92話◇騎士は助ける
私がなにもしないのをいいことに、マリアは最終的にぺたりとくっついてきた。私の腕を胸に抱くが悪気はしない。ただちょっとフワフワむにむにした温かいものが腕に当たり、意識がそちらに向くだけだ。もうそろそろ離せ、と言おうとした時だった。
「ただいま戻り……おい魔女キサマ」
息を切らして戻ってきたサムにしっかり目撃された。鬼のような形相である。
「先ほど申し上げましたよね?」
ドスの聞いたサムの声は底冷えするような冷たさに、マリアは笑顔のままぱっと離れていった。さっきあった温もりが消えるのは寂しいが、抵抗しなかった私も反省すべきだろう。
「サム、すまん。軽率だった」
「……私も頭に血が上ってしまいました。申し訳ありません。魔女様は若様にとって特別なお方だと理解しようとしているんですが、どうも追いつきません」
過保護な侍従はそう言って、小さく息を吐いた。
◇
クラムリントンに着く頃にはもう太陽が真上にきていた。初秋とはいえ容赦ない日差しはとても強く、しかし湿度は低いので木陰に入るとすずしく感じる。館の準備が整うまで私たちは海辺の町を散策することにした。「私たち」とはもちろん私とマリア、そしてサムだ。残念ながら二人で出歩くのはおゆるしが出なかった。
「なんだか不思議な匂いがするわ」
「潮の香りだ。海がすぐそこにあるからな」
「ここはよく来るの?」
「子供のころ以来だな」
ここは観光地らしく、町の方には多くの店が並びいろいろなものが売ってあった。珍しいのかマリアは小走りであちこち見て回っており、私はその様子をほほ笑ましく思いながら後をついて回った。
「見てみて、すっごく大きな貝」
「本当だな」
「あの大きなお魚もおいしいのかしら」
「店の主人に聞いてみようか」
聞くと煮ても焼いてもうまいそうなので、買って別荘に届けてもらうことにした。きっとモルツが嬉々として調理してくれるはずだ。
「ねえヴィンセント、あれ食べてみたい」
「少しだけだぞ」
露店の食べ物を買ったりお土産を見たりと、思った以上に楽しい時間が過ごせた。サムは口をはさむことなく後ろに控えていて荷物を受け取ったり金を払ったりしてくれている。あい変わらずマリアはあっちフラフラこっちフラフラと自由に見て回り、私もサムも苦笑しながら後ろから見ていたのだった。
しかし少しばかり目をはなした隙に事態が急変した。マリアがいなくなってしまったのだ。
どこの店をのぞいてもマリアはいない。店の人間に聞いても知らないと言う。心臓は嫌な音を立てはじめ、全身に冷や汗がジワリとにじんできた。
「サム、手分けして探そう」
「かしこまりました」
そう遠くへはいっていないはずだと、商店街をくまなく見ていくと、細い路地からピィーと笛の音が聞こえてきた気がした。続いて男女の言い合うような高い声。
「マリア?」
店と店の隙間をぬって路地の奥へと進むと、だんだんと声が鮮明に聞こえてきた。男が数人、そしてマリアがいる。間違いない、この先にいる。
「見なよ兄貴、この子意外といいカラダしてる」
「まじか」
不快な会話が聞こえてきた。足を早めれば、路地の行き止まりに男が数人、マリアを囲んでいた。
「いい加減にしてよ、はなしてっ」
「オイオイそんなに吠えんなよ」
「いや、触らないで!」
そこからは身体が勝手に動いていた。マリアを囲む男の一人に後ろから思いっきり蹴りを入れる。相手はすぐに態勢が崩れ、地面に伸びた。
「——なっ!?」
「その人を離せ」
男たちの動きは鈍い。右隣りにいた男に鳩尾を殴りつけるとうめいて崩れ落ちる。先に倒した男が立ち上がろうとしたのですかさず腹を蹴り上げれば動かなくなった。
「……おいおい兄ちゃん、なんてことしてくれてんだよ」
残る一人は懐から大きなナイフを出す。
ぎらりと刀身が光った。
「それはこっちのセリフだ」
男はジリジリとナイフを持ったまま後ずさり、マリアに近づいた。彼女は逃げようとしたが腕をつかまれ、抱き込まれる。男はマリアの首筋にナイフを突きつけた。
「この女を返してほしかったら動くなよ」
地面に倒れた二人は意識を失っているのか動かない。マリアを人質にとった男は退路を確保しようと左へ左へとゆっくり足を進めた。
どうする。手には密かに握りしめていた石があるが、一発で相手を再起不能にできるかは怪しいところだ。まずはあの物騒なナイフをどうにかしないと、と思っていたその時——
「それ以上そいつに触るな、下衆が」
突如として降った声。ピタリと動きを止めた男の背後に鋭い眼差しのサムがいた。ナイフを男の顔に突き付けている。
「ひいっ」
男は乱暴にマリアを突き飛ばした。反射的に四肢が動き彼女を受けとめる。その間にサムはなにをどうしたのか、男は地面に倒れていた。白目をむき、口から泡を吹いていた。
「マリア」
恐怖からなのか、わずかに震えている。
「あ、あたし、あの、ごめんなさい」
「もう大丈夫だ、ケガはないか?」
腕の中にマリアがいることに大きく安堵の息を吐く。特に外傷はないようだ。嫌なことをされてないといいが。私は片手で背中をさすりながらもう片方で彼女の頭をそっと抱え込んだ。
「ごめんなさい、いきなりここに、連れ込まれて……」
「おまえが無事ならいい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「……マリア?」
様子がおかしい。さっきの男たちに怯えているというより、私に叱られると思い謝っている気がする。身体を離して顔を見れば、彼女の顔面は蒼白だった。両手で頰を包み、しっかり目線を交えると私は極力やさしく語りかける。
「大丈夫だ。おまえはなにも悪くない」
「あたし、色目なんか使ってないの。むこうが無理やり……」
「ああ、アイツらが悪い。おまえは巻き込まれただけだ」
「……怒ってない?」
「なぜ怒るんだ。私はマリアが無事で安心してるのに」
精いっぱい、笑って見せた。怯える理由はわからないが、どうか安心してほしい。ここにおまえを害する敵はもういない。
「早く気づいてやれなくてすまん。怖い思いをさせたな」
「……うう」
夜中に男に襲われた時も、領城で心ない仕打ちを受けた時も泣こうとはしなかったマリア。うめくように声をあげ頬をぬらしながら、彼女は私の腕の中で静かに泣いた。
「……怖かった……」
「ああ。もう安心していい」
薄暗くて清潔とは言いがたい路地裏。マリアが落ち着くまで、私はずっと彼女を抱きしめていた。





