11話 私がキャプテンです
「キャプテンの有馬です」
出発前、機内でのブリーフィングの場で奏がそう口を開くと、すでに奏の存在を知っていたCAたちは軽く会釈し、事情を詳しく知らない者たちはきょとんとした顔をした。
それも無理はない。
見た目だけなら、どう考えても若すぎる。
それなのに、今ここで“キャプテン”を名乗ったのだ。
キャプテン。
その飛行機を目的地まで飛ばす上での最高責任者。
判断が“間違い”でない限り、キャプテンの判断は絶対であり、ドアクローズ後は社長であっても逆らえない――極論ではあるが、そういう立場だ。
時には、サービス業界で神様扱いされがちなお客様を拘束する権利と権限さえ持つ。
奏は今、その権限を持つのが自分だと宣言したのだった。
「今日は管制官の津田さんが搭乗訓練でいらっしゃいます」
「津田開です。よろしくお願いします」
後方から挨拶が入る。
搭乗訓練の管制官。たまにあるが、こういう便は妙なところで少し緊張する。
「今日の沖縄までのフライトですが……」
奏はそのままブリーフィングを続けた。
天候、ルート、到着後の見込み、注意点。必要な情報を、必要なだけ、淡々と共有していく。
声は安定していた。
少なくとも外からは、そう見えたはずだ。
ブリーフィングを終え、後ろの準備が整うと、お客様の搭乗時間になる。
ボーディングブリッジから手を振ってくれる人もいる。
だが振り返せるのは余裕のある時だけだ。今日はそこまで余裕がない。
風向きの関係で使用滑走路が変わった。
拓也は急いでCDUへデータを入力し直している。
奏はその間に、この機体の整備記録へ目を通していた。
二日前にCチェックを終え、今回で五フライト目。
タイヤもブレーキもまだ新品だ。普通なら“安心材料”だが、奏はそういう時ほど少し気を引き締める。
新しいものは効きがいい。効きがいいぶん、雑に扱いたくない。
整備記録にも特に問題は上がっていない。
今のところは大丈夫だろう。
管制から出発許可をもらい、グランドへプッシュバックを依頼する。
パーキングブレーキを外し、トーイングトラクターに押してもらいながら、自走可能な位置まで機体を下げる。
「スタートboth」
奏が声を出すと、後ろに座っていた津田さんが少しだけ前のめりになった。
やはり、現場の流れを間近で見るのは面白いのだろう。
「bothエンジンスタート」
拓也はエンジンのスラストがアイドルであることを確認し、スタートスイッチを回す。
回転数が上がり、異常がないか確認しながら燃料供給を開始。
燃料が入り始めると、エンジンが本格的に唸り始める。
B787はかなり静かな方だが、それでも“今から飛ぶ機械”の音はちゃんとする。
プッシュバックが終わる頃には、エンジン回転も安定していた。
チェックリストを確認し、タキシング許可をもらって滑走路へ向かう。
拓也が機体を滑走路まで走らせる間、奏は離陸準備を進める。
フラップ5。
トリムセット。
離陸前の確認は、身体が変わっても手順が変わるわけではない。むしろ変わらないものがあることが少しありがたい。
「フライトコントロールチェック。エルロンライト」
奏は操縦桿を右奥までしっかり捻る。
翼の各部、姿勢制御面が正常に、そして滑らかに動いているかを確認する。
「チェック、レフト」
左側も同様。
「エレベーターアップ。気をつけて」
奏が操縦桿を手前に引くと、連動して拓也の前の操縦桿も動く。
腹のすれすれまで来るのを見て、津田さんが後ろでほんの少し面白そうな顔をした。
「チェック。ダウン……チェック。ラダー……」
一通り確認を終える。
しばらくすると、管制の指示で滑走路手前に停止した。
着陸機が前を通り過ぎる。
その後、拓也が機体を滑走路上へ入れ、停止させた。
【NHA23 wind 020 at 3, Runway 05 cleared for takeoff】
管制から離陸許可が出る。
「NHA23, cleared for takeoff」
拓也が復唱する。
「I have コントロール」
「you have」
奏は操縦桿へ手を添え、右手でHUDを下ろしてから、エンジン出力を上げる。
「スタビラーイ」
拓也がエンジン動作に異常がないことを確認してコールすると、奏はTO/GAスイッチを押した。
スラストレバーが前進し、それに比例してエンジン音が大きくなる。
奏はいつでも離陸を中止できるよう、右手をスラストレバーへ添える。
拓也も左手を添える。
離陸滑走中のこの姿勢は、何度やっても少しだけ気が張る。
座席に背中が食い込む。
加速は素直だ。滑走路の継ぎ目を拾う振動も、今日の機体はまだ新しさが残っていて、どこか乾いた感じがする。
「80」
HUDに表示される速度を確認する。
「チェック」
「V1」
拓也がコールすると、奏はスラストレバーに置いていた右手を離し、操縦桿へ添えた。
V1。離陸決心速度。
ここを超えたら、たとえ片発停止でも基本は離陸続行。滑走路上で止まれる保証はない。
「ローテート」
奏が操縦桿を引く。
ノーズギアが浮き、機首が上がる。
「V2、ポジティブレート」
「ギアアップ」
「ギアアップ」
奏は右へ機体を傾ける。
この後は右旋回で、ほぼ百八十度近く機首方位を変える。
離陸後の数十秒は、何度やっても体感時間が少し違う。長いようで短く、短いようで長い。
ある程度旋回し終えたところでオートパイロットを入れ、操縦桿から手を離した。
その後しばらくは、管制とのやり取り以外ほとんど無言だった。
それぞれが自分の仕事をしているだけなのに、コックピットには妙に濃い空気が流れる。
奏にとっては、正式にキャプテンとして飛ぶ復帰便だ。
拓也もそれを分かっているからか、余計なことは言わない。
そして、その静けさは――
CAさんから、笑顔で怒り混じりの連絡をもらうまでは続いた。
管制官の搭乗訓練ってのがあります。
管制官とパイロットの現場での情報交換の場でね。
確か2年に一回の義務だとかだったと思います。
毎日じゃなくていいけどたまにコックピットで空を観たいという方管制官とかどうですか?
与えられる仕事は基本的皆同じなので、年齢的上下関係が他の業種に比べてそんなにないと聞きます。
ただゴールデンウィークとかありませんけどね。
将来航空関係で働きたい方ご参考に程度に。




