっていたなんて!」
「ギーゼラ、そのくらいにしておいて。ウルバン将軍が困っているわ」
コリーナはギーゼラを下がらせた。
「ああいう男ってなんなの!? なんで会話しただけで、自分は下手に出てるなんて思えるの!? 腹が立つったらないわ!」
グリゼルダが怒りもあらわに言った。
「うん。みんな、あんな感じだよね……」
ツァハリアスが力なく同意した。
「ツァハリアス護衛兵長は人間でしょ? なにがわかるのよ!?」
「僕の両親は金杯王殿下の家令とメイド頭だろ。元は金杯王殿下の皇宮時代からの側近と侍女だけど、今の身分は使用人だからね。皇都でも、よく半獣半人だと勘違いされるんだ」
「……たしかに、人間か半獣半人かわからないような容姿ってあるしね」
「そうなんだよね……。これでも父は子爵だし、母は伯爵令嬢なんだけどなぁ……」
ツァハリアスは大きなため息をついた。




