55話◆魔女は特別授業をする
スッポンスープを持っていったら圧死しそうなくらい締められた。怖い夢でも見ていたのかしら。きっと不安だったんだろうと思うことにして、私はくったりしたヴィンセントをそっとベッドへ押し戻す。よしよし、早くよくなってね。
ヴィンセントの熱はまだ下がらない。熱が出てまる二日経ってしまった。この瞬間にも彼の脳には負担がかかり、食事も満足にとれていないから衰弱していく。ああもう歯がゆいわ。
「無理やりスッポン食べさせようかしら……」
ひとまずベッドサイドの小さなテーブルにまだ温かいスープを置き、布をかけた。起きた時にまた勧めてみよう。
明日はキノコを引っさげてルキースに乗り込むつもりだった。フィリップをどっちにつけようか。クライブと交代でヴィンセントの世話をしてもらうか、それとも一緒に連れて行ってあれこれ助手をさせるか。もし帰りが遅くなることを考えたらここに残ってもらう方がいいかもしれない。ただまじない大好きな彼が家を物色しないか心配だ。
湯気が出ている熱々のお茶をフィリップに差し出した。夜は少し肌寒いからこれくらい熱い方が好き。日はもう沈んでしまって家の中は真っ暗だ。いくつかの蝋燭の明かりだけが部屋を照らしている。
「ねえ師匠、僕の欲しいものくれるって言ったよね。それって物じゃなくてもいい?」
そう言えば欲しいものあげる代わりに手伝えって言ったわね。ものじゃなかったら何かしら。まじない関係であることは確実ね。
「なにが欲しいの?」
「ヴィンセントが腕につけてたまじないの正体が知りたい」
目をキラキラさせたフィリップがずいっと前に乗り出してきた。本当に好きなんだから。
「『護身』に似ているけど全然違う。そもそも成り立ちが違うよね。僕はそれが知りたい」
「……わかったわ。じゃあ特別授業ね」
「やった!」
フィリップが言うまじないは『森の守護』のことだ。効果も範囲もまるで違っていて、使う材料だってまったく違う。
「まずはあなたがどこまで調べ上げたか教えてちょうだい」
ふふ、とほほ笑んでみると、フィリップの目の色が変わった。完全に研究者モードだ。そうして彼が語ったのはほぼ正解に近い形だった。さすが若き研究者。
今彼らがありがたく使っているまじないは至ってシンプル。本人の能力を上げるか、下げるか。腕力をあげる、悪運を下げる。まじないの名前は小難しいが、ようはこういう事だ。効果の対象は使用している本人のみ。周囲にはなんの影響はない。
「だから、そもそも前提が『上昇』や『下降』ではない何かだよね」
「ええ、正解よ。すごいわ」
「あとは僕の推測の域を出ない。師匠、焦らさないで教えてよ」
「はいはい」
こういう風に求められるのも悪くないわね。子どもに何かをねだられた母親の気持ちってこんな感じかしら。そんなことを考えながら、私はフィリップに向き合った。
「まずね、上染で使えるのは上昇と下降だけじゃない。私がヴィンセントにあげたまじないは森蛇の血で糸を染めているわ。その性質は『守る』よ。そして下染は夜行蔓で『身体』。つまり自分の身体を守るまじないになるの」
他からの攻撃に対し、自分の身体を守る。これがヴィンセントにあげた『森の守護』の正体。そしてまじないの効果には必ず相反する効果がある。『守』の対である『攻』も存在していて、効果はその逆だ。
「植物と違って生き物の血は力が強いの。森蛇の血で染めた糸は、周囲からの物理的影響をコントロールするわ。あなたたちが今使っているのは自分の能力に由来するけれど、これは違う」
「……すごい」
一番の違いは範囲が自分のみではなく周囲にも関係すること。『守』は他からの影響を守るし、逆に『攻』は他に影響を及ぼす。
