61話◆魔女は森をさまよう
ヴィンセントをさらって逃げたヤツらを追う。先に調べるのは建物だ。オブシディアンとともに向かうとすぐその建物が見えてくる。レンガ造りはうちと一緒だけど、木の部分が激しく劣化している。しかし昔は荒れ放題だった庭の草木は刈り取られ、必要最低限の補修をしてある感じだった。
物音はしない。中に足を踏み入れると中には家具が一切なく、ただ仕切られた空間だけがあった。人の気配はない。あちこちを見てまわったが、結局この家の周辺にはいなかった。
ここじゃないとすれば、どこか森に入ってさまよっている可能性がある。
魔の森にただよう濃い霧は、普通のものじゃない。それは一種の魔法のように相手をなぶって翻弄する。幻覚、幻聴は森へ入ろうとする者の精神をがりがりと削り、方向感覚を狂わせる。あんなのの中にヴィンセントが入ったら、身体にどう影響するかわかったもんじゃない。私たちは家の敷地に近いところへ戻ってから霧の中に入って行った。オブシディアンからは降りて彼の手綱を引いて歩く。落ち葉をふむ音を響かせて歩くが、他に音がしないか耳を立てた。だけど特に変わったところはなく、いつの間にか霧はなくなり私たちは森の広場へ出ていた。ヴィンセントはいない。
「ごめんなさいオブシディアン、戻るわ」
再び霧の中へ足を進める。私は少し考えてから、マントを外した。彼らは霧の中をさまよっているかもしれない。だとしたら私も同じ道に入ってみよう。とたんに冷やっとした空気が全身を包む。マントをたたんでオブシディアンの背に置き、私たちはゆっくりと霧の中を進みはじめた。
さくり、さくりと落ち葉が鳴る。三歩先はもう真っ白でなにも見えない。ごくわずかな視界だけを頼りに進んでいくと、人の声のようなものが聞こえてきた。
『ばけもの』
『あんたが悪いのよ』
『お嬢ちゃん、かわいいねぇ』
脳内に直接響くこれは幻聴だ。誰かに言われているわけじゃない。そう思っていてもその刃は心に傷をつけていく。いや、古い心の傷をこじ開けているが正しいか。
『田舎者』
『尻軽女』
『君が好きだ』
「うるさいわね、黙りなさい」
拒絶したところで容赦なく降りそそぐ幻聴。いやだ、聞きたくない。両手で耳をふさぐと同時に、足がぴたりと止まってしまった。
次第に霧の中にぼんやりした影が見えてきた。両親だ。私を見てひどく困惑しており、その表情に全身から血の気が引いていく。話をちゃんと聞いてほしくて手を伸ばすと、両親はふわりと姿を消し、次に出てきたのはおばあちゃんだった。揺り椅子に身体を預けたおばあちゃんが冷たくなっている。だらりと垂れた腕は、あの日の光景そのものだ。
「いや、おばあちゃん、死んじゃいや」
あまりの悲しさに泣き出しそうになった時、ぐいっと身体を押された。オブシディアンだ。立ち止まった私をぐいぐいと鼻先で押している。思わず二歩ほど歩くと、幻影が消えた。
「あ、」
辺りは真っ白だ。両親も祖母も、最初からいない。ダメだ、分かっていても幻影に引きずられていた。オブシディアンはなおも私を押している。進めと言っているんだろう。
「……立ち止まっちゃダメね。ヴィンセントを探さないと」
再び歩き出した私を見て安心したのか、オブシディアンはもう鼻先を押し付けて来なかった。
◇
陽が落ちてきた。ヴィンセントは見つからず、うす暗い霧の中を当てもなくさまよう。ううん、これじゃダメだ。いったん戻ろう。そう思って私はマントを再び身につけた、その時だった。
がさりと背後から音がした。
私とオブシディアン以外が出した音。
ゆっくり振り向くと、そこには見覚えのある巨大な蜘蛛がいた。二メートルはあろうその手足と赤い八つの目。魔の森に静かに君臨する女王が、私の目の前にいた。
「クイーン……こんな所で会うなんて」
恐怖はない。ただ驚いてしまって声を上げた。オブシディアンは不安そうにそわそわするが、大丈夫だと身体をなでる。彼女の住処はあの洞窟だ。そこから出てきた所をはじめて見た。彼女はのそりとその巨体を動かすと、付いて来いと言わんばかりに霧の中をゆっくり進んでいった。オブシディアンとともにクイーンの後に続く。どうやら森の外へ向かっているようだ。どこに行くのだろうと思っていたら、急に霧を抜けた。あまり見覚えのない景色だが、ローゼの中のどこかではありそうだ。クイーンは広い所は不安なのか、木々の間にその巨体を納めた。視界のすみでぴくりと何かが動く。
「あら、アルバート?」
白と黒のぶち模様。頼りになる大ヤギ、アルバートがそこにいた。大木の根元に座り込み、まるで何かを見張っているようだった。私に気づいて耳をぴこぴこさせている。
「メヘェェッ」
「どうしてアルバートがここにいるの」
よたっと立ち上がり、嬉しそうにこちらに来た。頭をごすごすとぶつけて「褒めて」と言わんばかりに短い尻尾を振っている。首すじをなでながら辺りを見回した。もうだいぶ暗くなっている。するとさっきまでアルバートが座っていた木の奥に、クイーンの糸玉に似た巨大な何かがゴロゴロと地面に置き捨てられているのを見つけた。
「まさか……」
巨大な糸玉は三つ。クライブが誘拐犯の人数は三人だと言っていたが、これはもしかして……。アルバートとともに近づくと、それは首から足先まで糸でグルグル巻きにされていた人間だった。若い女の子が一人と、いかつい男が二人だ。クライブの証言と一致する。こいつら誘拐犯だ。となるとヴィンセントはいったいどこにいるの。
「彼は?」
焦る気持ちを抑えてアルバートに聞くと、とことこと歩き上を見た。大木と大木の間に、キラキラした糸がある。その糸を目でたどっていくと、そこには蜘蛛の巣に守られたヴィンセントがいた。
「ヴィンセント……」
誰にも手が出せないように空中に浮いている。周りには無数の糸が張られ、外敵から身を守る盾のようになっていた。これじゃどう見ても捕らえられたお姫さまだ。私は彼の姿を見て心底ホッとした。
「アルバート、ありがとう。あたしが言ったこと、覚えててくれたのね」
「メヘェェ」
アルバートの頭をしっかりなでてから、私はゆっくりとクイーンに近づいた。木々の間に居座りぴくりとも動かない大蜘蛛。辺りは暗闇に包まれはじめ、彼女の赤い目だけがぎらりと光を放つ。
「クイーン」
そっと手を出すと彼女はわずかに後退する。それでもゆっくり手を伸ばすと触らせてくれた。彼女の足は固くて、柔らかな毛が生えていた。
「ありがとう、クイーン。あなたがいてくれて、よかった……」
見つかった安堵と、クイーンやアルバート、みんなの協力に胸がいっぱいになる。
「ほんとに、みんな、ありがとう……」
ぼろぼろと泣きながら、私はお礼を言った。すっかり暗闇になった辺りを照らすように、大きな満月が顔を出していた。





