91話◇騎士は迎えに行く
負けた。あともう少しという所でディーバに押し負けてしまった。悔しいというより放心状態、さらには全身筋肉痛。おそらく大会に参加した多くの者が同じような状態だろう。
「坊っちゃま、そう気を落とされないで。今日はマリアさんとお約束があるのでしょう? 久しぶりにゆっくりお会いになれますね」
「……あいつに合わせる顔がない」
「きっとマリアさんはお会いになりたいと思っていますよ」
セブが昨日から一生懸命に私を元気づけようとしてくれている。ありがたいのと同時に自分が情けない。……くよくよしてもしょうがないか。しずんだ姿を見せても心配をかけるだけだ。
「私の格好はおかしくないか」
「大変お似合いですよ」
これからマリアとプライベートで会うのかと思うと自分の身だしなみが気になってくる。
「髪ははねてないか」
「髪型もいつも以上に決まっていますし、よい香りもしておりますよ。何人もの女性が坊っちゃまに見惚れてきたではありませんか。自信をお持ちになって」
「そうかこの指輪を外せば……いやでも、」
マリアは必要以上にお洒落をするなと言っていたし、この指輪を外したらまた騒がれるかもしれない。でもマリアに不恰好な姿は見せたくないとも思う。うんうんと唸っていたらセブが助け舟を出してくれた。
「人前でなかったのならよいのではありませんか? マリアさんとお二人の時なら外してもかまわないと私は思います」
「そ、そうか」
セブたちには改めてこの指輪の効果を伝えていた。おかげで無駄に騒がれることがなくなったと言うと「それはようございましたね」と喜んでくれた。
「さあ、お姫さまをお迎えに行きませんとね」
「……マリアほど『お姫さま』の単語が似合わない人もいないな。あいつは魔女がしっくりくる。そうじゃなかったら女王だ」
思ったことをそのまま言うと、後ろで控えていたサムが小さく吹き出した。
◇
マリアが泊まっている宿に馬車で向かうと、赤い髪をなびかせた女性を見つけた。すらりと高い背、白いシャツに紺色のコルセットを身につけ、スカートの上には見事な刺繍が入ったエプロン。まちがいない、マリアだ。どうやら宿のならびにある売店をあちこち見回っているようだ。
「若様が外に出られますと騒ぎになりますので、私が連れてまいります。少々お待ちください」
わかったと返事をする前にサムは行ってしまった。今日は御者を別とするなら従者はサムだけだ。別に私ひとりでもよかったのだが、セブもサムも絶対に単独行動はダメだと言うのでしぶしぶ頷いた。困っているのは今日のプランが何ひとつ決まっていないことだ。朝迎えに行くと言ってしまったが、朝からディナーは食べられない。ひとり残された馬車の中で、私はこれからどうしようかと頭を悩ませた。するといくらもしないうちにサムがマリアを連れてくるではないか。サムが手を貸し、マリアが馬車に乗ると私の向かいの席に腰かける。がたりと揺れた馬車と一緒に、私の心臓もどくどくとせわしく動いた。
「昨日はお疲れさま。ケガとかしてない?」
「大丈夫だ。勝っておまえの元に早く行きたかったのだが……すまん、頑張りが足りなかった」
そういうとマリアは苦しそうに顔を歪めた。どうしてそのような表情をするのだろう。
「……あなたは強いし、よく頑張ったわ」
せまい馬車の中、マリアの手が伸びて私の頭をなでた。しかし私の隣にいる侍従がワザとらしく咳払いをするので、マリアの手はすぐに引っ込む。もう少しなでてもらいたかったとか思ってないぞ。本当だ。
「朝から連れ出してすまん。どこか行きたいところはあるか。観劇でも庭園でもバザールでも、どこでもいいぞ」
「ほんとに?」
「遠慮なく言え」
マリアはいつもの自信満々の笑顔ではなく、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「誰もあたしたちのことを知らない所に行ってみたい。そこで買い物したり、食事したり、散歩したり……普通の人みたいに過ごしてみたい」
マリアの要望は、私にとってもすごく魅力的なものに思えた。今なら私だって普通の人に紛れて歩けるだろう。
「サム、どこか知らんか」
「……そうですね。領都から離れた場所でしたら若様の名声もわずかに届いてないこともございましょう。海が近いクラムリントンはいかがですか。貴族向けの貸し別荘がございます」
クラムリントンか。そこなら私が幼い時に行った記憶があるな。周辺の地理を思い浮かべ、あれこれと算段をつけてみた。うん、悪くない。
「……マリア。その、クラムリントンで一晩泊まらないか。そしたら夕食もそこでゆっくり食べれるし」
マリアはきょとんとした顔をしていた。そしてぱちくりと数度またたきをしたあと、私ではなくサムの顔色をうかがった。なぜだ、なぜサムなのだ。確かに手配してくれるのは彼だけども。いや、そうだな。私だけの判断ではなく、サムの了承も必要だろう。
「使用人もいくらか連れて行くし二人きりにはならない。もちろん私はマリアには触れない。……いいだろう、サム」
隣に座る侍従を覗き込むようにおうかがいを立てる。こう言うと大抵のことは聞いてくれると私は知っている。あざといと言われてもそれは甘んじて受け止めよう。
「——ぐぅっ。……わ、わかりました。では使用人の手配と別荘に先触れを出しますから、私は少し失礼します。魔女様、くれぐれも節度ある距離感で接してくださいますよう申し上げます。お二人は未婚の男女。心ない醜聞というのはあっという間に広がるものです。ご注意ください」
ばたばたと慌ただしく出て行ったサムは、私ではなくマリアに注意したようだ。確かに変に噂がたっても困る。マリアの評判を落とさないように気をつけなければと私は気を引き締めた。そしてサムが戻ってくるまで、ゆっくりと馬車で移動しながら待機することになった。その間はマリアと二人きりだ。
「こんなふうに馬車で二人になるのも久しぶりね」
「そうだな。ずいぶん前のように感じる」
マリアは小さく笑った。それから視線を外にむけて小さな声で言う。
「昨日はね、ロイに食事に誘われてたの」
そうか。だとしたら優先順位が高いことに文句は言えないな。あんな料理がでてきておいしかった、こんな話をして楽しかったと教えてくれた。しかしその表情はいくらか硬い。
「その時に言われたの。だいぶ落ち着いて来たからヴィンセントを護衛に戻してもいいって」
「それは、」
胸の中に明るい気持ちが広がるが、マリアの声が沈んだままなのが気になる。
「ただし私がある条件を飲めば。簡単に返事ができればいいんだけど、今それをとっても悩んでるの。あなたはたくさん頑張ってくれたのに、あたしは決断すらままならないのよ」
そんなものは気にしなくていい。私が好きでやったことだから。そう言ってもマリアは浮かない表情を崩さない。
「ねえ、となりに行ってもいい?」
私が答えきれずにいると彼女はおかまないなしに移動してきた。質問した意味とは、と思いつつもわざわざ拒否することもない。
「自分でもわからなくなってきたわ。……あたし、どうしたらいいのかしら」
ぽすんと肩にもたれるマリア。赤毛からふわりと鼻をくすぐるのは私が送った香油の香り。なにを葛藤しているのかはわからないが、しばらくこの時間が続けばいいのにと思ってしまった。