『上げる』ではなく『攻める』
『下げる』ではなく『守る』
さらに言えばこのまじないは使い捨てだ。一度効果が現れるとまじないが消え、糸が切れる。だけど決して使い勝手が悪いわけじゃない。落馬したヴィンセントを守ったように、不意の一撃から身を守れるような効果は、どこにだって使い道がある。
「こんなもんでいいかしらね」
だいぶ教えてあげたわよ、とフィリップを見ると、慌てたように身を乗り出す。
「ま、待って! もし僕らが『守』を手に入れることができたら、腕力や幸運とも組み合わせは可能?」
「それはあなたが頑張ってくれたら、後で教えてあげるわ。これからこき使うつもりだからよろしくね」
もっと聞きたいという顔をしたフィリップを笑顔ではね退け、私の特別授業は閉幕した。
◇
ヴィンセントの元へ戻ると、スッポンスープが具ごと空っぽになっていた。あれから二時間経ったが、その間に食べてくれたようだ。顔を覗くと、たっぷり汗をかいていて、私は慌てて手ぬぐいを手に取って汗を拭き取る。髪の生え際や首すじに触れるとヴィンセントがぴくりと反応する。確か汗が出る時は熱が下がっていると先生は言っていたから、きっといい兆候だ。ありがとうスッポン。
「ヴィンセント、頑張って」
ん、と身じろぎをしながら彼が呻いた。頭を撫でながら見守っていると、目を数度瞬きしてから私を見やる。
「身体はどう?」
「……少し、楽になった」
「よかったわ」
「さっきはすまん。ちょっと混乱していた」
「いいのよ」
一人で心細かったわよね。ずっと側に居てあげられなくてごめんなさい。
「起きる」
のそのそとベッドから起き上がるヴィンセントを見守りながら、一緒に居間へと向かった。蝋燭の明かりが並んでいるなか、居間にはまだフィリップがいた。ヴィンセントの姿を見ると驚いた顔をして、足早に近寄ってきた。
「ヴィンセント」
「……お前だったか。話し声は聞こえていた」
「師匠にこき使われに来たんだよ。君、起きて大丈夫かい」
「寝すぎて身体が痛い」
ヴィンセントとフィリップはテーブルの椅子に掛けて話を始めたので、私は暖炉の近くに置いている一人掛けのソファに座り込んだ。なんだか疲れが一気に出てくる。昨日はヴィンセントの様子を見ながらだったから椅子で仮眠のようなものしかとれていない。それで森でハッスルしちゃったから、いくらまじないで補強しても、ちょっとシンドい。小さく息を吐いて目をつぶっていると、「ほら言わんこっちゃない」とフィリップの飽きれた声が聞こえてきた。どうやらヴィンセントがテーブルで力尽きたようで、フィリップが肩を担いで寝室まで連れて行ってくれる。きれいな顔しててもさすが男の子ね。さっそく助かったわ。ヴィンセントをベッドに寝かせたあと、フィリップは近くに置いていた椅子に座った。
「ヴィンセントは僕がみてるよ。師匠は少し休んだ方がいい。……気づいてないかもだけど、師匠もひどい顔してるよ」
失礼な子ね。しかもこの家にベッドが二つしかないことを見抜かれ、彼にあてがったはずの客間で寝ろと言われた。そんなことできないと思うけど、正直ありがたいと思うくらいには疲れている。今私がしっかりしていなくちゃいけないのに、疲労で倒れたらどうしようもない。
「……お言葉に甘えるわ。ありがとう」
台所の使い方や道具の場所を簡単に教えてから、私は客間のベッドになだれ込む。この部屋はもともと両親が使っていたものだ。大きなベッドは夫婦二人で寝るため。この部屋と私の部屋は廊下を挟んだ向かい合っていて、私はよく悪い夢を見たら両親のベッドに潜り込んでいたっけ。昔の記憶を思い出しながら、私は深く深く眠りに落ちた。





